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春馬さんに聞けなかった出来事

福祉の相談を行っているといつも自分とは違った家の様子を知ることができる。そして、ハッピーエンドになることはあまりない。そもそもハッピーとはどんな感情なのかが、最近よく分からなくなっていることに気が付いた。

そのご夫妻は、麻痺のある夫を10年以上介護をしてきている。70代の後半で夫の担当させていただいた。その妻は絵本画家の仕事を少しされていて、その家には作品が並べてあり昭和の香りが漂って記憶をくすぐるような作品やメルヘンチックな作品などが多かった。鑑賞させていただくことが楽しみであった。
絵は構図がないそうである。「描いているうちに変化していくのが絵であり、構図が最初から決まっているのは、イラストなのよ。」と教えて頂いたことが記憶に残る。

自然のでこぼこの小さな可憐な白い花が脇に咲き並んでいる小道。歩いていくと突き当りにある不思議の国のようなおうちだった。そう、でこぼこなので車いすで移動するのが大変に不自由なのだけど、妻は改修をしてコンクリートで平らにすることは嫌った。でも車いすで通院もされていたし食べることが大好きな夫の好みに合わせて毎日手の込んだ食事を作っていた。
夫は視床下部からの指令で痛みが頭から離れれずに「痛い、痛い。」と念仏のように毎日言っていた。
妻はこちらも返答や聞き流すのが大変だわと嘆いていた。
そして、支援するようになってから数年が経過した。そもそも年齢と共に歳相応の老化現象もあるわけで不自由な人はそれが普通にの二乗的に身体状況が低下していく。もちろん精神的な健康さも並行して低下していくものである。
だけど、健常者のようには元気ではないけれどどうにか二人で暮らしていた。

ある日、いつものように訪問した。夫がベッドで横になって目を閉じていた。顔色は悪かったが寝ている様子であった。そういう日も多くはなってきていたので気にしなかった。
すると、妻「数日前から体調が悪くて立てなくなっている。」私「病院には行かれたのですか。」
妻「歩けないから主治医に行き病状説明をして服薬をもらってきた。」私「そうですか。食事はとれているのですか。」
妻「だんだん食べれるようになってきている。良くなってきているから大丈夫だから。」私「そうなのですね。様子をみて急変時には救急車を呼んでください。」
知識としても経験としても高齢者の急変時は遅いことが多く、急変前に病院に行くことは鉄則なのであるのだが、私「違う病院に行きますか。」妻「大丈夫、良くなってきているから様子を見たい。」
確認をして帰ることにした。
こんな時、それぞれの家庭の考えはなるべく理解しておき共有できるようにしてはいる。
その時の私は、強い言い方は迷わずに出てこなかった。この家の雰囲気がそうさせたのかもしれない。
そして、次の日に夫が急変して亡くなった知らせを頂いた。亡くなったら支援者は終了である。最期の様子は聞く機会はもうない。

あの時に何と声を掛ければ良かったのだろう。適切な言葉は思い当たらない。その時もこれからもずっとだと思う。
正解はない。一日前に病院に運ばれても延命措置をしてどんな状態になっていたかは誰もが想像すらできないからである。

社会福祉の臨床現場ではケースワーカーとの専門的な援助関係が重要である。
F・Pバイスティック牧師はアメリカの司祭であり第二次世界大戦後に定義したバイスティックの7つの原則がある。援助関係を形成する技法の基本である。
その中の一つに「援助者は感情を自覚して吟味する。」を思い起こした。
その内容は、支援者はクライエントの感情に対する感受性を持ちクライエントの感情を理解する。
援助という目的を意識しながら、クライエントの感情に適切な形で反応することである。とあるが、本人ではなくこの家庭の場合は発言していない夫の分も代弁している妻と私は判断したのだが、これでよかったのか。

いつものように春馬さんに問いかけたい。だけど、春馬さん自身も「人生とは」「死とは」忙しく人の何倍もの仕事をこなす中で、一人悩んでいたのかもしれない・・・だから、どこにも正解はないのだと思う。

役者さんも色々な役柄を演じるにあたり、演技しているうちに自分以外の複雑な感情が沸き起こるのではないか。相談業もその人の立場になって考えてみることは難しいし自分以外の人の考えることは簡単にわからない。
だけど考えたい。少しでも周囲の人とエンパシーを感じ合いたい。対人援助である前に1人の人間同士でありたい。

そして、自分の母の不治の病気という状態も重なって、鬱々としている精神状態の中で、「尊厳死とは」と考えさせられた出来事だった。

⭐後日⭐

妻より今までの支援のお礼の内容の連絡を頂いた。「色々有りましたが、後悔はなく介護ができました。有り難うございました。」とお別れの言葉を交わした。
これで良かったのかもしれない。
そして冗談がお好きでデイサービスで周囲を笑わせるような人柄だった本人の顔が浮かんだ。妻の作る食事が大好きでもあった人。

お疲れ様でしたと心のなかでお悔やみの気持ちと未熟な支援の反省の気持ちをお伝えした。


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