前へ、前へ、匍匐前進

2024年令和6年7月文月11日木曜日、久し振りに、梅雨らしいお天気です。

長年の疲れなのか、難病のせいなのか、
気温、気圧、湿度のせいなのか、
体調が、優れません。

今日は、ゆっくり、身体と、精神と心を休めます。

さて、昨年近所の邸宅解体により、鼠が、自宅へ来ていました。あいにく、私は、2年前に、交通事故で肋骨を骨折して、一人で暮らすことが不自由になりました。

元々、上肢下肢身体障がいです。障がい2級ですが、自助の工夫と、同じ敷地内、隣の家に住む両親の支援で生活していました。

肋骨骨折時に、介護認定持っていませんでした。(難病があるので、障がい手帳があっても、福祉のサービスを、受けられません。介護認定受ければ、良いのですが、なんとなく、介護認定受けないまま、仕事を続けていました。一昨年、要介護2となりしたが、私の住んでいる自治体でケアてさんを探すのに、今年の3月末迄かかりました)
留守にしていた、2年間、完全に留守にしていました。私の家は、自分で拘って設計して建てました。アレルギーもあるので、天然木と珪藻土を使い、バリアフリーで、エレベーターを、付けています。20年前に、親の土地の隣に、細長く空き地が出来た為に、私が購入して、家を建てました。もちろん当時は、健康、健常で、バリバリ仕事を、しておりました。出張、残業、休日出勤と、大変忙しく、とても楽しく、仕事に、没頭して熱中していました。そこで、精神的にも、肉体的にも、魂的にも癒される、いやしろ地にすることにしました。

有難いことにITバブルで、入社以来購入していた社内持ち株が、400円だったものが、6000円となりました。入社以来行っていた住宅財形もそれなりにありまして、ローン無しで、土地と家屋が準備出来ました。

22年前6月に、地鎮祭“を行いました。
そして地鎮祭の一ヵ月後の、海の日に、近所のお稽古事への移動中の押しボタン式の信号横断しました。ちょっと急いだので、普段は、決して通らない、神社横の横断歩道です。
押しボタンを押して、横断歩道手前で、赤信号を待ち、青信号となりました。道の先には、大きな量販店がありまして、駐車場への自動車の列が、横断歩道を挟んで、続いていました。

そのせいで、向こう車線の道路状況、車がいるいない等々については、見えませんでした。

信号が替わり、横断し始めた所で、私の記憶は、途絶えています。

その後、救急搬送先の病院で、頭蓋骨の裂傷をホチキスでパチパチ留められた時の激痛で、意識戻りましたが、あまりにも堪えきれない痛みでまた、意識失いました。

後で、意識が戻った後の説明によると、
青信号で横断中、飲料水の配送トラックに跳ねられた、そうです。

頭蓋骨11センチ割れました。左膝骨折、頚椎、脊椎、腰椎、打撲捻挫しました。
この昏睡4日の中で、1回目の臨死を体験しました。

昏睡4日、入院5ヶ月、自宅療養ひとつき後、交通事故受傷から6ヶ月で復職しました。

入院中にも、病室で、建設会社の方々と打合せを行いました。
その甲斐あって、退院した時には、バリアフリーで、エレベーターのある新しい私の家に戻りました。

足の手術の1年後、骨折した骨の支えとして入っていた、チタンの10センチ以上の棒を取り出す手術を受ける為に入院しました。
その足の再手術の入院の回診で、聴診器使用の際、痼が見つかりました。様々な検査をしました。細胞針の結果が、class5ということで、乳癌が見つかりました。

整形外科で入院してました。乳腺外科の医師が不適切な言動なさいました。
消灯直前の三人部屋へ入ってきて、
『細胞針の結果、class5だから、来週水曜日、全摘ね』と、三十代未婚の私におっしゃいました。
『まだ、他の検査結果も出揃うことがない内に、他の人もおられる病室のこんなお時間に、そんな乱暴なお話は、いかがなものか』と、申しました。

