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ごちゃまぜのひ
みんなのシェア別荘 SoraSiroの むぎのです
先日開いた「 食 語 飲 ー ごちゃまぜ ー 」を振り返って、
いろいろぽつぽつと書きました。
暇つぶしに眺めていってください。
『 食 語 飲 ー ごちゃまぜ ー 』
1/25(土)、鎌倉のFOLK Koshigoeを借りてイベント「 食 語 飲 ー ごちゃまぜ ー 」を開いた。
私は2024年の6月から10月まで、西日本を旅して回ってきた。
だから、その旅の報告をすることが最初の目的だったのだが、一方的に話すのはとてもじゃないけど好きとは言えない。
食べながら飲みながら、語って、話して。
そんな1日の中に、ポツンの旅コーナーがある。
そのくらいがちょうど良くて、今回の一日を企画してみた。
'' ごちゃまぜ ''という読み方にしたのは、色んな人がごちゃまぜになって新しい出会いが生まれる場になって欲しいと思ったから。
そして、'' 居場所 ''というイメージの枠を超えた幅広い人達に来て欲しくてこの名前にした。
'' 居場所 '' と言うと、'' 居場所を必要としてる人が来る場所 '' のイメージがきっと強いから、居場所が欲しいなと思う人と、そういう活動に興味がある層しか来ない。
そうじゃなくて、
ただご飯食べるのが好きな人、
お酒を飲むのが好きな人、
珈琲が好きな人、
旅が好きな人、
子どもが好きな人、
普段は会社で働いてる人、
普段は高校生してる人、
そんな、'' 普通に街中を行き交うような人達 '' が混ざり合う場にしたかった。
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ごちゃまぜと個々と
正直、人が集まるか分からずの開催だったのだが、
始まってみると、本当に沢山の人が、そして色々な人が来てくれた。
親子、若者、大人、近所に住む人、FOLKとの繋がりがある人‥。
当日は、茅ヶ崎で間借りの珈琲屋を開いてる路空(みちのそらぢに)のれいさんが珈琲を淹れに来てくれた。
FOLKは広間にテーブルと冬はこたつがあって、キッチンが別にある。
広間の周りは広い廊下でぐるっと囲まれていて、陽が当たり、椅子もある。
テーブルは路空(みちのそらぢに)珈琲ブースに決め、私は料理を作るのでキッチンに基本立つ形になった。
この形にしてすごく良かったと個人的に満足している。
入口の場所的にれいさんに案内係をほぼお願いする形になってしまったのは申し訳なかったのだが、、
珈琲のテーブルを囲む人
コタツに入ってゆっくりする人
キッチンで手伝ってくれたりお喋りする人
廊下の椅子でのんびりする人
ごちゃまぜでありながらも、島がいくつかあって、個々が自由に過ごしていて、
混ざったり離れたり、
まさに私が作りたい場の形になった。
旅で出会った、場づくりをしてる人たちが、もしその場に居たら、「これだよね、これこれ」って話が盛り上がりそうな気がする。
まあ、これはあとから振り返ってそう思えるわけで、当日はそんなこと考えてる脳みそは1ミリも残らずにドッタンバッタンしてたのだが。
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ごちゃまぜの中の島。卒業研究。
保育大学の卒業研究で、居場所の模型制作をした。
自分が作りたい居場所のイメージを、建築模型という形に落とし込んでみた。
その時作った模型の形と、今回の「 食 語 飲 ー ごちゃまぜ ー 」の雰囲気が偶然似たものになった。
卒業レポートの一部。
「保育する」となると、こども中心とは言っても大人が何かをしなければいけない。場や時間を回さなくてはいけない。でも私がしたいのは、こどもたちと「過ごす」ことであり、同じ場で同じことをしたり、同じ場でそれぞれのことをしたり、離れた場所で自由に過ごしたり、そんなことがしたかった。こども達が「ただ居れる」場所を提供したかった。
私のコンセプトはやっぱりここに詰まっている気がする。
保育の現場には、
''大人だから子どもと遊んで過ごすもの。それが仕事。''
そんな空気が漂っている。
だけど、
大人だって好きに過ごしていいじゃないか、
と思ってしまう。
