2024.05.01 イモイモ ヒノハラ

3週目まで、月3回。
火曜日の夜にお弁当を作る。
翌朝5時過ぎに起きる。
6時40分の電車に乗る。
3時間〜3時間半電車に揺られ、バスに揺られ・・・

そんな生活を1年ちょっと続けた。
水曜日 いもいも森の教室 檜原村に参加するために。

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前の記事でも書いたが
いもいもは簡単な言葉で表すとフリースクールだ。
(フリースクールという言葉にまとめてしまいたくはない魅力があるのだが。)
コミュニティといった方が私の伝えたいことが伝わるかもしれない。
面白い人たち(「大人」と「子ども」)が集まって学び合うコミュニティ。
うん。それかもしれない。
檜原村の回は小学生と中学生が来ていた。

檜原村の日は、活動時間より、往復の時間の方が長い。
きっと色んな人に馬鹿なのかと言われるだろう。
朝起きることを考えると辛い時もある。
休んじゃおうか。そんなことがよぎる日もある。
だけど勝手に準備をしてる自分がいる。
それくらい、好きだった。

電車とバスに揺られて着くと、深い深い自然が待っていてくれる。
夏は川。寒い時期は森で焚き火。
特に数馬で活動する日が1番好きだった。
週一のご褒美くらいの、そんな自然が待っている。

一旦、数馬愛を語る。
五日市線の武蔵五日市駅からバスで1時間揺られ辿り着く終点が数馬というバス停。
そこからちょっと歩いた場所で活動している。
浅いけど広めの小川が流れ、
石を飛び越え川を渡るといつも過ごす場所に。
木々が適度に。
川に面した所は川と同じ高さで、石が転がる。
その上は2段くらいにわかれて少し広いスペース。
もっと登ると木々で囲まれた緩やかな斜面に。
もっと奥に行くと険しい崖も。(ただ、ここを登ると最高な絶景が待っている)

なんというか、ちょうどいいのだ。
ひらけているけれど、ひらけすぎていなく、
''ただ居る''ことが許される環境。
木々で囲まれ、地面の高さも様々だから、
周りの目が届くけど、届きすぎもしない環境で、
自由さがあるなんとも居心地のいい場所なのだ。
数馬なら、''みんなの輪''に入らなくても居場所がある。
自然が、それを許してくれる形をしている。
みんなで遊んでもいい。
1人で焚き火を楽しんでもいい。
散策してみてもいい。
植物を眺めたり摘むのも。
家みたいにくつろいでも。
焚き火を囲んでみんなで語り合うのもいい。
どんな過ごし方も全部包んで受け入れてくれる。
そんなあの場所が好きで好きでたまらなかった。

不便ではある。
自然が沢山ある分ほかは無い。
でもだからこそ、体も頭も自由になる。
体の思うように動ける。
遊びも、ゲームも、創造物も、色々なものが生まれる。
''あるものを使いこなす''
みんなの持ってるその力が最大限開放される。
自然は広いから発想を広げられる余地も無限大だ。

数馬の大自然のもうひとつ好きなのは、音が反響しないところ。
室内だと、みんなが話し出すだけで音が反響して、
反響する分、無意識のうちに疲れる。
それが自然の中になると、音を吸収してくれて、
みんなで集まって話したり、
それぞれ好きなことを喋ったり、
そんなことがしやすくなる。
だから自然と対話や会話も増える。
叫んでもそこまで耳がつらくない。
山に登ると、ついついやまびこをしたくなるけど、やまびこをうるさいと思ったことは無い。
それと一緒だと思う。
放った声はスンと森に吸い込まれていく。
子どもが過ごすのに、森以上に適した環境はないんじゃないかと、そんなことすら思うのだ。

檜原村の日は、大人同士でも沢山話したように思う。
くだらないことから真面目な話まで、
活動中も話したし、帰り道にも沢山。
私生活の話も沢山したけれど、
やっぱり子どもたちの話がいちばん多かった。
帰り道、
今日はこんなことがあったとか、
子どもの可愛かったとことか、
あの時のこれが面白すぎたよねとか、
次々に出てきて、みんなで共有しあった。
自然と、課題面やマイナス面じゃなくて、プラスの話が多かったのは、いもいもならではの特徴だったかもしれない。

一時保護所で夜勤バイトをしていた時、
子どもの姿の記録や引き継ぎは毎日行われていた。
「支援する場」としての役割が強いからか、
どうしても、子どもたちの姿から、課題面が取り上げられることが多かった。
夜勤の深夜の間は記録を見て過ごすのだが、
子ども同士のトラブルや、不安が強い様子、大人とのトラブルなど、マイナス面がほとんどだった。
夜勤は週一くらいの頻度で入っていたので、
一週間、時には二週間分の記録を読むことになる。
その期間の子どもたちの不安や、心の中の叫びや、涙が、一気に自分に入ってくる。
それがいつしか耐えられなくなった。
もう無理だなと思って1年とちょっと続けたタイミングで辞めた。

福祉では、「ヒヤリハット」という、危険になりそうだった状況を言う言葉が使われがちだが、
それを真似して「ニヤリほっと」という記録の項目が設けられていた。
子どもの姿で、ニヤリとしてしまったこと、あったかいエピソード、そんなものを書く。
記録の中でニヤリほっとが占める割合はほんの数パーセントだったが、
だからこそ、それを書くのが自分の仕事のようになっていた。
大人たちが、子どもたちの可愛いところ、面白いところ、強いところ、そんなものを忘れないように。

いもいもでは何も意識せずとも、みんなそんなニヤリほっとな部分を見ていた。
フリースクールに属するであろういもいもが、場所を提供する意味を辿れば、「支援」になるのかもしれないけれど、
大人それぞれ、自分たちの居場所でもあって、
子どもたちとも、友達のような、兄弟姉妹のような、家族のような、そんなおんなじ目線で過ごしていて、
子どもたちになにかしなきゃってよりは、
子どもたちが場を作ってくれて、色々教えてもらって、そこで過ごすような
そんな場所であり時間だった。
だから苦しくならずに過ごせたんだと思う。

いもいもに来てるメンバーに出会って、
私の視界は大きく変わったと思う。
人生すら変わった気がする。
それまでもやりたかった、
「同じ人同士」として「共に過ごす」こと。
私をそこにぐっと近づけてくれたのがいもいものメンバーだった。
だから「子どもたち」っていう言葉は本当は使いたくない。
あえてメンバーと書こう。
前は、頭での理想はあっても、実際は大人と子どもとして分けてる自分もいた。
だけどいもいもに足を踏み入れて、
人同士として関わるってこういうことだっていうのを教えてくれた。
むしろみんなに尊敬する日々だった。
みんなの輪に急に入った私を受け入れてくれたこと、ただただ感謝している。

ほんとにみんな、思い出しただけでニヤケそうにくる。
可愛いって言ったら怒られそうだけど、みんなの可愛さや面白さは、
愛おしくてたまらなくなる、
そんなものなのだ。
あの笑顔を守る為ならばなんでも出来そうな、そんな気さえする。
心の底から出た笑顔ってすごいと思う。
人を動かす力がある。
全てを吹き飛ばす力がある。

少しでも、ほんのちょっとでも、たくさんの笑顔を守ること。
たったそれだけの事。
でも、いちばん難しいこと。
これから私がやりたいことは、ただそれだけなのかもしれない。

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