名付け以前の世界に
今、"名付け" 以前の世界に居ます。今に限らず、よく居るのですが、久しぶりに、この世界に長く居る感じがします。"名付け" 以前てそもそもなんなのということですが、僕も今それをちゃんと言語化出来る自信がないのですなぜなら、言語化以前の世界が名付け以前の世界だからです。世界から"名前" が消えた世界。通常、世界そのもの、ではなく"名前" を見ることで物事を分け、構造がハッキリしてくる。ですが僕は今言語化以前の霧のような、世界の背後を漂ううねり=リズムを感じるような世界に今居ます。言葉がうまく出て来ない、計画的な思考が働かない、本が頭に入らないという感じになってます。読書は大大大好きなんだけど、この世界に居るとき読書は捗りません。文章が入ってこないんだもの。代わりに画集がとても入ってきます。玄関先で一服する時は近所の景色に見入ってます。
その人が何を言いたいか、自分が何を言いたいか、ではなく、発話、発声と言う行為そのものが目的になっている状態。岡本太郎のいうような"無目的的な" 状態に居るのです。
考え得るのは、この週末の過ごし方。金曜日は、レッスン一件入っていましたが、それ以外は何もなく、日がな一日ピアノを即興的に弾いたり歌ったり、僕が自ら"稽古" と呼んでいる、練習というよりは身体の奥へ奥へ入ってゆく回路を練るような、瞑想的な色彩も強い練習を普段より長い時間出来た、ということがあります。そしてその翌日はマイメン、我がバンドのベーシストが東京から遊びに来て、我が妻とベーシストと三人で久しぶりに音を出したというのもあるでしょう。それからその次の日は今週末のDJイベントのリハで、ビートに乗りながら小三時間くらいずっとキーボード叩いたりコンガ叩いたり、歌ったり踊ったり照明も真っ赤だったりでトランスしていたというのもあるでしょう。その余韻がまだ続いていて、肉体的体力ではなく、精神的体力を使った感がすごい。とにかく眠いし夢を見る時もハッキリし過ぎていて睡眠中も忙しい。夢と現の境が曖昧。
で、今日はレッスンの仕事が半日入っているからこんな風につらつら書いている場合ではないからもうすぐ書くのを止めるが、あまりにも言語が働かず、レッスンもうまく出来るかわからないので、ちょっと言葉を使う回路を思い出そうと思ってこうして書いているのです。
最近ライブはご無沙汰でしたが、久しぶりにライブを続けた時の消耗感を感じています。そしてこの消耗感は愛しいものだったと思い出しています。帰ってこれないと、日常社会でのコミュニケーションがままならなくなります。言いたいこと言わんとしていることよりも、発話発声そのものに焦点が合いますからね。会話にならんのです。でも音楽的ではあります。
音楽の麻薬性です。この状態、悪くないです。これを伝え広めたいと思っている僕、結構危ない人物かもです。