'24.04.04 いもいも武蔵野。今思うこと

''いもいも デイスクール 森の教室 武蔵野''
それはマイナスからのスタートだった。

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武蔵野の森の教室は、2023年2月から2024年3月まで、約1年間関わった
いもいもを説明するのは難しい。
フリースクールに属するのかもしれないが
「フリースクール」と一言で終わらせたくない何かがある。
自分の中の、隅の隅の方に隠れた、ちっちゃい自分の存在やその声に気づいてくれる大人がいる場所。
上手く言い表せないけど、そんな場所。
室内の教室は四ツ谷、戸塚。野外が武蔵野、あきる野、檜原村、高尾、四ツ谷歩く教室。

メインは室内だと思う。
だから一番遠い檜原村(参加当時は檜原村で宿泊込で行う教室「森のスコーレ」という形だったが。)からいもいもに入り、ちょっと近くの武蔵野にも参加、室内の教室は見学だけでほぼ関わらずに終了。
という私の関わり方はだいぶと言っていいほど特殊かもしれない。
(檜原村のことはまた後日書こうと思う)

武蔵野に初めて行った時、緊張感があった。
いや、少し違う。私がみんなの領地に踏み入れたことで、ピンと張り詰めた。

「戦いごっこ」で関わろうとしてくれる子がいた。
まぁ実際、「ごっこ」というほど可愛いものではなく、本気の攻撃だった。笑
でも、何となく、直感的に、''ただ暴力を振るいたい''というものでは無い気がした。
恐らく私が来る前からもそういう姿はあったのだろう。
でも攻撃したいんじゃなくて、関わり方が分からないだけ。
関わりたいけど、不安や緊張が勝ってしまう。
言葉で上手く出せないから、体で表現する。
そんなふうに見えた。
抱きしめて、大丈夫だよって伝えたい。しんどいね。苦しいね。ごめんね。でも大丈夫。そう伝えたい。ふとそう思った。(そんなことさせてはくれないが、、笑)
だからとにかく受け入れることからスタートした。
殴ってもいい。蹴ってもいい。
その代わり私から反撃はしない。
出来るだけ笑顔で。
「関わろうとしてくれてありがとう」
「大丈夫だよ」
そんなメッセージが伝わるように。
武蔵野は週に1回、4週目は無いので月3回。
そんな頻度で関係が作れるとは思っていない。
それでも受け入れることを続けた。

難しいこともあった。
大人は「申し訳ない」という気持ちが勝つ。
大人として止めなければいけない気持ちも。
だから他のスタッフも保護者も「暴力はだめ」を続けた。
保護者の方からも「すいません」「ごめんない」と何度も謝られた。
今だから言えるが、それが一番難しかった。
(それが悪いとか、否定したいとか、そんなふうに思ってる訳では無いことは理解して頂きたい。)
私はただ目の前の子と向き合って関わりたい。
だけど私が向き合おうとすることで、この子は怒られてしまう。注意されてしまう。
今まで関わった他の団体でもそういうことは多かった。
私は「お客様」的な位置で、怒られない。
その分子どもが怒られる。
怒られずに守られて、私はすごくずるい立ち位置だ。
だからと言って、ちゃんと関係を作れてない私から言葉で注意したところで、きっと相手は私と関わることを辞めてしまう。
だからとにかくまずは全てを受け入れて関係を作りたかった。

立ち止まってたら手や足が私に届いてしまう。そしたら暴力になるから、届かないように逃げる。
走って追いかけてくる。
でも本気で逃げたら、追いかけるのを辞めてしまう。
だから適度な距離感が保てるように逃げた。
叩いたり蹴ったりして怒られない、だけど関わるのを辞めないでくれる距離。

そんなことをしながら関わり続けて、ちょっとずつ、ちょっとずつ、関係が作れてきたように思う。
「痛い痛い笑」
そんな風に返せるくらいの関係。
そう返しても関わり続けてくれる関係。

しばらく休まなければいけない日が続いて1ヶ月弱ぶりに行った。
その間に何があったのかは分からない。
叩いたり蹴る姿はすっかり無くなっていた。
その後も不安があるとそういう姿もあったが、''常に''ということは無くなった。
もともとあった武蔵野という場所や周りの人や全ての環境への緊張と不安と恐怖と、急に入ってきた得体の知れない私というものへの緊張が、何かをきっかけに和らいだのだと思う。
結局時間が何とかしてくれるのだと、その時思った。
今では普通に会話ができる。
穏やかに。

まだ緊張感が少しあった頃、
一緒に木に登った。
「ここでお昼食べる」「ママ持ってきて」
食べながら穏やかな表情で言う
「最高」
環境が人に及ぼす影響は、人が想像してる以上に大きいと思う。
木の上という非日常的な特別な空間が、木の上からの眺めが、穏やかに吹く風が、こんなにも子どもの気持ちを穏やかにしてくれる。
しんどさをちょっぴり取り除いてくれる。
木の上で過ごす会でも開こうか、そんなことすら考えてしまうくらい。

他の子と丘の上に登る。
普段はあまり話さないが、
丘の上で2人で寝っ転がって過ごし、
家での話を沢山してくれた。
たった数分だったけど、はじめてちゃんと関われた気がした。
草と青空と風がその時間を作ってくれた。
とても穏やかな時間で、こんな風に子どもと''過ごす''のが好きだと改めて思った。

時間や空間やそんなもの全部ひっくるめて、環境が何とかしてくれる。
逆に環境一つで全て壊れることもある。
大人ができることは、''何とかしてくれる環境''を、選んだり、作ったり。
武蔵野は、それに気づかせてくれた場所だったように思う。

最後の日は、自分らしく子どもたちと過ごせた。
こどもたちが、本来の私を引き出してくれたのかもしれない。
同じ空間で「ただ過ごす」
それが私にとって好きな形で、これからもそうしたい。
言葉をかわさなくてもいい。
でもどこかで繋がってる感じ。
私のことは、そこにある空気として扱ってくれれば十分。
もっと贅沢を言っていいならば、疲れた時に腰掛ける椅子くらいに使ってくれたらいいなと思う。
それが詰まった写真を、最後の日に撮ってくれたのだが、snsへのアップはNGということで残念。
いつか誰かに見せながら語りたい。

1年参加して、少しは関係を作れただろうか。
参加者数が多い分、全員と同じくらい充分関われた訳では無い。
だけど、
誰かの「たまに会う友達」くらいにはなれてたらいいな
なんて、そんなわがままなことを思うのだ。

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