
『死』について考える。
こんばんは。
浅川隼人です。
先日サロンにこんな投稿をしました。
『死』について考える。
『死』という単語が入っていますが、決してネガティブな内容ではなくポジティブな内容になっていますので、ぜひ最後まで読んでいただけたらと思います。
では、タイトルにもあるように『死』について書きたいと思います。
最近学ぶことが多くなった中で、
『自分自身の大義(目的)や夢とはなにか』
を考えることが多くなりました。
何度も何度も自分に問いかけていますが返ってくる答えが
『夢を追い続けられる環境を作る』
という夢です。
僕の中の大義とはその『夢』に付随するものだと捉えています。
例えば僕の大義は
・お金で夢を諦めない。
・周りの声で夢を諦めない。
・自分の個性を出し好きなことを続けられる。
・100年後からのありがとう。
では、それがどう『死』と繋がっていくのか。
僕はある人の記事を見てとても深いなと思った言葉がありました。
それは・・・
『夢に期限を設ける』
ということでした。
最初はどういうことか、しっくり来てなかったのですが、考えるにつれとてもしっくり来たので今回はこのことについて書くこととします。
期限…
要はいつまでにそれを達成したいかということを決めるということです。
僕は今まであまり考えれていなかったなと思います。
なぜか。
今まで僕は
『サッカー選手の間にこんな人になっていたい。こんな環境を作っていたい』
ということは明確にイメージできていました。
では引退したら何するの?
という問いに対して、多分選手時代に作った環境をより大きく、広くしているだろうという不透明な答えをしていたからです。
『人はいずれか死ぬ』
そう人生の終わりをイメージ出来ていませんでした。
・どう人生を終わりたいか。
・最後の日にどんな世界を見たいか。
これがいまいちしっくり来ていなかったのです。
もしかしたらこれは死ぬ間際になって深く考えるものなのかもしれません。
でも、もし今から死ぬ時にどうありたいかを考えて実行することができたら、本当にハッピーで『まったくいい人生だった』と言えるのではないかと思ったのです。
そう『死』を考えるというのはそういうことだと思います。
僕は一つチームのホームページにて会いたい人の欄に『亡くなった祖母』という言葉を綴りました。
理由は大きくなった自分で話をしたかったと思う素敵な人だったからです。
祖母は周りから本当に愛されていました。
祖母が周りを愛していたからこそ愛されていたのかもしれません。
今でも誰も悪くいう人はいないし、いい思い出ばかり思い出します。
そう思われるのってすごく素敵だなと改めて思いました。
『死』を想像したときに僕はやはり、周りからそう思われたいと思ったのです。
では具体的にどうなりたいか。
一つ明確になったことがあります。
僕が選手としてやること、夢を追い続ける人を、環境を増やすことでどうなるか。
そのゴールが
『100年後からありがとう』
なのかもしれません。
キリがよく2100年としましょうか。
Jリーグは107歳。
僕は105歳。
もう僕はこの世にいないでしょうが。
そのときに
『浅川隼人』がいてくれたから、今のJリーグがある。
夢が追えてる。
スポーツ文化がある。
そんなことを言ってくれる人がいたら天国で死ぬほど喜ぶと思います。
(2度死ぬことになりますね笑)
ということで『死』について考えて、そこから何がしたいのかを逆算してみました。
難しい方は
死ぬまでにやりたいことリストを決めるのもいいかもしれませんね。
リストを決めたら
『なぜやりたいのか?』
それを自分自身に問いてみてください。
そうしたら本当に自分が必要としている大義が見つかるかもしれません。
そのやりたいことを僕と一緒に叶えていきましょう!