逆に子ども達だって、それぞれ自由にすごしたいはずだろう。
みんなで過ごしたい時もあれば1人で過ごしたい時もある。
みんな同じ空間にいるけれど、それぞれ自分の好きなことをしている、
そんな、他者の存在を感じながら好きに過ごす時間が、居心地よかったりもする。
それは年齢関係なくそうなんじゃないのか。
だから模型を作る時にはそんな事を中心に置いて建物を設計した。
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料理をしたかったから、自分はキッチンに居る時間が多いだろうということも考慮した設計。
入口のすぐ前にキッチンがあって。
キッチンから出入りする様子が見れて、だけど間に柵と透明の仕切りも付けてお互いに気にしすぎずに居れる空間で。
キッチンの周りにはカウンターのテーブルがあって、話したりもできて。
キッチンの隣には広間があって。
キッチンと広間の間にある壁には高い位置に窓があって、そこからお互いに様子を見ることも出来て、だけど高い位置だから常に見える訳でもなくて。
そんな風に、混ざったり離れたり、干渉しすぎず、共に居ることも感じれる。
さっきも書いたが、「 食 語 飲 ー ごちゃまぜ ー 」の日はまさにそんな空間になった。
ごちゃ混ぜになった空間の中で、それぞれが一人の人としてそこに居た。
FOLKで開いてほんとに良かった。
FOLKの建物の構造と雰囲気とが、私のやりたいことのイメージを具体的な形にしてくれたように思う。
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料理がしたい
開催時間は12:00~21:00だったので、
昼食、夕食ありの回にした。
色々考えていたこと全部はできなかったけど、
結局、昼食はシチューとおむすび、夕食はたこ焼きとマカロニサラダになった。
思ったよりもごはん作りに1日中バタバタしてしまったが、
ごはんを作って、お腹いっぱいになるまで食べてもらって、「美味しい!」ってちょっとでも笑顔になってもらえるあの時間が、
やっぱり好きだなあと思った。
反省点ありまくりだったので、それも活かしつつvol.2もご飯を作れたらと思う。
そしてもっともっと、みんなのお腹が満たされるくらいたっぷりのごはんを、その時間と空間に添えれたらと思っている。
ごはん作るの好きな人や、メニュー考えるの好きな人、ぜひぜひ力を貸してください。
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障子のある部屋
FOLK Koshigoe は築100年の古民家をレンタルスペース&ゲストハウスにしている場所で、
障子も貼られている。
障子の近くで遊んだり、床の穴に指を入れて遊ぶ子どもたちを見ていて、「障子のある場所でSoraSiroをやりたい!」と急に思ってしまった。
今回は借りている場所だから、「破らないように気をつけてね」とストップをかけざるを得なかったけど、
「破っていい障子のある場所」ってすごく楽しそうだなと勝手にイメージが広がってしまったのだ。
破れた障子の穴から覗いたり、指を突っ込んでみたり。
めっちゃ楽しいのだ。
だけど障子のある家が減ってる今、そんな楽しさを知らない人がきっと多い。
破ってもいいし、絵を描いたりも出来て、破れた障子を貼り替えてみたり、ちょっとアレンジしてみたり、そんなふうに、遊べる障子があったらめちゃくちゃ楽しそうだ。
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ストップを言わない難しさ
今は毎週月曜日に「SoraSiroはく」という名前で誰でも来て過ごせる場所を開いている。
通常の活動の時は、大人の人にルールを設けている。
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SoraSiroは、
日々の生活からちょっと離れて過ごせる、別荘みたいな居場所
なにかしても、なにもしなくてもいい
ごはんが食べれる場所
逃げてもいい場所、ふっと逃げれる場所
''ただ居れる''場所
そんな場所にしたくて作っている。
特に「逃げれる場所」になることは大事にしたいからこそ、大人にルールを作ってみた。
