街を撮り続ける理由【写真のはなし#1】
せっかくなので少し写真について考えていることを書きたいと思います。
街並みを撮影することが多いです。
それも、特定の建物などにフォーカスすることも少なく、
街を歩く中で視界前面に広がる景色をそのまま記録することがほとんど。
いつからこんなに街撮りをするようになったのか。
恐らく、はじめて作品として意識したのは、大学4年生の時に友人とのグループ展に展示した作品だと思います。かれこれ15年近く経つでしょうか。
当時、自分が何を考えて作品を作ったのかは今でもはっきりと覚えています。
当時、私は地方から上京した大学生でしたが、
例えば、建物やそこに入るテナントの店舗など頻繁に入れ替わり、街の様子は目まぐるしく変化していきます。
山間の集落のような田舎育ちの私には、街の様子が目まぐるしく変化する都会の情景に驚きました。(今でもその感覚は変わりません)
更に衝撃を受けたのは、自分の記憶の曖昧なことです。
テナントが入れ替わってしまえばそこに何のお店があったのか、建物が壊され更地になってしまえばそこに何があったのかすら思い出せない自分に驚きました。
その時、自分の中にあったものを表現したのが「未完成な情景」です。
それからずっと街撮りを続けています。
もちろん全てをカメラに収めることはできないし、皆が常に手にカメラを持っている状態であるこの時代に、自分が撮ること何の意味もないのかもしれません。
少し話は逸れますが、この話を書いていて思ったのは、ネット社会というのも似たようなものだということ。
最近、一時期離れていた旧TwitterなどSNSに戻ってきたのですが、当時交流のあったアカウントを尋ねてみると、5年以上更新がないアカウントがほとんどでした。
みなさん、私と同じように離れていったのだなぁと思いました。
もちろん匿名の世界なので、当時交流していた方達がどこの誰だったのか、今となっては分かりません。
不思議な世界だとつくづく感じながら、可能な限り双方向のコミュニケーションが取れたらなと思っています。
2023.12
Toshiki Yanaoak|MP