旅、長崎。家、家族、子育て。
こどもの居場所づくりを目指し、
ヒント探しに日本を旅している
SoraSiroのむぎのです。
大阪→京都→滋賀→兵庫→岡山→広島→福岡→佐賀をまわり、
長崎に来ました。
長崎にいる期間、全体を通してなぜか子育てや家族について考えることが多かったので
そんなことを中心に書こうと思います。
ぜひ最後までお付き合い下さい。
長崎での日々
7月後半の5日間ほどと、五島から戻った8月中旬の3日間ほど、長崎市内で過ごした。
6月、滋賀で出会った方に教えてもらったのをきっかけに、
''こどものたまり場・大人のはなす場『かっちぇて』 ''
を目指して長崎に来たのだが、
そこを拠点に色々な場所に見学に行かせてもらったので、ここでは一覧を紹介。
◎ かっちぇて
古民家を住み開きして、誰でも来れる居場所を解放している。
家にいるような、むしろそれ以上に落ち着く空間。なにをしても、なにもしなくてもいい。
▶︎ Instagram
https://www.instagram.com/tsuki_to_shizuku?igsh=MW1xajQ4d2U0Y3pyMA==
◎ 長崎シビックホール
親子に寄り添い、子育て支援を行っている場所。こどもの遊び場にもなってる。
こどものこどもによるこどものためのまち '' ながさKid's☆Town '' という、面白い活動も展開されている。
▶︎ HP
◎ みんなのまなびば み館
グループホームながよの建物の1階にあるコミュニティスペース。
子どもたちの遊び場にもなってる。
お洒落で高校生、大学生、社会人でも入りやすい雰囲気。
▶︎ HP
◎ 心澄 From1・B型しんじょう
ひきこもりの訪問支援から始まった、幅広い支援事業をしている団体。
From1ではカフェ営業を行いながら隣で若者の居場所を提供。
B型しんじょうでは、居場所提供を中心に置きに、その中で就労支援も行う。
▶︎ HP
◎ 子どもの権利オンブズパーソンながさき
電話を中心に、子どもに関する相談を受けている。
オンブズルーム開所日には、そこで対面で相談することも出来る。
また、小学校内の別室にも出向き、支援を行っている。
▶︎ HP
◎ らしくじら くじら食堂
学生中心に、今は主な活動としてこども食堂を開いている。
教会の方たちが作ってくれるご飯を、みんなで美味しく食べる時間は、笑顔に溢れてとても暖かい。
▶︎ HP
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妊娠・出産・子育て
シビックホールにお邪魔した日のこと。
その日は、妊婦の方を呼んで話す場を開いていた。
妊娠7~8ヶ月の時に行う面談をシビックホールで出来ないか? そんなことを検討する場でもあったようだ。
今まで、「妊娠」「出産」「子育て」そういう話題がなんか苦手で、避けて、逃げてきた。
だからこそ、すごく勉強になる場だった。
妊娠期、こんなにも不安な日々を過ごしているのだということを、はじめて知った。
流れずにお腹にいてくれるか。
産まれてきてくれるか。
そういう不安も抱えていることを知れた。
そんな不安を話せる場も少ないみたいだ。
だから、色々自分で調べて、情報の多さに、さらに不安になる。
直接不安を吐き出せる場の必要性も感じた。
面談も、難しさがあることを知った。
資料は家に届くみたいだが、「気付いたら期間が過ぎてた」ということも多いようだ。
福祉全体でそうだが、積極的に情報を受け取ろうとしなければ、それを受け取って活用することにはなかなか繋がらない。
そこの仕組みはどうすれば変えられるんだろうか。
また、産休を取れるのは出産予定日の6週間前。(今回の話で初めて知った)
だから、7~8ヶ月の時にそういう機会が設けられていても、まだ仕事中で忙しくて、なかなか行けない、という声もあった。
国やまちのシステムにも、まだまだ改善の余地があるようだ。
自分の「出来ないこと」も知ることが出来た。
こどもが出来る嬉しさ。
