リコリス・リコイルは「駄作」になる前に二期を作れ
リコリス・リコイルを見た。
先に結論から述べておく。
・キャラクターのデザイン、描写がとても良い
・反面嘘みたいにSF描写がスッカスカ
・別にSF無理してやらんくてもよかったのでは?
・でももうSFやってしまったので改善するなら二期しかない
以上。
・リコリス・リコイルの魅力
リコリスはそもそもキャラクター描写がとてもいい。
そもそも、監督の足立監督がずっと作画監督に関しては長くやってきたからだろう、ビジュアル面でも良いし、キャラクターそのものの魅力が高い。
まず、最初に驚いたのは、千束がかなりグイグイとつっこんでくるタイプのキャラクターであったこと。
アニメのテンポやストーリーラインを良い意味で無視し、
普段アニメを見るテンポで見ているとギョッとするぐらい、千束は自己主張をしてくる。最初の3話あたりの楠木さんにかなり突っ込んで行く千束。
ぶっちゃけ、普通のアニメなら一言二言つっこんで「やめろ!」と言われて「くっ・・・」とか言って黙っちゃうのがわりかしあるパターンだが、千束の場合マジで止めないと無限に「えっ、ちょ、そこまで言う?」ってぐらいグイグイ言ってきて最初にかなりびっくりしたのを覚えている。
そういう、キャラクター描写において“ギョッとさせる“ことを常に意識しているように感じた。
・ギョッとする描写から見える人間関係
キャラクター・・・という枠よりさらに現実寄りに考えた時、“人間関係”を考えたとき、人間関係はそもそも仲良くなる上で“ギョッとする”ことの連続で仲良くなっていく・・・と筆者は考える。
回を追えば、勝手に好感度アップイベントが頭から降ってきて、それを享受していれば勝手に仲良くなっていく・・・と言うのは、アニメやゲームあるあるだが、現実世界はそうはならない。
そもそも、現実世界ではイベントを起こして行かないと仲良くなれないし、その上で、普段自分がやらないことだったり、「もしかしたら相手が引くかもしれない・・・」と言う行動でも、えいやっとやってみる、そうして壁を越えようとお互いがしていくことで、だんだん仲良くなっていく。
つまりは、仲良くなっていく手前の過程で、必ず“違和感のあるコミュニケーション”を何度も挟むのである。
この“違和感のあるコミュニケーション”こそが、“ギョッとさせる”ことだ。
よくネタにされがちな、たきなの「サカナー!」のシーンだが、
これを悪い方向で、アニメ的テンプレにわざと乗せるのであれば、
おそらくもう少しお膳立てがされる。
例えば千束が「サカナー!」ってやって、それに釣られて他の子供たちも真似し始めて。それに対して千束が「ほら、たきなも!」とか言って誘ったりとか。
しかしそれでは、千束があまりにも歩み寄りすぎだし、そもそもたきなが受動的すぎる。
ここで少しギョッとするタイミングで「サカナー!」をたきながやったのは、たきななりに千束に歩み寄ろうとした結果、なんか真似して変なことになったわけで、ここで視聴者がギョッとするのはむしろ正しく、視聴者が違和感を感じるような、やることを躊躇ってしまうコミュニケーションをとっていることを見せることで、より二人が、“互いに”歩み寄っていくことがはっきりと読み取れる。
そういった描写があるからこそ、二人の仲の良さもしっかりとした根拠が生まれるし、この二人が協力し戦うことに、そこに熱がこもることに根拠が発生する。
これがよくある男とヒロインと、あと適当な受動的イベントシーンばかりであったならば、「あーはいはい、よくわからんけどヒロインが惚れるのね、はーい」で終わっていたところである。
・リコリス・リコイルはなにがダメだったか
さて、前半ベタぼめしたのに批判するんかい!となるかもしれんが、
こんだけキャラクターがいいのにストーリーで台無しにしているから怒っているのである。
ストーリーをあらためて振り返ると
いやーもうぶっちゃけ頭っから不安ではあった。
まずは犯罪予測をどうするかの問題。
ここはすでに「PSYCHO-PASS」という圧倒的先駆者がいる上に、
犯罪予測を入れたコンテンツが少ない以上、絶対的に比較されることになっていたから。
しかしここは良い意味でクリア。
ここに関して細かい設定や細かい描写を下手に出さなかったので、特にここで問題になることはなかった。
ごめん、ちょっと待って、話の腰めっちゃおるけど先にぶっちゃけさせてもらう、リコリス見てる視聴者の大半が
「ちさたき見せろ!」
「SFはいい!キャラを見せろ!」
と思っているに違いないし、筆者もそうである。
だから別に本項目で書く“SFとして、ストーリーとしてのダメな点”は
「はぁ〜君、全然SF分かってないよね」みたいな説教ではなく
「ちさたきに集中させるために雑なストーリー展開やめんかい!!!!!」と言う怒りである。
さて話を戻そう。
犯罪予測に関しては、無視、描写しない、は、正解である。
そもそも、そこまで書きすぎてしまうと絶対にゴテゴテの濃いSFになり、
キャラクターを書く余裕がなくなってしまう。
もちろんその中でもキャラクターは描けるだろうが、視聴者層は明らかに変わってしまうだろう。
で、だ。
問題になるのは“DA”の描写についてである。
“DA”の問題点は大きく三つあって
・“秘密”感が薄い
・殺しの必要性の薄さ
・市民から見た「今の日本」の描写の圧倒的少なさ
この三点があまりにも足りていなかったことで、ストーリーの根っこが弱かったように思える。
・本当に秘密組織か?DAさん
はっきり言って、あまりにもまず千束とたきなが街中でホイホイ戦いすぎである。ALS患者を護衛した話ではそうだったが、普通に街中で戦っているし、これを秘密にって無理だろ……ドンパチを見せたいのはわかるし見たいが、隠密部隊、秘密部隊なのでは? 隠密ならば賑やかな街頭から路地裏に消えて行くような形でないと難しくないか?
