8500万円の負債を背負う33歳1人社長

初めまして。
負債8500万円くんです。
僕と同じように会社経営、負債で思い詰めてる人の少しでも希望の光になれたらと思いありのままの現状を発信していきます。

まず簡単に自己紹介をさせて頂きますね。

嫁、息子2人の4人家族の33歳
設立3年目の内装、外構、解体業を営んでいる1人社長


僕は今人生、

いや、

人として底辺にいます。

負債が8500万円あります。

内訳として
銀行(プロパ融資)500万
協力業者6000万
両親2000万


毎日数十件、取り立ての電話、LINEが来ます。

深夜早朝問わず毎日、取り立ての訪問が家にきます。

大切な家族に怖い思いをさせていて、
平和な日常を送らせることが出来ず、
一家の大黒柱として情けなさすぎる。


「申し訳ない。」


この一言しか頭に浮かんでこない。


僕は4人兄妹の3番目として育ちました。
父は警察官。
母は専業主婦。

持ち家ではあったが古い木造で自分の部屋もなく、僕以外女姉妹でどこか居心地が悪く生活してきました。
又、家庭は裕福ではなく、幼少期から流行り物は我慢し買って貰えませんでした。

僕の友達は自営業者、地主の息子が多く、
最新のゲーム、おもちゃをたくさん持っていて、
そんな子たちが昔から羨ましく、心の中では大嫌いでした。

僕は幼少期から

「大人になったら大金持ちになって、好きな物を好きなだけ買うんだ」


そう胸に秘めて生きてきました。


僕は小学5年生からサッカーを始めました。

人生で初めて物事にのめりこみました。


365日24時間サッカーの事しか考えておらず、夢中になりました。

本気で僕はプロになれると思って練習してました。


中学生でキャプテンになり都大会に7年ぶり出る事を目標に、言うことの聞かない同級生、部下をまとめてきました。


目標を無事に達成することができ、
僕は自信と仲間の大切さをとてもこの時学びました。

高校生になるとすぐにアルバイトを始めました。
※サッカー部のルールではアルバイト禁止

夜の19時30分まで部活をし21時までの1時間半お皿洗いを毎日しに行ってました。


そこで貰えた給料は3万円。


僕にとっては大金でした。


「欲しいものを自分が苦労すれば手に入れられる。」


この感覚を16歳で経験しました。


高校卒業間近進路を考える時、


僕は


「将来何かの社長になりたい。」



そう思ってなんとなく人生を過ごしてました。



お金持ち=社長


ずっとこのように考えていました。


ただやりたい仕事もなく、

なんの技術もなく

漠然とただ何かの社長になってお金持ちにいつかなりたいと思っていました。


結局周りに流されて
なんとなく大学に進学しました。


寝たい時に寝て、起きたい時に起きて
適当に大学に通って
毎日時間を無駄にしてました。


そんなある日

僕は人生の転機を迎えました。


同級生から


「アンテナの撤去工事のバイトしない?日給9000円!」



小規模で運営してる電気通信会社のお仕事でした。

僕は人生で社長という知り合いが1人もいませんでした。

ここでアルバイトをすれば社長がどういうものなのか間近で見ることができると思い、
撤去工事のアルバイトをすることにしました。


肉体労働は初めてで本当にきつかったです。

でも体力と根性には自信はあったので、
わからないなりに作業が終わったら
「何すればいいですか」を口癖に一生懸命仕事しました。

社長に可愛がってもらい仕事終わりには食事に連れてってもらい、ひたすら社長になったきっかけや苦労話、良い話、悪い話をたくさん聞かせてもらいました。

短期間でお話を貰っていたアルバイトでしたが、
気に入ってもらい電気通信工事のアルバイトもさせて頂けるようになりました。


大学生をやりながら一般企業で仕事をしている自分が特別に感じとても誇らしく感じていました。

怒られながらも仕事を少しずつ覚えていき、
気がついたら職人という仕事が僕は好きなっていました。


「いつか建設関係の社長になる!」


この頃初めて自分の将来の夢が明確になりました。

電気通信会社に大学4年間お世話になりましたが、
僕は就職活動のタイミングでIT企業への就職を決めました。


家にはパソコンがなかった為、タイピングもろくに出来ないし、大っ嫌いでした。

しかしこの先社会で生きていく為にパソコンは必ず必要になってくるので、将来の為に2年間専門学校に行ってるつもりで働こうと思い、就職しました。



案の定毎日地獄の日々でした。



先輩方には毎日ポンコツ呼ばわりされ、
仕事が遅いので毎日始発からの終電。

とにかく我慢をして2年間乗り切りました。


気がつけば大嫌いだったパソコンが得意になりました。


僕はこの時に

「なんでもやってれば出来る」


こう思いました。


この時30歳で建設業の会社を立ち上げたいと、思っていたので、次は営業を学び建設業界の人脈を広げたくとある中規模の建設会社に就職しました。