自分のお腹の中で大きくなっていく喜び。
そういったこと全部の尊さ。
それを感じる機能が、私の中には無いことが分かった。
例えば、「妊娠中に子どもを連れて出かけるのは大変」とか、そういう、''機能的な大変さ'' とかは、ちょっとは理解出来る。
だけど、「お母さんのお腹の中でこどもが育っていく尊さ」みたいな、
心から湧いてくるような、
自然と母の顔になり穏やかに話すような喜びや尊さといった ''感情'' は、
どうしても分からない自分がいた。
「母になったことがないから」
とかそういう話ではなくて、
私の中で欠けているものなのだと思う。
私がロボットなら、そこの部品だけ付いてないみたいな、そういう次元の話。
その部品は今後もつくことはなくて、
きっと欠けたままだと思う。
改めてそんな自分の存在に気付かされて、何となく虚しさも感じた。
旅中、思ったことをメモ帳に書き残しているのだが、その日のことも書いていた。
気付けば泣きながら、頭で考えるとか忘れて、ただただ、溢れる言葉を書いていた。
そして同時に、自分でも書いていたように、
足りない部分だからこそ、誰かの力を借りようと思えた。
活動を始める前に、足りないものに、出来ないことに、気付けて良かったと思う。
出来ないから、助けてください。助けてくれる人、探してます。
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カードゲームと家族
み館に行った時、親子が2組遊びに来ていた。
小学校中学年くらいの子が2人。
1人が「UNOやろう!」と言うと、もう一人の子は「やったことない」と。
お母さんたちの話も聞いていると、どうやら一方の親子は家でもカードゲームをやるけど、もう一方の親子は家であまりそういうことをしないようだ。
そんなやりとりを見ていて、自分の家族を思い出した。
私の家は、しょっちゅう家族でアナログゲームをする家なのだ。
小学生の時だけじゃなくて、この歳になっても、夕飯のあと見たいテレビがなかったりすると、
「UNOやろう」とか「トランプしよ」とか「花札やりたい」とか
家族の誰かが急に言い出して、アナログゲームの会が始まったりする。
(家にある唯一のデジタルゲームはDSのLL一台だからというのもあるかも。最近子どもたちに聞くとDSを知らないことにジェネレーションギャップを感じる笑)
それまであんまり疑問も持たずにやってきたけど、
今旅をして色々見てきて、そんな中でふと思い出すと、結構不思議な光景だったかもしれない笑
だけど、そんな家族だったから、私も妹も、遊びを沢山知っているように思う。
そんな家で育ってよかったと思う。
コロナ禍、緊急事態宣言の時も、アナログゲームを家族でやったりしていた。
ナンジャモンジャが流行ってた時期。
「高すぎ!」と思った私と妹は、オリジナルナンジャモンジャを作ることに。
(最近の面白そうなアナログゲームは高すぎて困っちゃいます笑)
まず絵を描くのも遊び。
絵を書いたあとはカードを作るという遊び。
完成したら、ゲームするという遊び。
飽きてくると、新キャラも追加笑
どれだけひとつのもので遊べるんだと言うほど遊べた笑
そういう家族なのだ。
この家に生まれてよかったと、こんな所で思わされた笑
書きながら思い出したが、祖父母の家(両家とも)でもカードゲームとかボードゲームをよくやっていた。
花札とか、トランプのポーカーや21も、祖父母の家で覚えた。
ポーカーや21はじいじの影響で、お金をかける代わりに、ボードゲームに入ってるオセロや囲碁の駒をお金にしてかけたりもしていた。
(この文章を書くまではそんなことすっかり忘れていた笑)
じいじは遊び上手な人だったのだなと今わかった。
話は逸れるが、じいじとする遊びで、好きだったのがある。
私の家にコマが沢山あったのだが、それを使った遊び。
お互いに絵本とかを持って、本の上でコマを回す。
回した状態でお互いの本の上に順番にコマを移して渡しあう。