実際に同室のお二方は、お優しく、泣いておられました。

『このようなご発言なさるあなたのお立場は?』とお尋ねすると

『俺は、乳腺外科の医長だぁ、ここの医療機関は、手術スケジュールがいっぱいなので直ぐ押さえるのだ。言うこと、聞かない患者は、退院だぁ!この病院では、手術出来ないぞぉ!』と最後は、怒鳴るように、叫ばれました。
看護師が飛んできて、(多分、同室のお二人の内どちらかが、ナースコールなさったのでしょう。)
私は、その後、元々の難病でお世話になっております、女医の方と、お話するように、看護師の方に誘導されました。消灯後に、難病でお世話になっています、主治医と、面談しまして、こちらの医療機関以外での、乳癌の手術、その後加療をお願いするように、紹介状を書いて下さいました。

こちらの医療機関では、整形外科と、難病指定の主治医の専門科の入院患者となりました。
そして、16箇所の医療機関を訪れて、納得の行く、医療機関を見つけました。

厚生労働省と、製薬会社、大学病院等々、が、癌患者というものを、どう捉えて、どう扱うのかという、基本的な、スタンスを學びました。

私は、患者の立場に立って、患者の気持ちに寄り添って下さる、医療機関を探しました。

実際に、該当の医療機関へ行き、担当医にお目にかかると、そこのみなさまの、癌患者への、姿勢が良く理解出来ます。
世の中一般的な評判とは全く別の状況だと、確認出来ます。
車椅子利用の立場ですから、スタッフから、不親切、傲慢な態度を取られ、コミュニケーション能力が低い方達だったりガッカリする事が、殆どでした。
そして、確認作業の後で、私が、納得する事が、出来る医療機関を、見つけました。
その医療機関で、手術を致しました。

残念ながら、リンパに転移していました。放射線治療で癌細胞を小さくしてからに化学療法する事になりました。
最初の抗癌剤治療でアナフィラキシーショックをおこし、心停止致しました。
蘇生して頂きました。これが、2回目の臨死体験となりました。

規定回数の抗癌剤を投与して頂きました。
すると、風邪の症状が出て、咳が止まらず、ひとつきで体重が6キロ減少しました。

抗癌剤の副作用で咳喘息となりました。また、副作用でリュウマチを発症しました。

この咳喘息の発作で、肋骨が折れて、3回目の臨死体験となりました。

友人は、私を『ダイハード3のオンナ』と名付けました。

さて、ダイハード3のオンナである私は、復職してからも、ダイハード続きでした。匍匐前進して、毎日毎日努力して身体と精神と魂を奮い立てて、いました。

そんな理不尽な中、もう少しで難病が、寛解となりつつありました。
ところが、人事担当者から理不尽な、業績命令が下されました。
私にとって禁避事項の作業を、業務指示として出したのです。
断れば、降格すると言われました。3日間、不適切、理不尽な、業務を、遂行して、案の定、難病が、一気に、悪化しました。起き上がることも、何もできなくなりました。悪化した為に、自宅療養する事になりました。

自宅療養していても、難病の定期点滴治療の為に、4週間に2回、通院加療して頂いております。

そんな、訳で、虎の門にある医療機関ヘ難病の定期的に、通院加療して頂いております。
難病治療検査受ける為の通院の後、交通事故に遭いました。今度の事故では、意識は、全てありました。

信号の無い、自宅近くの住宅の道路を、横断している時に、、車椅子の足置きステップに黒いモノが見えて見ると自家用車のタイヤでした。

そのまま行くと、足が潰されると、瞬間、そのまま前にダイブしました。その時、車椅子の右側にコントローラーがあります。
そこで、肋骨折れて、前にダイブしたので、前転して、道路に仰向けに、大の字に寝る事になりました。

通行人が、駆け寄り、呼び掛けて下さいました。

そして、救急搬送されました。虎の門にある医療機関通院の後で、ありましたから、救急隊員にその旨伝えてお願いしましたが、ちょうど、行動制限厳しい時の話で、その医療機関ヘは、行けませんでした。翌日、点滴治療の為の通院側あるので、まあ、評判よくない医療機関で、納得いかない、検査でしたが、我慢しました。

