やさしいまなざしになりたい。
落ち込むことがあったとき。いつもどおりに過ごしているつもりでも「なんか、元気ないね?」と声をかけてくれる人がいる。そのたび、感覚の鋭い人には敵わないなあ、と心底思う。
人の心は目にあらわれると言うけれど、わたしはいつも、たくさんの人たちがくれる「やさしいまなざし」に救われている。
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「さいきんnote書いてないね。」
会う人会う人に言われて、はぐらかして笑っていたけど、ほんとはちょっと悩んでたんだ。やっと気持ちが戻ってきたので、そのことを書くね。
じつは、年が明けてから「うまく書けない自分」に妙なプレッシャーを感じて、押しつぶされそうになっていました。
「うまく」っていうのは、わたしが「自分らしくない」とジャッジしたってことね。文章力が足りん!とか、完璧主義なので!ってことではなく。ただ、自分の書く言葉が嫌だった。書いても、書いても、好きになれなかった。
それは、選択した環境とか、うまくいかない人間関係に、心を乱していたから。精神状態が文章にあらわれていた。つまりは影響を受けやすいせい。
苦手なことをムリしてやって、逃げちゃダメだと向き合って、でも理想どおりにいかなくて。すっごく窮屈な状況だった。
だけど、ウジウジ悩んでいてもしょうがない。
身の置き場がないときほど、冷静に考える。
「自分がここにいなければいけない理由はなんだろう」って。
それが思い出せないのであれば、やめたっていい。でも、わたしには変わらない目標があって、今回選んだ環境は、わたしが辿るべきプロセスだと思ったから。だから、つらくても、うまくいかなくても、絶対に逃げないって決めた。(具体的に「何が」とは書かないから、わかりづらくてごめんね。)
とはいえ、腹をくくっても、信念だけでうまくいくほど、簡単じゃない。
負のループを抜け出せない憤りから、弱音吐いて、人前で大泣きしたこともあった。尊敬している人生の大先輩は、そんなわたしをみて「泣いてしまうくらい、本気でやってんだろ。いいじゃん。」と言ってくれた。友人は「ちょっとでも気が晴れるように」と冗談で笑わせてくれた。みんな、これでもかってくらいやさしいまなざしで、わたしをみてくれて。うれしかったなあ。
苦しくてもやりきったいま、見つけた答えは、ごくごくシンプル。
わたしを惑わせるのは、いつもわたし自身だ、ということ。
誰かや何かのせいにしたくなるのは、自分に自信がないから、ということ。
自分の意志さえハッキリしていれば、傷つくことを言われても、へこたれることはないのに。(一時的に気持ちが揺らぐことはあるかもしれないけど。)自分を見失いすぎていたなあ。ちょっと反省。
ひとりでジーっと考えてばかりいると、次第に思考が凝り固まっていく。そんなとき「大丈夫だよ」って心を砕いてくれるのは、周りの人たち。
強がりなわたしは、勝手にひとりで空回って、身動きが取れなくなって、うんと落ち込んだりするけれど。いつだって心細い気持ちにならないのは、そばにいて、あたたかい言葉をかけてくれる人がいるから。これに尽きる。
周りにいる他人と関わることでようやく生きていける。
わたしは、ひとりで生きているわけではない。そう思える。
何をしても肩透かしを食らった期間は、つらかったけど学びも多かった。
何度も言うけど、やめなかったのは、周りにいてくれる人たちが励ましてくれたおかげ。支えてもらわなければ、きっと、へこたれていた。
心の揺らぎがその人らしさを作ってゆくのだとしたら、わたしは、前よりうんと「わたしらしく」なったと思う。いまの自分に、ほんのちょっとだけ胸を張りたい。そして、わたしに関わってくれる人たちを、誇りたい。
まだまだやりたいことがたくさん。
これからも、こうやって、弱くて不出来なところも隠さずに見てもらって、一歩一歩進んでいきます。
わたしはいつも、たくさんの人がくれる「やさしいまなざし」に救われている。そのあたたかさに見守ってもらえる限り、くじけても、何度でも立ち上がって、頑張っていけるような気がするのです。
出会ってくれて、ありがとう。
わたしも、あなたのように「やさしいまなざし」をおくれる人になりたい。これからもよろしくね。だいすきです。