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まち。居場所。

こどもの居場所づくりを目指し、
ヒント探しに日本を旅している
SoraSiroのむぎのです。

大阪、滋賀とまわり、次は兵庫に。
兵庫に行って、まちをつくることと、こどもの居場所を作ることは、すごく隣接しているものに感じました。
今回はそんな話を2つ。


心で動く。まちを動かす。

心で動ける人がまちに居たら、
そのまちは、ほんのちょっとかもしれないけど動く気がした。

旅を始めてから、3〜4週間経った。
その期間で、たくさんの人と出会った。
その中には、心で動いちゃうような、そんな人も沢山居た。

頭で考えて動くのも絶対に大切ではあるのだが、
やっぱり、行動に移して周りすら動かしてしまうのは、心の思うままに動いちゃう人な気がする。
思いと考えは少し違うように思う。
思いは、自分ですら無意識のうちに考えること。
考えは、一度冷静になって、順序立てたり、整理したりして考えること。
そんな違いがあるんじゃないだろうか。
思いは、反射みたいなもので、もう、脳まで行かずに神経で判断して出てっちゃう!
みたいな、、笑
そんな勢いがあるからこそ、周囲に与える衝撃も強くて、
だから相手も直立したままではいられない、ぐらっと動いてしまう、
そんなものなんじゃないかと思う。

まちの場合、思いで動く人がいたら、まず近くの人がその衝撃を受けるだろう。
衝撃を受けた人も、その衝撃を今度は自分の周りに伝えたくなる。
そんな風に、ひとつのエネルギーが、どんどん人々を伝っていって、そうなったらまち全体が少し動くんじゃないだろうか。
それが、例えばこどもに関することだった場合。
普通に暮らしていたら届かなかったこどもに、何かを届けられるかもしれない。

私がこどもの居場所づくりをしようと思ったきっかけに、児童相談所の相談件数と社会的養護へ繋がるこどもの数が関係している。
保育大学に通っていたのだが、保育でも社会的養護の授業がある。
「児童相談所の相談件数は年々増えてます」と、相談件数の推移のグラフを何度見せられたか分からない。
そんな中、ある日の授業で、
児童相談所への相談後、一時保護所に行き、そのあと社会的養護に繋がる件数を示した表が出てきた。
それまでは、一時保護所に行ったら、ほとんどの子は何かしらの場所に繋がるのだと思っていた。
児童養護施設かもしれないし、里親かもしれないし、自立支援施設やその他色々。
だけど、そういった「社会的養護」といわれるものに繋がる子は数パーセントしかいなかった。
「じゃあそれ以外の子たちはどこにいっちゃうんだ」
一番に頭に浮かんできた言葉はそれだった。

シンプルな答えは、「家庭に帰っていく」
一時保護所でそのあと夜勤をするようになって、それがより明らかに分かった。
社会的養護に繋がるのが最善かと言ったらそうでは無いと思う。
慣れ親しんだまちや家で、家族と一緒に、安心して過ごせる環境になるのが一番いいと思う。
だけど、一時保護所に入るくらいになった子たちなのだ。
家庭はよほど不安定なものだろう。
ある程度のハードな状況にまでならなければ、保護するに至るような''周りからも目に見える状況''にはならない。
社会的養護に繋がらないということは、''大丈夫だろう''と児相の大人が判断した家に、こどもたちは帰っていくということ。
だけど、一度、周りからも見えるほどにまで崩れた家庭。そうすぐに変わるものなわけが無い。
''大丈夫に見える''だけで、本当に''大丈夫''なわけではない。
実際、一時保護所を退所して家庭に戻ったあと、また家庭の関係が崩れ保護される子は何人もいた。
「保護所を出たい」「家に帰りたい」保護所にいるこどもたちは、よく、そう口にする。
それくらい、何ヶ月も暮らすための環境が、一時保護所には整っていない。
職員は整えているつもりなのかもしれないが、一時保護所で働いている職員に、「一時保護所でこどもたちと同じように数ヶ月生活してください」と言ったとして、できる人はきっと居ないだろう。
職員にとって一時保護所は、結局働く場所であって、家では無い。自分たちは安心して帰れる場所・家が他にある。
その目線で環境を作るから、こどもたちは苦しいのだ。
だからこそ、こどもたちは一度家に帰れると、家庭が相変わらず苦しかったとしても、一時保護所に戻りたくないから、と我慢して暮らす子もきっと多い。
まちにはそんな子どもたちが普通に生活しているのだ。

