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大切なことはすべて母が教えてくれた

最後のnoteでのつぶやきから3か月が経ってしっまった。こうして、久ぶりにnoteを開く時間ができた。
家で看取るはずの病気の母が、予想外のアクシデントが起きて最期の入院となったのだ。

介護の始まりは、精神疾患を持つ病識のない母との同居である。
一人暮らしでなくなれば被害妄想も治まり、きっとうまくいくに違いないと判断したのが甘かった。
現在は、同居して14年近くになった。
病気からくるものもあるが、元からの自由奔放な母の性格との親子の確執の感情に自分も体調を崩しながらの生活だった。
私には姉がいるが、20歳代に交通事故にあい高次機能障害の後遺症がある。
母の介護は行えないために一人で行うしかない。
義理の関係の兄弟や息子たちは、親の介護についてはやはり、私とは違う立場であることも孤独だった。
住まいを共にしたために、経済的なことや判断力が低下した親の最期は代弁者として母の意向を推理して決めなくてはならない。
迷いに迷うことばかりだった。
入院して意識が戻らない現在も終わったわけではないのだけれど。

三浦春馬のドラマに『大切なことはすべて君が教えてくれた』という月9初主演の作品がある。
修二という高校の教師役である。夏実という婚約者がいるにも関わらず、ひかりという家庭環境や生い立ちに悩みをもつ教え子への恋愛感情をもってしまいそうになる。
その気持ちのままでは結婚できないと悩みながら葛藤して自分で行動することにより、教師としても人として自分を改めて見直し大人になっていくという奥深いドラマである。
見る側もしっかり鑑賞しないと深い人の感情に気づけない。
「どうしてこうなるのかしら?」と考える場面もある。
一話一話を観終えた後にも、自分なりに修二や夏実やひかりの気持ちを考えていかないと中々、面白さは解かりずらい。
出来事に迷いながらその解決策を自分で判断をして決める。人は迷うものであるがその対応が人を成長させる。とても心に残る三浦春馬作品である。
当時20歳の三浦春馬がその役を繊細な演技で演じている。言葉のトーンや表情で自分の成長をわかるように演じるなんて、やはり後々判明する「てんがらもん三浦春馬」の素質が良くわかる。

『大切なことはすべて母が教えてくれた』と思う。
もし、自分が介護しなくてよい立場であったらと想像するとどんな生活を送っていたかは確かめようがない。
多分、今より思慮深くはなかったし困っている人の気持ちを理解しようとする考えや感情は少なかったと感じる。
福祉の相談役という職業をもつ私にとり、親の介護をさせていただけたという貴重な体験は宝ものだった。

近隣の医師や放射線治療を行った大学病院の医師や看取りの訪問診療の医師にもお世話になった。
今回の入院は、癌の末期で看取る時期では未だないのに癌からくる予想外の症状を発見からだ。
見つけて下さいったのは、月に一回腎瘻の管を取り換える総合病院の医師である。
現代は高齢化社会であり、高齢者の医療費も社会保障費を逼迫させるため、積極的な治療はしない方向性も多い。
選択できない人も多いが、積極的治療の腎瘻にも協力してくださった。
そして、何よりCT映像や血液検査をみながら全部指さして丁寧に説明をしてくださった。
私の病気に対する質問や腎瘻にする選択の意見に対しても受け入れてくださった。
感謝しかない。

介護職なので、知人にヘルパーさんが数人いる。
介護保険は、訪問介護の場合は、身体介護といい体に触れる介護の場合は、長くて1時間が限度である。実際に支援内容を行っている時間しか介護保険は使えない。
だから、見守り支援はできないのである。
知人のヘルパーさんに、見守り介護を頼んでみたら快く引き受けてくださった。勿論、仕事としてお願いすることになった。
結局は何回かしか依頼はしなかったが、母への優しい声掛けや丁寧な身体介護をして頂けて有り難かった。又、介護者への労いの言葉も心細い私の心に響いた。
私の仕事は、自分の担当利用者が決まっているので介護休暇はとりずらい。だから職場も在宅ワーク扱いを代表へ相談したが、そうして頂けた。

優しくない未熟な娘であったが、最期まで私の介護を受けてくれた。実状は、嫌でもそうせざる負えなかったのだけど。
終末期の病気が分かり重度の身体介護の介護期間は短かったこともあると思う。
色々と母は母なりに私へ対して不満はあったと思う。
せん妄の中だから、相手が娘とわからないかもしれない。そうであったとしても、「有り難うね。」と言ってくれた母にも感謝したい。
介護生活には、予想とおりに行かないことが多い。その中で、医師や看護師の言葉に傷つく事も多い。立場が違うので仕方がないことばかりである。
不満を言ったらきりがない。
病気は予測がつかないのものであり、どのような症状が出るのか予想が外れることがある。一人ずつ違うのだと思う。それに対処するのは、困難でありタイミングもあると感じた。

母は、今月の25日で91歳になる。
不治の病が分かった時に、「自分の母親が90歳で亡くなっているので私もその年齢なのよね。」と言っていた。
寿命だと受け入れられる強い母である。そして、悪運が強い人でもあった。癌の末期の苦しみがないこともその運なのかもしれない。

母が思いがけずに入院となった今、父のお仏壇や地元の氏神様へ「苦しみがありません様に」と手を合わせている。

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