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最近のぐるぐるモヤモヤ

こどもの居場所づくりを目指し、
ヒント探しに日本を旅している
SoraSiroのむぎのです。

最近の私の中で生まれる矛盾。
noteでそれを吐き出してみることにしました。


西成

この旅で最初に訪れたまち。
旅の終盤、再び足を運んだ。
難波の方から歩いて行く。
歩いてるうちに、急に、明らかに、雰囲気が変わった。
西成とはそういうまちだ。
その感覚に、「ああ帰ってきた」と思ったりもする。
過去にワープする何かが張ってあるんじゃないかって思うくらいに、
西成は周りの地区と明らかに違うのだ。
流れる時間も、空気も、雰囲気も。
それが心地よくもあるし、
だけど違いがあまりにも明らかすぎて、
その差が開いていくのは課題にもなっていくんじゃないか。
言い方を選ばずに言うと、「西成はそういうところだから」で社会から放置されているような、そんな空気を感じてしまう。
でも、この西成の良さが残って欲しいとも思ってしまう。
ゆっくり流れる時間。
昔に戻ったような雰囲気。
''今'' を生きる人々。

考えれば考えるほど、考えに矛盾が生まれてくる。

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発達障害

発達障害について考える時にも、私の頭の中は矛盾でいっぱいになる。
旅をしていて、よく考える。
「発達障害ってなんだろう」
なんというか、知識としてのではなく、社会のあり方、発達障害という言葉、そんなところへの「なんだろう」だ。

この間、「なんだろう」の答えに近づけた気がした。
自己紹介の項目にある、趣味や誕生日や星座や、そんなものと同じように、
''相手の理解をサポートするために、自分について伝える用の言葉''
であること。
周りとは少し違う、人の個性や特性は、なかなか自分でコントロールしきれないものだったりする。
だから、周りは何も知らないでいたら、
理解しようと思うところまで行かずに、その手前で勝手に壁を作り、ただマイナス見るだけかもしれない。
だけれど、
こういう特性がありますと事前に伝えられていたら、
理解してみようと思うところまで寄ってきてくれるかもしれない。

「発達障害」という言葉が、そんなものであって、気軽に使える言葉になったとしたら、
「発達障害」へのマイナスのイメージが減ったり、周りと違うことへの不安が減ったり、
自分について伝えやすくなるかもしれない。
「発達障害」に限らずに、自分について、
みんなと同じところも、違うところも、得意なことも、苦手なことも、プラスもマイナスも伝え合える社会になって、
そしてそれを互いに認め合える社会になるかもしれない。
そんな社会になったらいいのかもしれないと思ったりもする。

けれど、またモヤモヤし始める。
気軽に使える言葉になると、浅く使われる危険性もある。
本気で悩んでる人と、
浅く発達障害という言葉を使う人と、
その人たちが会話した時に、前者が傷つく危険がある。
私の語彙力ではうまく説明できないけれど、
漫画『リエゾン』を読んでもらえば、言いたいことが伝わるかもしれない。

答えに手が届きそうになると、矛盾に気付く自分が出てくる。
結局、ぐるぐる、ぐるぐると考えが回り回って、どこにもたどり着かない。


以上、私のモヤモヤでした。
皆さんはどう思いますか?
ぜひ意見を聞かせてください

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〇 この記事を書いた人 SoraSiroむぎの

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