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私が旅を始めたわけ① 保育と居場所

こどもの居場所づくりを目指し、
ヒント探しに日本を旅している
SoraSiroのむぎのです。

私が旅をする理由。
第一弾は、「就活」への考え、保育でなく居場所というものを選んだ理由について書きました。
保育大学に通っていた私が、なぜ居場所というものを選び、就職もしなかったのか ⎯⎯⎯⎯⎯⎯


スーツで就活とか絶対に嫌

保育大学に通い、「保育士・幼稚園教諭になる」という選択肢が私の中でまだあった頃から、スーツを着て駆けずり回るような就活だけは絶対にしたくないと思っていた。
むしろスーツじゃなきゃ行けない園なんてこっちからお断りくらいに。
あんな堅苦しいものを着なければいけない理由がわからない。
スーツじゃなくても綺麗な服は沢山ある。
それに、私はかっこいいファッションが好きで、分かりやすく言えばメンズ寄りのファッションが好きなのだ。
スーツを着るとなると、とりあえず買ったレディースのものしかない。
レディースのスーツは、女性のシルエットが綺麗になるように作られていて、どうしても胸が強調されるデザインになっている。
それを着ることにも少し抵抗があった。
かといって好きなデザインのスーツを新たに買うお金は無い。
個性を殺してまで着るべきものなのか。
私には理解できなかった。
だから、気に入った園にボランティアやアルバイトにしばらく入って、そのまま働かせて貰えないかな、
なんてそんな、良くも悪くも自由な考えをしていた。笑
だから私は「就活」をした事がないし、きっとこれからもこの人生の中ですることは無いのだろう。


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「保育する」じゃなく「過ごす」

はじめは、保育がしたくて保育大学に入った。
だけど、青空自主保育の幼稚園で幼少期育った私。
大学で学ぶような ''一般的'' な保育は馴染めなかった。
普段より数トーン上げた高い大きい声で、時間と人と空間をまとめる、「保育する」というものは私には向いてなかった。
大学に入った頃から、それは何となく気付いてはいて、「新しい保育を作りたい」と思っていた。
「一緒に過ごす」
そのキーワードがずっと私の中にあった。
保育だと、子ども主体と言っても、大人がコントロールする中での、ある時間がこどもの主体の時間とか、結局それが多いと思う。
それは今の日本社会の保育の中では仕方がないだろう。
そうしなければ、回らないのだから。
だけど、大人と子どもに上下関係がどうしてもある。
善し悪しの話は置いといて、あくまでも ''私は'' そこに引っかかりを感じた。
そうじゃなくて、ただ共に過ごし、時間と場を共有し、大人も子どもも楽しめる場所。
''暮らし''に近いのかもしれない。
そんな場所が作りたかった。
児童養護施設や里親について授業で知り、保育より自分のやりたいことに近い気がした。
だけど、そこに行けるのは、それだけハードな事情を抱える子達だけだった。
ハードだからこそ、周りから見える状況になって、大人が手を伸ばしてくれる層の子たち。
逆に言えば、それだけハードにならない限り、大人は手を伸ばしてくれない。気付いてくれない。
でも、しんどい子は沢山いるはずなのだ。
学校がしんどい。
家がしんどい。
毎日じゃないかもしれない。
だけどしんどい日がある。
でも自分では助けの声を上げれない。
そんな子たちが社会にはきっと沢山いるのだと思った。
そういう子たちが行ける場所ってないんだろうか?
それを調べた時に、「こども食堂」とかの ''こどもの居場所づくり'' をしている場所があることを知った。
そんなことがきっかけで、自分もこどもの居場所づくりがしたい、そう思い始めた。


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教育実習に行かない選択

保育の四年制大学だったので、単位をとって、実習に行けば、
卒業と同時に保育士資格と、幼稚園教諭一種免許を取得できる。
幼稚園教諭免許は、四年制だと一種、短大とか専門学校だと二種。
あんまり変わらないのだけど、園長になる時とか、そんな時に一種が必要になるらしい。
逆に保育で四年制にする意味は、一種をとるためということが多い。
そんな大学に通ったにもかかわらず、卒業した私が持っているのは保育士資格のみ。
そう。幼稚園教諭免許は取らなかったのだ。
保育界隈の人達から見れば、四年制に通ったのに一種取らないとか、馬鹿なんじゃないかと思われるだろう笑

