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私が旅を始めたわけ② 一時保護所でのいき詰まり

こどもの居場所づくりを目指し、
ヒント探しに日本を旅している
SoraSiroのむぎのです。

私が旅をする理由。
第二弾は一時保護所での夜勤バイト経験について書きました。
その日々を経て就職をやめたきっかけ。そんなことをつらつらと ⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯


一時保護所での行き詰まり。息詰まり。

大学3年の4月から、4年の6月末まで、児童相談所の一時保護所で、夜勤のアルバイトをしていた。
一時保護所は、分かりやすく言えば、
何らかの理由で家庭で過ごすことが難しくなったこどもたちが、一時的に住んで、次の行き先(家庭に戻ることもある)が決まるまで待っている場所。
ほとんどは虐待を理由に入ってくる。
一時保護所にいる期間は原則2ヶ月と決められているが、2ヶ月以上居る子が多い。
その間に児童相談所の大人たちは、家庭が安全に安心して生活できる場に戻るよう調整したり、それが難しいと、施設や里親のもとで生活できるよう調整したりする。

夜勤のアルバイト中に何をするのかと聞かれることが多い。
こどもたちの生活のサポート&見守りが主な仕事。
仕事とは言いつつ、こどもたちと遊んだり一緒にテレビを見たり、そんなことが中心で、仕事内容は簡単だった。
こどもたちの就寝後は、フロアやおもちゃの消毒と、
正職員と交代で仮眠を取りながら、記録資料を記入したり読んだりして過ごしていた。
この時間が1番きつかった。

記録は、
・こどもたちの生活の様子
・こどもとの面談の詳細
・家庭や施設などとの調整の経過
などが書かれている。
職員はみんな忙しい。
だから、こどもたちの様子は、気になったこと、トラブル、そんなことばかりだった。
こどもたちのプラスの面まで記録に書き記しておくまでの時間と気持ちの余裕はないのだと思う。
(それでも一応「ニヤリほっと」という項目が設けられていて、こどもたちの可愛いところを忘れて欲しくない一心で、私は出勤するたびこの項目を書きまくっていた笑)
面談も、こどもたちの可愛い発言もちょこちょこは出てくるが、こどもたちが心の声を漏らせる場所だからこそ、不安や、しんどさが中心になってくる。
保護者と職員の面談記録も結構ハードだ。虐待に至るほど、保護者たちもしんどさを抱えている。
「〇〇ちゃん(娘)を殺したいって思っちゃう」と泣きながら漏らす母親。
そこまで追い詰められている。
記録を読んでいると、こどもたちの気持ちと職員の受け取りのズレも感じた。
トラブルは迷惑ごととして捉えられちゃうけど、
それも、こどもたちがしんどい気持ちや不安な気持ちを、どうにかして大人に表現しようとした結果なのだ。
泣き叫びながら職員に訴えるこどもたちの記録も沢山沢山見てきた。
だけど、気持ちに寄り添うよりも、起こった事実、ルール、2ヶ月で退所させること、それが職員の頭の大半を占めていた。
なぜこどもたちの言葉や行動の裏にある気持ちに気付かないんだ、見ようとしないんだと、正直読んでいて怒りすら感じた。
アルバイトは週に一回、月に4回。
だから1週間分、長い時は2週間分くらい溜まった記録を一夜で読んだ。
1~2週間のこどものしんどい気持ちや不安や苦しさや、時には保護者のしんどさもが、一気に自分の中に流れてくる。
それが6~7家庭分。(女性職員は女子と幼児フロア担当で、定員がそれくらい。時間的に男子フロアの分は読めなかった。)
仮眠が短時間なのは別にそんなきつくない。
それよりも、その莫大な量のみんなの心の叫びが、ものすごい勢いで自分に入ってくることが、きつくてきつくてしょうがなかった。
そんな記録を読み、ぐっちゃぐちゃな心のまま、翌朝、退勤してまちを歩く。
楽しそうに、和やかに歩いてる家族を見て、何度も泣きそうになった。
そして、お願いだから、そのまま楽しく毎日過ごしてください。こどもが大きくなって例え反抗期が来ても、変わらず和やかな家庭でいてください。
そう心の中で願った。