こちらの医療機関の救急医療の体制を見せて頂きました。
肋骨骨折治療は、いわゆる、時薬です。為す術無いです。

この交通事故で自宅ではなく、ホテル暮らしがはじまりました。

そして、留守している時に、近隣の邸宅の解体工事きっかけで、鼠が、天然木の私の自宅を囓って、住み着いたようです。解体工事始まって、帰宅すると、私の自宅の玄関前に、鼠のご遺体が横たわっていました。

おうちの炬燵の中とか、段ボールの中とか、引き出しの中とか、テレビの後ろとか、アチコチにご遺体と、シュレッダーかけたような、布や木屑とか、いろいろフワフワしたモノを、敷き積めて居心地の好さそうなおうちを作っていました。

不要品を片付けて、住めるように整えたいです。そんな、訳で、鼠、害虫達に、我が家は、台無しにされてしまいました。               今年の3月末に、鼠の害と、害虫駆除の為に、自宅のポストに投函されていた、チラシを見て、Dという会社に見積もり依頼しました。
Dという会社は、家のクリーニング、モップ、等々お掃除グッズ、お掃除等々を生業として有名な会社です。

体調悪く、ホテル暮らしの私は、見積書の見積書の作業項目等々質問する事は、しませんでした。
滞在先ホテルから、朝イチで緩和ケアを受けます。そして免疫力向上の為の治療を受ける為に、移動します。

車椅子で公共交通機関ご利用して移動しています。
肉体的、精神的に、かなり負担となっておりました。元々の難病や、複数の重篤な病と共に生きております。

見積書に基づいて、作業をお願いしました。

朝から夕方迄で、作業は、終わりました。

体調最悪で、説明も真剣に聴きたかったのですが、ホテルへまた、戻る事を考えるとそうもいきませんでした。

後日、いろいろ確認し、友人達に見て貰って、やはり、納得いかない状況となっておりました。
責任者呼んで、こちらの希望する事と、相当乖離している事をお伝えしました。
何よりも、作業した内容を報告書にして欲しいとお願いしました。

見積書に書かれている項目と、実際に行った作業内容が、どういう歓迎なのか、理解したいのです。

行った作業内容の経費等も知りたかったのです。

依頼した書類が届かないまま、時間だけ過ぎました。

仕方ないので、消費者センターへ相談に行きました。消費者センターへ行くと、何と担当者が、25年働いておられたのに、6月で退職されておられました。退職したら、別のひとが引き継いで行うべきだと考えます。
消費者センターの担当者から、Dの責任者に、こちらの希望する書類の提出をお願いして頂きました。

すると、三月頂いた見積書がそのまま投函されました。

作業報告書、請求書は、ありません。

4月に行った作業に対する、対価は、請求しないということなのでしょうか?

消費者センターの担当者もかなり呆れておられました。

こんなレベルの低い、ビジネスコミュニケーション能力でスッカリ騙されてしまいました。

拘って、建てた自宅の珪藻土の素敵な天井近くの壁に、ぐるりと金網が回されています。

小学校の兎小屋や、鶏小屋に囲っている金網と同じです。そんな金網がぐるりと囲うリビングには、とてもではありませが、住むことは、無理です。

別の鼠対策、害虫駆除、消毒する会社に、フォローして貰いたいです。

コミュニケーション不全、
ビジネスセンス未熟、
仕事に対する誠意欠如、
顧客への配慮皆無、
満足度向上への努力無し、

これ程、不思議な業者さんだとは、気付きませんでした。

残念な経験です。肉体的、精神的ダメージが、計り知れないです。

一方、寄り添って下さる存在をには、感謝してもしきれません。

引き続き、よろしくご支援お願い致します。

全て、私の人生に起こることに、感謝します。
起きること全てに感謝して、どんなものも、味わい、堪能します。

艱難辛苦を、味わい、感謝して匍匐前進します。

前へ前へ
少しでも
高く高く

清々しく、清らかに、微笑みながら、

味わい尽くします。






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