出会ったから、知ることができたこと
敬愛するコッシー師匠の企画
これに参加したくても、ネタがないと先日ここに書いた
コッシー師匠はすてきな出会いをされてる
その他、続々とすてきな出会いをみなさん綴られてる
いーなー、いーなー、
なにも書くことがないので、ファンである嵐さんとの出会いを書いてみようかな、と思う所存でございます
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よくここで「ワタスはテレビっ子」と書いてますが、いったいナニを見ているかというとざっとこんな感じです
21時 NHKニュース、22時 ニュースステーション、23時 ニュースZERO
これをはしごしながら、合間にちょこちょことバラエティなんかを見たりしてます
で、ニュースZERO
櫻井翔くんがキャスターになったとき「あぁニュースに興味がない人へ向けての客寄せパンダね」と思っちゃったのよね
ジャニーズはモチロン、タレントの方々、俳優さん等々、芸能人にあまり興味なく疎く生きていたので、芸能人ってどんな人々なのか、そしてジャニーズのコ達のことは、大変に失礼ながら「若干アタマの弱いコがなるもの」なんて偏見のカタマリで見ておりました
それがね、だんだんと気持ちが変化していったんです
「アレ、このコ(翔くん)ちゃんと自分の足で取材して、自分の考えを自分の言葉で語ってる」
偏見のカタマリの色眼鏡で見ていたにも関わらず、それを払しょくさせるくらい彼のキャスターとしての姿勢はすごかった
そして、確証になった出来事があります
2006年コンサートのため嵐は韓国へ行きます
まだまだ売れているとはいいがたく、苦労していた時期
そのコンサートの合間に翔くんは所謂38度線という韓国と北朝鮮の境目へ徴兵制度取材へ行きます
『韓国の同世代である若者は何を想い兵役につくのか、』
そして、最前線で任務中の20歳の兵士にインタビューをします
インタビューされている兵士は北朝鮮側を向いていなければならず、振り向いて翔くんを見ることはできない
その兵士にいろいろ聞き、最後に聞いた質問
「兵役が終わった後の夢、将来の夢はなんですか」
これに対しての兵士の答えは
「歌手、歌い手になりたいです」
ここで、翔くんは絶句してしまいます
そしてしばらく言葉を探して
そして、時間がきて戻るように促されるんだけど、もうちょっととこんな言葉を残しました
このときの真摯な表情は忘れることができない
この言葉をかけられた兵士の方はひとこと「カムサハムニダ」
翔くんがキャスターを目指したのは大学生のとき、9.11事件が起き、そのときに「僕はなにも知らない、なぜこんなことが起きなければいけないのか」と衝撃を受けたんだって
だから「徹底的に取材して伝えることをしたい」という想いが強く強くあるんだよね
そこから翔くんのファンになって、そしてご多分に漏れず嵐も好きになって
嵐を好きになって分かったこと
なぜ、彼らが長く長く多くの人に愛されているのか
なぜ、老若男女、世代も性別も超えて絶大なる人気があるのか
コンサート1つ取っても毎回毎回、コンサート後反省会して翌日の公演に向けて直しを入れていく
5大ドームツアーって言ったってそれぞれの球場によってバックヤードは違うわけだからそれも毎回覚えることからなのにクオリティーはまったく落とさない
3時間近く歌って踊って、衣装も間違えずにどんどん変えていって、コンサート1回終わると体重が2kgくらい減っちゃうって、、、
翔くんはそのコンサートもこなしながら毎週ある番組の収録して、さらに海外へ取材に行ったりしてて、、、
このヒト、どこでもドアもってるの?ってくらい世界中を飛び回ってて、それでもいつも笑顔で温かい言葉を選んで、バラエティではいじられて、、、
それらは全て『たくさんの人に笑顔を』のためだ
アイドルなんて、ってバカにしてた自分を恥ずかしく思う
そして、それは
『知らない』ということが原因だったということも『知った』
以来、よくわかっていないことを決めつけたりイメージで語ったりしないように心がけるようになった
ぼくのような立場の人間が報道することによって、選挙とか政治とか経済とかそういったものに興味なかった人が興味を持ってくれたらいいな
よく翔くんは言っていた
わたしはそんな翔くんをいつもお手本に生きてきた
そして嫌なことがあったり迷いがあったりしたら「嵐さんだったらどうするかな」って考えてきた
嵐は5人ともぜんぜん違うけど、5人とも考え方が魅力的だからステキな5パターンの考え方が提示されるんだよね
わたしは出会ってしまった
嵐に、
そしてそれはとても豊かで幸せな時間だった
…急にそういえば高鳴っていたわ、ってのを思い出したので貼り付けておきます
今ここで再構築してもあの頃の臨場感がなくなるので、そのまま貼り付けます
これはけっこう恥ずかしいゾ
あぁ恥ずかしい、、、