「甘い世界」

平成元年に発生した一連の幼女連続誘拐殺害事件と聞いてすぐにそれと思い出せる人は今どれくらいいるのだろうか。いわゆる「ミヤザキツトム」の事件である。

私は全然生まれていないのでリアルタイムの状況を知らないが、宮崎の事件をきっかけに、オタクというステレオタイプな概念が(極めてネガティブなイメージとともに)世の人々に周知されるようになったといわれている。そのミヤザキツトムが「ロリコンでオタクの異常犯罪者」という見方は当時から今も変わらず、わかりやすく省略された犯罪者イメージを表示しようとすると、再現ドラマなどもそうした描かれ方をされがちである。
しかし、宮崎勤の深淵、深淵というかこちらがどう関わろうにも何を問いかけようにもどこにもつながっていない底のなさはそんなもんじゃない、と事件に関する本を読むと思う。精神鑑定の内容を読み直していたら、やはり彼の言葉や、心象世界の茫漠としたつかめなさはすごい。こちらの解像度まで落としに来るほどに、どこまでもうつろでぼやけている。精神病理的には言語新作と捉えられるのだろうが、むしろ体験世界の真相に迫っている気がする。人の内奥を剥くような、直裁的な凄みがあるのだ。

宮崎は一人でいた幼女を見つけると、声をかけて車に乗せ、空き地へと連れ出し、そして殺した。
幼女と一緒にいる閉じられた空間を、宮崎は「甘い世界」という言葉で形容する。「甘い世界」というのは、宮崎の中で母胎の原風景のような、大きく穏やかなものに懐かしく守られている世界である。彼は終始この「甘さ」にこだわり、同様の言葉をくりかえし口にしている。
この「甘い世界」とは何だったのか。私はずっと気になっている。

一人ぼっちの女の子と一人ぼっちの自分。自分と、女の子と、ひとりぼっちがふたり。ふたりぼっちがひとり。時間がちぢんで頭痛がする。視野がぐううと狭窄し、景色が濁ってゆく。眼と眼の中央からなにかとても大事なものがゼリー状にとろけだしてしまって、人であることをかろうじてつなぎとめている留め金が緩やかに外れてゆく。ここは治外法権なんだよ。斜面が甘い。空間が甘い。密閉されたテレビの中が甘い。電気のさわさわが痒いのが甘い。時報がわーんと延髄に響く。世界は怖い。大人は汚い。でも、ここなら、やさしく包まれている。自分が自分であった懐かしい世界にいられる。
風景が粗くなり、ぐんにゃりと歪んで、見えるものが希薄化し、代わって見えないものどもが姿をあらわす。
そういった光景を思う時、いつも柳田国男『遠野物語』の中でもとりわけ異色を放つ「山の人生」という話を思い出すのである。
貧しい炭焼きの男が、困窮と飢えの末に子どもを鉞で斬り殺してしまったという、伝聞に伝聞が重なったような話であるが、そうした悲しい事件が確かにあったのは事実なのだろう。
話の筋としては、困窮が生んだ凄惨な悲劇と言ってしまえばそれだけなのだが、この話のもつ濃密な妖気、一気に向こう側に攫ってしまう度数の高い香気は、他にないものである。

「眼がさめて見ると、小屋の口一ぱいに夕日がさしていた。秋の末の事であったという。二人の子供がその日当たりのところにしゃがんで、しきりに何かしているので、傍へ行って見たら一生懸命に仕事に使う大きな斧を磨いでいた。おとう、これでわしたちを殺してくれといったそうである。そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たそうである。それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打ち落としてしまった」(柳田国男『遠野物語・山の人生』pp.93-94)

ゆるやかな勾配が、緋色の西陽にあかあかと染め上げられてている。どこまでもどこまでも伸びた影は私だったさっきまでの輪郭をとどめず、青黒い色に融けてゆんらりと這う。光の眩しさにあてられたのか、それともなにかに魅入られたのか、思わず「くらくらとして」…それはあまりにも静かで呆気ないものであった。世界の先端のいまここで、瞬間が飽和したことを誰も知らない。

