幸せの推し増し

日記を1週間書かなかったのは、人に言わずに記録したいことが多かったから🫵

久しぶりに新しく推しができた!日々がすごく楽しい。
根がオタクなので推しという言葉が生まれる前から推しなるものと共に生きていたけど、2年ほど前から趣味の比重を9割お笑いにしたあたりからそれがなくなっていた気がする。
芸人は推しではない、これは決めていることです。
他人にわかるように説明できるほど明確ではないけど推しか否かに自分なりの線引きがあって、芸人は「お笑いを好きでいたい」という願望から推しでないとしています。

私はオタクが好きなので、痛バを持ってる人がいたらどのコンテンツのオタクか見てみるし、ヘアメしてるオタクがいたら早起きお疲れ様😊と心の中で唱える。
オタクが好きなオタクなので「推し活」みたいなことも好き。本当はアクスタ持ち歩きたいし、カラフルな飲み物飲みたいし、アニメイト本屋カラオケハシゴして限界オタクトークを1日かます日も欲しい。ブラインド商品に一喜一憂したい。

推しが増えるとその分自分の時間や精神を割く比重が変わって、好きが分散してしまうことが恐ろしく感じるけど、最近は「まあ自分の人生だしな」と思って気にしないようになった。好きが分散してしまうことは、ある意味いち対象に割く心が分散されるから気は楽になる。

何かを好きになる時、嫌いになっても良い応援の仕方をしようと思ってしまう弱さがある。嫌いになった時、嫌いにならなくともその対象が消滅してしまった時、辛くなってしまうのは嫌なのでなるべく人生を与えすぎないようにしてみている。

いつだって好きになるのも、嫌いになるのもオタク側
と私の母親はよく言っている。全くその通りです。
勝手に好きになって勝手にお金を使って時間を使って、勝手に失望して、それでもそれまでのお金と時間を捨てきれずただただ怒ることしかできないオタクがたくさんいる。意味がわからない。誰に頼まれてお金を使ってるわけでもないのに、何を怒ってるんだか。
それを好きになると決めたのは自分でしょう。

私は私の好きに責任を持ちたい。
なのでいつ離れても良い距離感で応援したい。向こうにとって私がいなくなっても問題がないように、私にとってもそうでありたい。それが私の精一杯の誠意です。

好きでい続けるしかないんですけど!応援してる側ができることって好きでい続けることだけで、嫌いになるなんて思ってもないんですけど!それでも私は変わっていくし、向こうだって変わっていくものだから、いつだって私とあなたを大事にしながら、私のためにあなたを好きでいたいです。

とりあえず新しい推しの話をできる友達が地元にいるので9月もう一回実家帰る。

好きと言えるものが増えるのを「幸せ」というのなら!好きであることに自信を持っても良いのではないでしょうか!
今年の目標はずっと「自分なんかが…と思わず好きなものを素直に好きと言う」なのですが、一向に達成できる気配がないです。弱く愚かな人間よ…

孤独の星で誰とも違う宇宙人はひとりぼっちで生きていたけれど、同じように異形で人間ではないたった1匹の獣が共に呼吸をしてくれると知って、少し生きやすくなった!
きっと、幸せなのでしょう!

この好きを守れる私でいたいですね。
お笑いも同じように😊

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