ただそれだけの単純な遊びだけど、大興奮してやり続けたことを覚えている。
(久しぶりにやりたくなってきた笑)
庭に穴を掘ってミニゴルフをしたり、水撒きついでに葉っぱ流しをしたり、アリ吊りをしたり、そういえばじいじとは色んな遊びをしたなあと思う。
結局、何を言いたかったのかと言うと、遊びにも家庭が影響しているのがわかったということだ。
家庭でどれだけ遊ぶか。それが少なくともみんなの遊びには関係しているんじゃないだろうか。
そしてもちろん、学校や学童とか、友達との放課後遊びとか、それこそ祖父母の家とか、そんな中でも遊びを知るだろう。
暮らしの中で、どれだけ遊んでいるか。
それが遊びの豊かさを作っていくのかもしれない。
ゲームが悪いとは思わないけど、だけどゲームばっかりでは、やっぱり知ってる遊びの数は減ってくる。
だからゲームに飽きると「ひま!」という子に、よく出会うんじゃないだろうか。
そして、習い事で放課後友達と遊ぶ時間が無い、という話もよく耳にする。
「やらなきゃいけないこと」で一杯の毎日を過ごす子どもたち。
それが、「何して遊んでいいか分からない」に繋がっているのかもしれない。
そんな風にふと思った。
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家のような居心地
かっちぇては、10年ほど前に子どもたちと作り直した古民家で、けんちきさんが住み開きしている場だ。
その空間が、とにかく居心地良い。
なぜ心地いいのか考えてみると、
・古民家なこと。
・住み開きだから暮らしに近いこと。
それはもちろんあるが、
けんちきさんの雰囲気と、その雰囲気が作り出す穏やかさの影響が大きいように思う。
けんちきさんが発する、優しさや、あたたかさ、穏やかさは、誰でも出せるものでは無い。
そんなぽかぽかした雰囲気の中で、さらに、''対話'' をしてくれる。
上手く言い表せなくて悔しいが、とにかく、すごい人だなあと思う。
だからだろうか、色々話してみたくなる。
他の人なら時間をかけて関係づくりしてからでないとあまり話さないような、ちょっと深いようなことも、話してみようかなと思える。
「話してみようと思える」は、場をつくる時に、ものすごく大きい力になると思う。
場づくりをする人達にとって、いちばん羨ましい能力なんじゃないだろうか。
私も羨ましく思う。
私ができることは、
「ただ居る」ということ。
そして「ただ話を聞く」こと。
特別何か出来るわけじゃないけど、
それは出来ることなのかもしれないと、
色々な人と出会うことで知れた。
だけど、「ただ話を聞く」は、
聞く前に、
話してくれる人が居なければ始まらない。
「話す」前に、
「話そうと思える」という気持ちの変化が必要で、
だからこそ、けんちきさんのような、自然と話そうと思える雰囲気や力は、すごくすごく羨ましいと思う。
話はちょっとずれたけど、そんなけんちきさんが開く場だから、かっちぇてには、日々、色んな人が集まって来るのだろう。
あんな雰囲気の場を、
家みたいに、家以上に落ち着く、
そんな居心地のいい場所を、
私もつくりたいと、そう思った。
おまけ
かっちぇてのぽかぽか雰囲気を作り出しているのは、
猫のつきちゃん、しずさんの影響も大きいかもしれない。
長崎の日々の中で、沢山癒しをもらいました🤍
最後まで読んでくださりありがとうございました。
長崎では内容の濃い毎日で、素敵な方にも沢山出会えました。
けんちきさん主催で、長崎の場づくりなどしてる方たちが集まり、一緒にしゃべる会も開いていただきました。
対話っていいな。長崎の日々を思い返して、そんなことも思います。
次のnote更新もお楽しみに。
ではまた。
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● この記事を書いた人
SoraSiro むぎの
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