デマだと分かっていても買い占める合理的理由
このところ、新型コロナウイルスの流行に起因する、マスクやトイレットペーパーの買い占めが問題になっていた。
トイレットペーパーについては早い段階から、不足するというのはデマであるという情報が(公的機関からも)伝えられていたわけだが、実際に品薄になってしまった店舗も出たようである。
どうして、このような買い占めが起こってしまったのだろうか?
デマを信じてしまった可能性はある。しかしながら、これだけ様々な方面(公的機関からSNSまで)から情報が流されている状態において、そのいずれにも触れないことができるだろうか。
つまり、可能性として最も大きいのは、デマを信じていないにもかかわらず買い占めに走った人間がいるというものである。
転売ヤーの事でしょ。と思ったそこのあなた。善良な市民でも、買い占めに走る合理的な理由があると言ったら、驚かれるだろうか?
もしこれが、野菜や肉など日持ちのしにくい物であったならば、買い占めも起らなかったかもしれない。トイレットペーパーは、買い占めても損しないものなのだ。だって、そのうち使いきるもの。
このような物の場合、転売ヤーでなくとも、少しでも買い占めが起こる可能性がある場合には、買い溜めに走るのが合理的な選択肢となる。
自分をさして特別な人間でないと置くならば(自分は絶対他人と全く違うという方は関係ないが。もっとも、そういう方は周りが買い占めをしようと買い占めをしないと思うが。)
自分が特別でないのなら、自分が買い占めしようか迷っている状況では、みんなそう思っている可能性がある。ならば、他人が買い占めに走って品薄になる前に機先を制すべきだ、と考えるのはいたって合理的なことだ。
繰り返すが、別に買い占めてしまったとしても、(転売目的で使い切れないほど買い込んだ場合を除き)遅かれ早かれ使い切れるのだから、買い占めた人々にとっては何の問題も無い。逆に、無くなる方が困るのだ。ケツを拭かない訳にはいかないじゃないか。(東南アジアでは水流でケツを洗うとも聞くし、ローマ式にスポンジでお尻を拭いても良いかもしれないが…)
期待値(的なもの。どれくらい損するか)を計算して根拠を示しておこう。
品薄になる確率A×買い占めない損L1、品薄にならない確率B×買い占める損L2を計算してみよう。(品薄になる確率をn、買い占めない損をm)
ア:A*L1=nm(0<n<1,m>0)
イ:B*L2=(1-n)*0
アは必ず0より大きくなる一方、買い占める損は特にない(トイペは日持ちする)のでイ=0となる。ア,イのどちらの損が多きいかと言えば、アに決まっている。
なので、99%品薄にならないだろうと思っていたとしても、1%でも品薄になる可能性がある限り、買い占めに走るのが合理的な行動となる。
そして、他人がそのように考える可能性がある限り、買い占めなんて馬鹿げてると思いながら、買い占めに参加せざるを得ない。
つまり、いくら正しい情報を広めようと、メディアやTwitterユーザーが努力したところで、買い占める人を決して止めることはできない。それは、彼らが転売をもくろんでいるからでも、非合理的な思考の持ち主だからでもない。まさしく、合理的な思考の持ち主であるからなのだ。(かといって、買い占めに参加しない人が非合理的だというわけではない。参加しない人も十二分に合理的だろう。)
それが品薄を招いているのだから、合成の誤謬ここに極まれり、といったところではないかと(経済学には詳しくないので胸中でひそかに)思っている。
最後に。
逆に言えば、誰も買い占めをしなければ、品不足は起こらない。もっとも、それが出来ない公算が大きいことはすでに示したが、n(品薄になる確率)を0にする、0に限りなく近づけることで、品薄を防ぎ、本当に必要な人のもとへ届けることができる。
どうか皆さんには、買い占めをしないで、自分に必要な量だけを飼うようにお願いしたい。
それともう一つ、買い占めをしている人がいてもどうか責めないで上げて欲しい。転売屋なら責められても仕方がないが、一般市民ならば彼らは彼らで合理的な判断のもとに動いているんだ、と言うことを理解してあげよう。
そして、もっと合理的な選択肢である、買い占めをしないことを提示してあげればよいのだ。
そもそも、合理的な諸個人の自由な経済活動(最近は行動経済学などが非合理な人間像を描き出そうとしているが)の帰結としての市場を前提にした自由市場・資本主義の国が、その諸個人の合理的な行動を批判・抑制しようというのは全く無体なことである。イオンがやったような、たくさんの在庫を誇示するくらいしか対策はないのではないだろうか。