右肩上がりで業績を上げている勢いのある会社でした。

会社の成長段階にあり、これから更に拡大していくタイミングだった為、初の支店展開を計画していました。

僕は新人だった為、
真っ先に指名され客もいない。業者もいない。地理もわからない。
そんな状況で自宅から2時間かけて通い、6年間仕事をしました。

なにもわからないなりに考え、
行動しなんとか数字が上げられ


僕は

「0→1」

を作る自信がつきました。


その後独立間際に
知人と共同で地方に会社を立ち上げ

地方でも同じビジネスモデルで展開したが
売り上げが立つようになり益々自信がついていきました。


「俺はどこでも生きていけるし、必ずなんとかなる」


異常な程、自分に自信がありました。


6年間お世話になった会社を辞め、すぐに創業しました。


リフォーム屋として。



リフォームなんて一回もした事ありませんでした。


見積もりも叩いた事もない。

業者もいない。

知識もない。

何もない状況で主軸にリフォーム事業を置く事に周りからは否定しかされませんでした。


僕はこの先の日本市場を考えると
リフォームが一番長く需要があると考え今のうちから苦労して構築したいと考えていました。

幸い前会社の取引先からリフォームのお話をいくつか頂き、独立後すぐに2000万程受注しました。


なにもかも初めての中、
独学で資料を作成し、
打ち合わせを進めながら、
業者を探し手配し、
なんとか現場は引き渡しが出来ました。




しかし



ここから人生は狂い始めました。




2000万のうち1000万の未入金を受けてしまいました。

開業祝いという形で頂いたお仕事で。。。


1000万の埋め合わせをする為に動かなきゃいけない。

営業もしなきゃいけない。

仕事も覚えなきゃいけない。

業者も増やさなきゃいけない。

休みなど取れず、夜も眠れずひたすら目の前のことに取り組んでいました。



そこで銀行への創業融資を相談。


売り上げを評価され恐らく融資はおりるだろうとの見解で銀行に言われた通りの資料を準備しました。


結果は否決。


弊社は建設業許可を持っていませんでした。


にも関わらず500万円以上の工事をしてしまっていたので、その部分が要因となり否決。


銀行からお情けでプロパー融資を出して頂きました。


なお運転資金は枯渇している状況でなんとか自転車操業をして回していました。


その状況で店舗内装の営業に強い地元の仲がいい先輩が弊社に入りたいと相談が。


僕はとても悩みました。


この火だるまの状況で入社させて巻き込むのは嫌だったので。

しかし先輩はすぐに会社を辞めてしまい、僕と一緒に働く事になってしまいました。

僕はこの会社の状況を彼に言えずに隠した形で共に仕事をしました。

彼は肩書き上、専務という形にし、収入面や経費に関して社長の僕と同等の待遇にしました。



いろいろ書いていたのですが、、、
消えてしまったので書く気が失せました笑


簡潔に書くと
仕事しながら損失を埋める為に売上金から役員貸付金で個人的に投資をしそれが失敗して会社が回らなくなってしまいました。

なんとか支払いを回す為にとにかく営業に力を入れ、
1期目から年商2億円を売り上げました。
利益は3000万程度。

2期目で専務と従業員による横領が発覚し支払い不能に陥り、融資の相談を国庫にしてみるが、役員貸付金が原因で取り合ってもらえず。。。

辞めた人間の現場後始末対応費、更なる未入金
により負債が膨れ上がっていきました。

2期目はほぼ1人での可動であったが年商は2億到達。

債権者からの圧力、話し合いに時間を奪われ新規の仕事が出来ず精神状態的にも鬱状態になってしまいました。


まともに対応できていない債権者が半数もいます。

心の中で申し訳ない気持ちがあるのだが、
対応していると返済するための仕事が確保できない。

人としての対応を優先すべきなのか。
お金を優先すべきなのか。

正直なにもわからない。

僕が実は上手くいってなかったことを知って
離れた人間がほとんどだった。

今までの人生薄っぺらい人付き合いだった事を思い知らされた。

それでも僕の再起を信じてこんなクズな自分に手を差しのべていまだに協力をしてくれる仲間が何人かいます。


僕はその仲間を裏切りたくない。


絶対復活する。


信じてついてきてくれた人たちに


僕は一生をかけて恩を返していかなくてはいけない。


僕に対して恨みを持っている人はかなり多くいると思います。


恨まれて当然だと思います。


僕のした事、してる事は死んで片付く話ではありません。


何度も死にたくなったし、何度も脅された。


けど僕は必ず負債を解消させて


大きくなる。


人生ど底辺の僕に変わらず接してくれた仲間たちにあの時力を貸して良かったって言ってもらえるように必ず立ち上がってみせる。


僕のV字回復劇場を見守ってください。







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