けれど、「 食 語 飲 ー ごちゃまぜ ー 」の日は、SoraSiroのことを色々な人に知ってもらう機会にしたかったのと、色々なひとがごちゃ混ぜになる場にしたかったので、ルールは提示しないでみた。
「こどもにストップを言わない」ことは思っているより難しいことなのだと知った。
私は、青空自主保育で育ち、その後も手伝いで入ったり、数年前からはフリースクールのいもいもの野外教室に関わっている。
そんな中で過ごしてきたから、
ストップを言わない。ただただ見守る。
に慣れすぎて、それが普通のように思えてくる。
だけど、それが普通では無いのだと、この間色々な人と過ごした時間によって改めて気づけた。
けれど、親子だったら、母だから、父だから、ストップを言わなければいけない時もある。
そうしなければ生活が、親子という関係が、上手く成り立たなくなる。
そんなことも垣間見えた。
私はどんな存在で居ればいいのだろう。
SoraSiroは、可能な範囲で、何でもしていい場所にしたい。
それは心身ともに開放される場所のひとつとして使えることに繋がるかもしれない。
けれど、SoraSiroでいいことが、他ではダメだと、
なぜ家はそれじゃダメなのかと、
他の場所は、大人は、なぜダメというのかと、
その疑問につながってしまうかもしれない。
それが、今度は親たちの負担になってしまうかもしれない。
親たちの負担が増えれば、当然それは余裕のなさへと繋がり、それが子どもに返っていく。
結局は子どもたちの負担を増やしてしまう。
SoraSiroで好きに場を作ったとして、私1人だけ、そんなずるい立ち位置にいていいのかと、モヤモヤが生まれた。
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大人の居場所
旅をしている時も感じたが、
こども、若者の居場所と同じくらい、
むしろそれ以上に、大人の居場所が必要なのだと思った。
大人が話す場所、話を聞いてもらえる場所。
'' ただの一人の人 '' として '' ただ居れる '' 場所。
そんな意味でも、「 食 語 飲 ー ごちゃまぜ ー 」を開いてよかったと思う。
未完成な、不完全な部分が沢山ある中で開いた場だったが、
だからこそ、主催者と参加者ではなくて、みんなで作り上げる場になった気がする。
それぞれが、それぞれと繋がる場になったように思う。
そう綺麗にまとめるのは、都合が良すぎる気もするが。笑
そして、きっと、社会に上手く馴染んで過ごしている人ほど、居場所が必要なのかもしれないと思った。
正確に言えば、「社会に上手く馴染んでるフリができてしまう人」かもしれない。
私みたいに、「社会の '' 普通 ''は無理だ!」と思ってる人はまだいいのだ。
自分の心地いい形を知っていて、心地悪いから逃げることが出来るのだから。
だから、保育大学に4年も通ったのにも関わらず、保育は無理だと思って、就職せずにフリーターの道を選んで旅に出たのだ。
だけど、そう出来るのは少数派なわけで、
たとえ心地悪いと思っていても、心地いいフリができてしまう人ばかりなのだ。この世の中は。
ほんとは色々話したい人で溢れてるんじゃないかと思う。
愚痴を言って逃げ出したい人も沢山いるだろう。
だから、SoraSiroという場が
いつもは '' フリ '' をしてる人たちが、ちょっとだけ '' フリ '' をしなくてもいい
そんな場所になっていけたらいいなと思う。
前から思ってることがある。
そんな人達が、スタバのように来れる場所を作りたいと。
コミュニティに入ることは、それに慣れるまでは、自分が少数派になるようで、怖くて耐えられないのだ。
だから、そう感じずにふらっと立ち寄れる場所。
どうすればそんな場所を作れるのだろう。
まだまだ分からない。
皆さんの力を貸してください。
アイディアをください。
「 食 語 飲 ー ごちゃまぜ ー 」に来てくれた皆さん。
美味しい珈琲と共に素敵な空間をつくりあげてくれた路空(みちのそらぢに)のれいさん。
素敵な場所を貸してくれたFOLK Koshigoeの皆さん。
改めてありがとうございました!
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