取れなかったわけじゃない。
自分で言うのはあれだが、真面目にやってきて、単位もちゃんととったし、成績も割と良かった。
だけど、大学3年の時、急に先生から言われたのだ。
「2週間後までに教育実習する園決めてきてね」
言われて動揺した。そのあとの話はほぼ入ってこなかった。
教育実習は、1ヶ月間、自分で決めた幼稚園で実習をする。
2年の春休みにあった保育実習で2週間保育園に行ってみて、「私は ''保育'' は出来ない」と思った。
これが1ヶ月続くと思うと、メンタルがやられそうだった。
だから、教育実習に行く時は、自分がやりたいと思える保育をしてる園でと決めていた。
そのためには、実習の前に見学に行ったり、体験に行ったり、それで大丈夫と思えるところでしたいと、そうずっと考えていたのだ。
それほど、私には準備が必要な事だった。
なのに、急に突きつけられた2週間という期限。
「2週間で決めなきゃなんですか?見学に行きたいと思ってて。2週間じゃ無理です」
そんなことを動揺しながら先生に訴えた気がする。
とりあえず候補だけでいいからと言われ、県内の幼稚園を調べまくった。
一覧で出てくる全ての幼稚園のホームページやSNSを見漁って、ピンとくる園を探した。
正直ほぼなかった。
自分の通ってた自主保育の保育士の方に相談して、一つ良さそうな園を教えてもらった。
見学に行くことにした。
見学で決まった日は大学の期限より後だったので、大学側に期限も伸ばしてもらった。
いざ行ってみて、面白い園だったけど、
保育よりも建物の構造に興味を持ってしまった。
''保育'' より、''そこにいる子どもたちと過ごすこと'' や ''そこにある環境'' が好きだった。
そんなことを思ってしまう自分がいる中で、
園長から感想を求められた。
私が何者でもない人で居れば、
「建物面白いですね」
「環境すごくいいですね」
そんなことを言えた。
私の興味の先はそこにあって、
そこから対話をしてみたかった。
だけど、''保育学生''として行った私に求められている感想は、それでは無いことが分かってしまった。
「子どもたちがのびのびしてて素敵だなと思いました」
そんな無難な感想しか言えなかった。
いい場所なのに、保育学生でいなければならないことが窮屈で仕方なくなった。
何者でも無くなってここに来たい。
そう思ってしまった。
ただの人同士として、園長や保育士さんたちや、子どもたちと話したい。
''教育実習'' をするのは無理だと思った。
こんな素敵な園でも。
そもそも、どんな園であっても、
''教育実習'' で ''保育'' をすること自体、
その時既に、私にとっては無理なことだったのだと思う。
それを大学の先生に話した。
「見学に行って、素敵な場所だったけど、私は建物に興味を持っちゃって。」
そんなことも話した。
「1ヶ月だけでいいんだから、その時だけ保育に視点を置いて頑張れないか。」
そう言われたが、無理だと言った。
先生にとっては ''1ヶ月だけ'' でも、私にはその1ヶ月が長くて耐えられない。
想像しただけで気が病みそうだった。
せいぜい2週間が限界だと、保育実習で既にわかっていた。
実習の辞退届を出したあとも、最後の最後まで、大学の先生や進路担当の人達に「まだ間に合う」と言われたが、
保育することが出来ないと分かった私は、どうしても、教育実習に行くという選択は選べなかった。


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保育大学に行った意味

私は保育という道を手放した。
それは私には向いていなかったから。
だけど保育が得意な人もいる。
保育大学に通う中で、そういう人たちを沢山見て来た。
同級生は保育が上手い人に溢れていた。
圧倒されるほどに。
そして、保育というものもこの社会の中になくてはならない。
だから、得意な人がいるなら、保育はその人たちに任せよう。
自分は自分の得意分野で。
そう思えた。
それは保育が上手い同級生の中で過ごしたからこそ思えたことだ。

保育大学に通ったけれども、居場所というものを私は選んだ。
保育大学に通ったからこそ、居場所というものを選べた。
それが私にとって、保育大学に通った意味だったんじゃないだろうか。


最後まで読んで下さりありがとうございました。
第2弾では一時保護所でアルバイトしていた日々のことについて書きました。
お暇な時にぜひ。

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● 記事書いてる人。SoraSiro むぎの

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