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ある子との出会い

月4回しか行かないので、こども達との関係を作るのがものすごく難しい。
いろいろ事情を抱えているこどもたちだから、毎日会ったとしても心はなかなか開いてくれない。
それなのに週1しか会わないとなると、本当に難しいのだ。
それでも、心を開いて信頼してくれた子がひとりいた。
中学生の女の子で、行くたびにものすごく喜んでくれて、色々話してくれたり、遊んだりした。
何となく昔の自分に似たところもあって、気が合うので、私も関わりやすくて、その子と過ごす時間が好きだった。
「他の職員よりも信頼してくれている」自分で言うのはなんだが、だけどそう自覚できるくらいに関係が作れていたと思う。
その子は、なかなか次の進路が決まらなくて、半年くらい経ちようやく退所が決まった。
退所2週間前くらいに行った時、少し不安そうな様子があった。
だけど、その日の夜勤職員に、その子が1人で過ごすのも慣れるように、今は事務作業をしてほしいと頼まれ、あまり一緒に過ごす時間が取れなかった。
だから、不安に気付きながらも話を聞くことは出来なかった。
シフト的に、次の勤務はその子が退所する次の日で、その日が一緒に過ごす最後の日だった。
2週間後出勤し、無事退所出来たことを聞いた。
夜、記録を見てみる。
退所する3日前くらいの記録に、その子が自傷したと書かれていた。
頭がおかしくなりそうだった。
確かに、一時保護所に来る前は自傷癖があった子だけど、一時保護所に来てからはあまりそういうことをしていなかった。
頑張って頑張って耐えていたんだと思う。
そんな子が、保護所での生活はあと本当にもうちょっと、というところで、自傷をした。
それくらいに不安が高まったのだと思う。
だけれど、記録に書かれていたのは、自傷したという事実だけで、誰もその子の気持ちを聞いた、聞こうとしたという記録は書いていなかった。
前からその子は、不安が強いからこそ、他の子や職員とトラブルになることが多く、職員たちは少し面倒がっていた。
だけど、不安でしんどいからで、そこをちゃんと見てあげれば、優しくて面白くて可愛い子なのだ。
2週間前に不安に気付いていたのに、なぜ話を聞かなかったんだと後悔した。
私も結局は、一時保護所や大人たちのルールを優先してしまった。
職員の言うことを聞くよりも、事務作業なんか後回しにして、その子の話を聞けばよかった。
いや、聞かなくてもいい。ただ一緒に過ごして、大丈夫だよって、それだけでもいいから伝えればよかった。
自傷は悪いことでは無いと思う。
だけど、自分を傷つけることは、体に傷がつくだけじゃなくて、それ以上に心に傷がつく。
だから、やらなくて済むのなら、それに越したことはないと思う。
2週間前にもっと関わっていたら、不安に気付いてるよってメッセージだけでも、何かの形で届けられていたら、もしかしたら自傷しないで、心身ともに傷を増やさずに、済んだかもしれない。
自分の無力さを感じた。
あんなに関係を作れたと思っていたのに、何も出来なかった。
私がいたところで、話を聞いていたところで、一緒に過ごしたところで、別に何も変わらなかったかもしれない。
私はそんなに影響を与える存在ではなかったかもしれない。
ただ勝手に、私がひとりで後悔しているだけかもしれない。
だけど、どうしても、1年半ほどたった今でも、思い出しては後悔してしまうのだ。

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退職。就職ではなく旅という選択。

上記の出来事と、記録を読むしんどさも相まって、出勤するのがだんだん苦しくなっていった。
無力な自分が、責任を持ってこどもと関わることは出来ない。
責任も大きい一時保護所という場所でこどもと関わること自体がこわくなった。
病院は行かない人なのでわからないが、きっと病院に行ったら鬱と診断されていたと思う。
出勤して、着替えをしてからフロアに行くのだが、
他の職員もいるフロアに行くまでの階段の、最後の最後の段まで、体が重くて、動悸がおさまらなくて、
それでも、事務室の扉を開ける時に何とか切り替えて働いた。
もうこれは限界だと、辞めないといけないと、そう思った。
その時の精神状況がやばいことは自分が一番分かっていた。
大学経由で紹介して貰ったアルバイトだったので、大学の先生に相談して、仲介に入ってもらい、1年2ヶ月続けたところで退職した。

1回自分の無力さを痛感したので、
今のままでは、どこかで社員として責任を持ってこどもたちと関わることは無理だと思った。
それが就職を辞めた理由のひとつ。
無責任だけど、旅をしながら、責任から逃れた状態で、こどもたちとちょっとずつ関わることを選んだ。


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ふと思い出したこと

書いていて思い出した。
一時保護所の日々はきつかったけど、その中でも、好きな時間があった。
それは、夜の見回りの時間。
何時間かごとに、子どもたちの部屋を見回りに行く時間。
''ちゃんといるか、出て行ってないかの確認''
簡単に言えばそのため。
プライバシーの欠けらも無いこの行為自体には疑問もあった。
だけど、見回りに行くと、ものすごく無防備な姿で寝ている子どもたちがいるのだ。
昼間はそれぞれ色んなしんどさを抱えながら過ごしていた子たち。
昼間関わることは無いけど、記録を見たらそのしんどさはよく分かる。
そんな子ども達が、無防備にぐーすか寝ているところを見ると、なんか安心する。
眠ることは出来たのだと。
寝ている間だけは、ほんのちょっとの間かもしれないけど、しんどさから解放されてるのかなと。
こんなに子どもらしい可愛い姿もあるのだと。
これから作りたい場所はそんな場所なのかなと、書きながら思った。
無防備な姿でいれる場所。
どうやったら作れるんだろうか。
少しづつ考えていかなければいけない気がした。



最後まで読んで下さりありがとうございました。
第3弾では「旅」という選択を持ったきっかけについて書きました。
お暇な時にぜひ。

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● 記事書いてる人。SoraSiro むぎの

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