そして河川敷でもめちゃくちゃ真島と派手にドンパチやって……
いやこれのどこが平和だよ
ってぐらいドンパチやってます、ええ。
しかもフツーに敵めちゃ外にドローン飛ばしてるだけで見えちゃう場所でぶっ倒しちゃうから真島に速攻でバレてます、あかんでしょこれ。こんなんもろばれじゃん。
しかしここで忘れてはいけないのは、アニメでは多少の設定のガバは許されると言うこと。それは先に挙げた犯罪予測の話のような観点である。
では、別に「うっせー!ドンパチ見せたいだけだから隠密じゃなくてもいいじゃん!」としちゃっていいんだろうか。
いや、よくない。
それがよくない理由に関しては、これがかなり後半のストーリーラインの重要なポイントに関わってくるためであるが、詳しくは後述する。
・別に殺す必要ないじゃん、DA
そもそも脚本家はこれドツボにハマってしまったと思う。
最初から殺しがあまりにも要らなすぎる。
殺しにこだわる理由がなさすぎる。
12〜13話で殺しが必要な時もある…という根拠は多少なりとも補強はされたが、正直その程度である。
本来殺しの葛藤というのは、個人的な恨みで他人を殺したいと思ったり、また、殺さないことでこちらが殺される危険にかなり晒されたり、あるいは大事な人が殺されそうになった/実際に殺されたり… となるようなもので、
むしろ今までのDAがあまりにも理由なく殺しすぎでは?
だし、まあそもそもなのであんまり殺しの直接描写なかったし、
いやじゃあ最初から殺し書かなきゃよくなかった?
と言う感じなのだが、“殺すか殺さないか”を話の主軸に持ってきてしまったので
もう遅い。
千束が個人的な葛藤を起こす上で「殺す・殺さない」は結果的に12話で重要な話になったため、これに関してはまだマシだが、この殺し要素もめちゃ引っ張ってるが先に挙げた“後半のストーリーラインの重要な部分”にまた悪い影響出しちゃってるからタチが悪い。(これも後述する)
・一般市民が暴走する理由がない
大変お待たせしたが、“後半のストーリーラインの重要な部分”について話そう。
後半では、真島は“DAの裏を世間にバラす”ことを目的に話が動いていく。
後半のストーリーラインは、真島がこの世界観の根っこに突っ込んでいくため、どう考えても「うるせー!百合だけみせろ!世界観はしらん!無視!」ができない。
で、ここで引っかかるのが、そもそもDAの裏をバラすも何も、前述であるようDAの秘密が全然守られてないようにしか見えないから「バラすったって別に最初からモロバレでは・・・?」って感じだし、しかも真島はこの後、一般市民の不安を煽るために銃をばら撒くが、そもそも市民がそう言った行動を起こすには、それなりの根拠が必要である。
つまりは、例えば銃を見るだけで怯えるようなほど平和な描写とか、である。
そうでなきゃ平和な市民があそこでいきなりリコリスを撃つ意味がわからん。
かなり平和ボケしてしまった国では、例えば今の日本なんかでもそうだが、そもそも日本で実銃を見ることはほとんどないため、今仮に「そこのリコリスは銃を持っているぞ!」と言われたところで、そもそもおもちゃとしか思わんし、リコリスが女子高生である以上、まず先に浮かんでくるのは「はえー、何言ってんだあの真島とかいうニーチャン、狂ってんのか?」という感想しかない。
それを素直に信じて銃撃っちゃうし、その後「コンテンツでしたーw」って言われてあっさり信じる。いや、市民、疑念も何もない純粋無垢な人間じゃん。テロ起こせないよこれ。
平和ぼけに一発かますなら「実際に目の前で銃で人を襲わせる」必要があり、そういう意味でのTV放映だったんだろうが、平和ぼけしていたら映像で見せられただけではそれこそただのコンテンツとしか疑いかねない。
で、あるならば、例えばだが、真島の部下のテロリストが一般人に紛れ込んで、群衆の中で自爆テロを行おうとしてそれを止めるには群衆の前で殺すしかない・・・!となり、リコリスがやむをえず群衆の目の前でテロリストを撃ち殺す・・・。しかし事情を知らない人からすればリコリスの方がテロリストである。その中であの真島の放送と銃の配布があれば、リコリスを怖がって撃つ人間はいるだろう。
