書く人間に生まれて
初めて物語を書いたのはいつだっただろう。
作文、のようなものは、小学1年生の頃に学校の授業で書いたのが初めてだったと思う。
国語の教科書に載っているお話についての感想文。道徳の教科書に載っているお話について、あなたの意見を書いてみましょうみたいな宿題。
でもそれは、『物語』ではないね。
初めて物語を書いたのは、いつだっただろうか。
小学5年生の頃、国語の授業の課題で、『小説』を書いたことがある。
小説といっても、小学生が書くだけあって、短い、拙い内容のものだけど。
有志の募集とかじゃなくて、授業中に、ほんとに全員が書いて提出するものだった。それで、みんなで読んで、どれが面白かったか投票が行われて、なんとなく順位が付くような授業だった。
それが初めての物書きだったか?と聞かれると、そんなことはなかった、はず。
私の記憶が正しければ、小学4年生の頃、既に私は物語を書いていた。作文や感想文ではなく、フィクションの登場人物がいて、それらのキャラクターたちの掛け合いがあるような。
そして完成した小説を、ネットの個人サイトの掲示板に投稿していた。(そして掲示板はそういうものを書き込んで披露するところじゃないと管理人に怒られた。)
正確に言うと、そのサイトは完全R-18の(超マニアックなタイプの)エロサイトで、私が書いていたのもオリジナルエロ小説だったわけだが。
何度考えても、当時10歳。当時、10歳……。
まあそれはいいとして(よくないが)、そうなると私は少なくとも10歳の時点で『書く人間』だったことになる。
あるいは、10歳の頃に、『書く人間』になった。(エロ小説で。)
どんな内容の話を書いていたかははっきりと覚えているのに、どうして書こうと思ったのか、書いてるときどんな気持ちだったのかは覚えていない。
純粋に、低俗な欲望で書き始めたのか?
少なくとも高尚な趣味だと思って書き始めたわけではないと思うし、(内容的に)悪いことをしている自覚はあったと思う。多分。
でも、100%自給自足の気持ちだけで、卑猥な欲望だけで書いていたのかと言われると、そんなこともない気がする。
内容はともかく、『物語』を書くのは楽しかったんじゃないだろうか。
だって、自由だったから。
どこで誰がどんなふうに何をしていても、いっそそれが法に触れるようなことでも、物語の中では自由だったから。なんだってしてよかったから。
なんだって生み出すことができた、から、やっぱり楽しかったように思う。
はっきりと覚えてはいないから、後付けではあるけれど。
そして、11歳の小学5年生の頃、授業で『小説』を書いた時の気持ちははっきりと覚えている。
「私の小説が一番面白い」だ。
ちなみにクラス内での投票結果では、私の小説は2位だった。1位の小説は面白かった。認めたくなかったが、巧かった。面白かった。
私は悔しかった。めちゃくちゃ悔しかった。
だから、この時点で確実に、私は『書く人間』だった。
12歳より後は、安いリングノートにオリジナル小説(エロじゃないやつだよ)をどんどん書いていっていた。いろんな話を思いついて、プロットを書いて、でも当時は全然完結させることができなくて。
初心者あるあるだと思うんだけど、最初っから超大作の長編を書こうとするから、書き切れるわけがないんだよね。
でも、色んな世界観や設定だけは無限に湧き出てきて、キャラクターも空から降ってくるようにどんどん生まれて、私は自分の生み出したキャラクターたちが大好きだった。
多分、初めて書いた小説は、生きてるのがつまらない不良少女が、廃ビルで幽霊の男の子に出会って、仲を深めていくような話。
その次が、修学旅行中に鍾乳洞から異世界にトリップしてしまう中学生たちの話。
その次は……、って書いていくとキリがない。キリがないくらいたくさん、プロットを書いた。今見てみても、なかなか面白いんじゃないかっていうような話がいくつかある。
気が向いたら短編化してどこかで書くかもしれない。わからないけど。
一次創作用の自サイト、みたいなものを初めて作ったのはいつだったかな。
古のホームページ。配布用バナー。隠しページ。ランキング。バトン。あなたは〇人目のお客様だよ!キリ番踏み逃げ禁止!
そういうのを(多分フォレストで)初めて作ったのは……、中学生の頃だったはず。14歳とか15歳とかそのくらいじゃないかな。
そこで、自分の書いた小説を公開していた。短編ばっかりだったけど。
(これめちゃくちゃ年代がバレそうだな?平成一桁生まれだよ)
そういうのがずっと続いて、Twitterで一次創作交流企画!みたいなのをやり始めたのが19歳くらい?のような気がする。
一次創作自サイトはずっとあって(今もある)、創作仲間がネット上で増えていって、交流したりもして、今でも小説は書いているけれど。
でも、成人して、社会人になって、やっぱり小説を書く頻度は減っていったね。
代わりに書くようになったのが、詩だとか、短歌だとか、都都逸だとか。
もしくは、2000字くらいのSS。
あるいは、こういう風な、エッセイだかなんだかわかんないような書き殴り。チラシの裏かな?そんなようなものに限りなく近いもの。
今になって改めて、やっぱり書くのは楽しいなと思う。
自由、だし。自己表現、だし。
なんせ文字が好きだから、美しく文字を並べているだけで満足というか。もちろん他人の文章を読むのも好き。
そして、『物語』に関しては、やっぱり「私の小説が一番面白い」と思い続けているね。これはもう、一生言ってると思う。ハッピー戯言。
書く人間はね、豊かなんですよね。
純粋に、表現のための語彙をひとよりもたくさん持っているから。
その分、インプットにしろアウトプットにしろ、幅が広い。
赤青黄しか色を知らない人間が眺める絵よりも、赤と黄の間の色を知っている人間が眺める絵の方がきっと豊かに見える、というのと同じように。
豊かって言うと語弊があるかな。
解像度が高い。世界の。ひいては、人生の。
だから優れているかとか、だから楽しくて幸福かと聞かれるとわからないけれども。でも、私は、言葉(というか、この、多彩すぎる、日本語というやつ!)で表される世界が、人生が好きだし、美しいと思うよ。
ちなみに、蛇足かもしれないけれど、生まれて初めて単行本の小説を買って読んだのも、小学5年生、11歳の頃だった気がするな。
北川悦吏子さんの、『愛していると言ってくれ』。
表紙とタイトルだけ見てあらすじも読まずに買ったんだけど、これが面白くて、そこから北川悦吏子さんにドハマりしたんだよね。
ちなみに一番好きなのは『LOVE STORY』です。主人公の美咲(編集者)もめちゃくちゃ好きなんだけど、永瀬先生(小説家)がほんっとうに好き。当時も好きだったし今も好き。あとは個人的に香乃ちゃんがツボ。
今でも読める(購入できる)のかどうかちょっとわからないけれども、興味がある人は是非読んでみてほしい。
何の話だったかな。
そう、書く人間と書かない人間は何で決まるのかな、いつどうやって分かれるのかなって思ったんだけれども。
わからないから、やっぱり、『書く人間に生まれた』か『生まれなかった』かの違いかなって思うのだけれど。
私は、書く人間に生まれてよかったな、と思う。
そういう話でした。