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あたしの家のはなし(2)

そんな家であたしが生まれたのは、1回目の東京オリンピックの年の春、自分で言うのもなんですが、とても賢い子ども時代だったと記憶しています。

父は名目上8人兄弟の長男となっていますが、正確には9人兄弟の次男です。
実は祖父は結婚前23歳の時に大恋愛をし、お嫁さんにはならなかった(なれなかった)女性との間に正しい長男が生まれていたのです。
父よりも9歳上です。
その長男を、祖父は自分の籍に迎え入れてはおりましたが、長男は実母の元で成人まで育てられ、生業も実母の嫁ぎ先に助けられていたようです。

また、その祖父も2人の母を持つ身でした。
生みの母が早くに病気で亡くなったので、後妻として2人目の母が嫁いできておりました。
そのため、祖父自身も異母兄弟となる弟がいたのです。
こうして、文字にしてみれば、とても複雑な状況で祖父自身も育ったのだろうと思います。

明治憲法下の『家長制度』ゆえに、どこか体裁を通そうとし、人の心が蔑ろにされながら続いた、そんな一面を感じずにはいられません。

あたしの両親は2009年、わずか半年違いで亡くなりました。

この家の長子至上主義のため、生前から姉はいろいろ好き放題、声高に自分の正義をいまも翳しています。
心の晴れない直接対決は大の苦手なので、ここに書いて、ちょっと憂さを晴らしたいと書き綴っていきます。

次は父の人間像について、です。

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