これは「リコリスが秘密裡に犯罪を葬ってきている」(危険度が市民はわからない)が故に、リコリスの殺しの正当性が表立って見えないからこそ、市民はより怖がるという皮肉な構造になっていて、より世界観の補強ともなりうる。
まあ、12話なんかは上記の流れを踏まえれば
・最初 真島の映像を見て市民は「またなんか知事がやってるぜww」「なんかのコンテンツだろ?」と煽りまくる。一切相手にしない。
・その後、前述のテロの流れ。リコリスを市民の前で実際に殺しを行わせ、これがコンテンツでないことの強調。
・市民の疑心暗鬼が広まりつつあるところで「やっぱりコンテンツでした」という方向に促し、証拠隠滅
とかの流れの方が、まだ違和感なく進んだ気がするが・・・。
・一般市民から見た“平和な国、日本”が全く見えない
結局、前述の問題は、“一般市民の目線”が今までほとんど書かれておらず、あるいは書いていたとしても薄いから発生する問題でもある。
警察の関係で多少なりとも隠蔽してる臭いことは軽く触れられたが、
どう隠蔽しているか謎だし、そもそもさっきあげたような“明らかに秘密にしているように見えないガバガバなDA”を見ている以上、どうにも「絶対一般市民には黒い所は見せないぜ!」と言う感じはしないし、一体なにがどう一般市民に見えていて、何をすることで真島がやりたい“市民を煽る”ことができるのか…が見えない。
・別にガバガバでもいい。なら、なぜ?
で、さっき「脚本家もドツボにハマった」と言ったが、正直な話、「キャラクターがいいからゴリゴリのSFにしなくていい」し、別にシリアスにもしなくていいし、も少しうまくやれば別に色んな設定のガバをスルーして終われただろうし、実際今TLの評判はおおむね良いようなので、キャラクターのよさはそれだけ際立っていたのだろうと思う。
しかし、ここで“真島が世界の仕組みをぶっ壊そうとしてくる”と言う行為に及んできてしまうが故に、真島によって、「いや、壊すほど世界のこの仕組み、そんなに強固か?」「そもそも、ガバじゃん」と自ら地雷を踏んでしまう構図になってしまっている。
それが“ドツボにハマってね?”と言う指摘である。
そして何度も言うが、“ガバガバ設定でも全然OK”なんだが、問題は“ガバガバのやり方が下手だったんじゃない?”と言う指摘である。
いろんな作品において、一定の設定はガバガバにしても、それを見せないように工夫すればなんら問題ない。
サザエさん時空は代表的な例だが、当然だがサザエさん時空では「なんで僕たちは歳を取らないんだ?」とか言い出したりしないし、サザエさん時空で「僕は来年死ぬんだ・・・」みたいなキャラは出てこない。なぜならガバ設定(サザエさん時空)と年月の設定に矛盾が生じてしまうからだ。
だが、僕は今回、このリコリス・リコイルにおいてはだいぶ設定がガバガバだったし、しかもわざわざ真島がそれを見せつけるというあかん構図になっていた気がして、どうにも集中できなかったと言うのが感想である。
・頼む、もっとよくした二期を作ってくれ
あらためて言うが、リコリスリコイルはめっちゃいい作品、反面シナリオ面が今まで書いたような理由でどうにも惜しい作品でもある。
だから、これはここで「神アニメ!」と、ここで上限が決まるアニメではない。
もっともっと伸びる。
ここで頭打ちにして欲しくない。
製作陣が「一期最高だったねー二期はゆったりやろうか」となっては欲しくない。
まだまだ絶対に伸びるし、だからこそこういった記事を書いた。
リコリス・リコイルが好きならば、「なんだオメエ!?アンチか!?」みたいな目線では読まないでほしい、純粋に君らも二期やるならもっといいさらに神がかった二期をみたいと思うだろう、そのための布石でもある。
なので製作陣にお願いするのは、足立監督初監督作品(作画監督は経験あるだろうか、アニメ総合監督は初のはず)として、ぶっちゃけ色々まだまだ試しながらというところもあったんだろうが、この売り上げをもとに是非ともさらに良い作品を作ってほしい。
この一期を頭打ちとしないでほしい。
リコリス・リコイルはもっと評価を上げることができる。
これに妥協せず、続きの二期をもっといいクオリティで出していただけることを期待する。