社会的養護に繋がる子がそれほど少ないということは、
児童相談所にすら繋がれていない子はもっともっとたくさんいるということだろう。
何となく家に居づらい、学校に居づらい、そう思いながら日々生活している子が、きっと想像以上に沢山、まちに、見えない身近な所にいる。
だから、その子たちにどうにかして、大丈夫だよと、安心を届けられないか。
それが、こどもの居場所づくりをしようと思ったきっかけだった。
そして、居場所をつくって、こどもたちに安心を届けるということは、
人やまちを動かしてしまうほどの大きなエネルギーを持った思いで、動くことなのかもしれない。
大阪〜兵庫のこの3週間で出会った人たちを見て、そう思った。


長田というまち

兵庫では4日間過ごした。
susowaという学生団体の活動を見学するために寄ったのだが、ついでに「はっぴーの家」という介護施設を見に行くために長田というまちにも寄ってきた。
はっぴーの家は色々な人におすすめされていて、知り合いの知り合いがはっぴーで働いているということで繋げてもらい、行ってきた。
その方が、近くでゲストハウスや家の解放や子どもに関する様々な活動など、色々なことをされてるマイさんヒロキさん夫婦と繋げてくれた。

その日はちょうど部屋の解放デーで、一緒に遊びに行ってきた。
まちの人たちや、ママ友たち、その子どもたちが何人か集まり、自由にすごし、喋ったり、お菓子を食べたりなどなどして楽しむ空間。
夕飯も持ち寄りで一緒に食べさせてもらった。
その中で、長田のまちのことを色々聞いてみた。

長田は子育てがしやすい。
みんなそう言っていた。
まちで人と会ったら当たり前に挨拶し合う。
困ってる人、子どもを見たら、声をかける。
みんなで集まって持ち寄りご飯会をしたり。
そんな風に、まちの人と近い距離で、助け合って支え合って暮らしているようだった。
だから、あえて「こどもの居場所」というものを作る必要も無いと言っていた。
まち全体が、こどもたちの居場所で、親たちの居場所で、みんなの居場所になっている。
困ったら、近くの家の戸をたたけばいい。
そんな環境が長田にはあるのだ。

はっぴーの家のスタッフの方にも色々話を聞いた。
その中で、長田はひとり親家庭や貧困の家庭も多いと話があった。
そしてマイさんの所での話と比較して、気になる話がひとつあった。
「まちで暮らしている人でもはっぴーの家を知らない人もいる」
長田という、人との繋がりが強いまちであっても、全ての人がまち全体を把握している訳では無い。
その把握されていないものの中に、家庭やこどもも含まれるんじゃないかと思った。
身近な人に助けの声をあげれずに家や学校で困っている子どもたちも、きっといるということだ。
マイさん・ヒロキさんは本当に素敵な子育てをしているように思う。
だから、''そこに繋がっている家庭''はすごく心強く、安心してまちで暮らし、子育てをできるだろう。
だけれど、そうでない家庭もきっとまちのどこかに暮らしているのだ。
何にも繋がれず苦しんでいる、そんな家庭が。

はっぴーに行ったことで、まちに暮らす家庭の層や、人々の認知の面について知ることが出来た。
マイさんの所に行ったことで、長田というまちでの子育てや人の繋がりについて知ることが出来た。
どちらかにしか行かなかったら、片方の情報しか知れなかった。
国民・まちの声を聞くって、こういうことなんじゃないかなと、ふと思った。
行政とかそういうものの中で、人々の声を聞いてなんたらかんたらとよく言うが、
大体は、声が集まってくるのを待っていたり、ある1つの場所で話を聞いたり、数値だけ見て判断したり、そんなことが多い気がする。
だけど、こっちから声を上げて、届けるのは結構ハードルが高い。
数値だけ見たところで、数値になっている部分しか見えない。
だから、まちに行って、色んなところに立ち寄って、その場その場の人たちの話を聞いて、聞いていく中で少しづつ比較をしていって。
そんなふうにしてやっと、まちに''暮らす''人たちの声が分かるんじゃないか、そう思った。
まちをつくるというのは、きっとそういうことなのだ。


「こどもの居場所をつくる」
と一言にまとめると簡単に聞こえるが
まちも、居場所も、こどもも、家庭も、子育ても、学校も
'' 生活 '' に関わるものは全て繋がっている。
まちづくりをするのが一番早いのかもしれないが、
私にはそれをできるキャパがない。
だから、その中から自分はどれを選び、どこに重心を置き、どう活動していくか。
旅をしながら少しづつ見つけていきたい。


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