この、男が不意に「くらくらとして」しまったときに広がっていた世界と、宮崎のいう「甘い世界」ーー夕暮れ、心細くなった幼女が泣き出した途端、それはたちまち「おっかない」ものとなって破れてしまうのだけれどーー、は同じところに触れているという強い直観がずっとあった。物理的時間的に隔たれた現実をスライスして、垂直に串刺したらそれらは同じ様相をした濃密な祝祭の中に取り込まれている感じがした。それというのも、世界が中心から裂けて、うちとそとがねじれてしまうところ、つまり西田のいう「場所」「非場所」でもいい、のようなところと同じものを感じてのことである。よって、宮崎勤が見てしまった世界がどうしても忘れられなくて、繰り返し繰り返し彼の言葉をたどってしまうのである。

こういう、異界が口を開けている場所、「くらくらとして」しまう空間は普段気づかないだけで、どこにでもあるのである。極まった線香花火の最後みたいに、熱くなった現実が内側から弾けてぷつりと裂ける。例えば、老老介護の果てに子どもが親を絞殺してしまったニュースなどを見ると、ああここでもあの時と同じ強烈な西陽に侵されてしまったのではないかなどと考える。古い公団の角部屋が燃えるような真紅の陽射しに染め上がっているイメージを想像するのである。

以下、中安信夫著「宮﨑勤精神鑑定書別冊 中安信夫鑑定人の意見」より、宮崎の精神鑑定を行った中安信夫医師によるやりとりから抜粋する。(( )内は中安の発言)

(事件はどういうこと)わかんない。
(山の斜面も)山の斜面は私が甘いんだぜ。
(それは集め事とは関係ない)集め事は私が甘いんだぜ。
(山の斜面も)私が甘いんだ、懐かしいから甘いんだ、甘い場所なんだ。
(そこで事件が起こってもそれは関係ない)甘い場所なんだぜ。
(ネズミ人間が来たのは?)急にでてきた木の陰からヌッと出てきて急に手のこと思い出して甘い世界が急におっかない世界になった。

ネズミ人間とは、顔だけがネズミの姿をした黒っぽい人間の幻視像である。宮崎にとっては、幼少の頃から柱の陰からこちらを注察してくるなど、得体の知れない恐怖のイメージとして捉えられている(ちなみに、以前宮崎のことを今以上に考えていた際、シャンプーをしていて風呂場のすりガラス越しにネズミ人間に立たれているような気配を持ったことがあってそれはものすごく怖かった)。事件当時、幼女と二人きりでいる際、ネズミ人間が出現すると途端に「甘い世界」は「おっかない」ものへと豹変する。また、「手のこと」とは、宮崎が生まれつき手のひらが上に向かない障害を有していたことを指す。手の障害は宮崎にとって生活面や社会的側面で幼少の頃から相当なコンプレックスであった。幼稚園でお遊戯が周囲と同じようにできないこと、「ちょうだい」の形ができないこと、用便の際にお尻がうまく拭けないことなど、この世の不如意不都合の元を辿るとそこにはいつも思い通りに動かない手のひらがあった。その点「甘い世界」では、あらゆる困難さを象徴する手の障害を気にしないでいられる世界なのである。

(それではどうして、女の子ばかり襲ったの?)・・・誰がいつ出会うかわかんない。ポツンとたった一人で。・・・自分みたいに、本当の親がいないんじゃないかと思った。・・・甘い感じ。
(何が甘い感じなの?)・・・一人ぼっちと一人ぼっちが出会った。
(恋愛みたいなもの?)相手は意識しない。こっちも。・・・相手のことは出てこない。・・・自分が、手のこと知らない頃に帰ったようで。
(子供の頃に戻ったような感じ?)・・・手のことを知らないまだ甘い状態に戻ったみたいで。一人ぼっちで出会った。
(あなたも一人ぼっち?)うん。

(でも女の子は一緒に乗って斜面に来るまで甘いの)あとはよくわかんないけど甘い世界なんだ
(車乗せたところで甘いの)違う、一人ぼっちの子をみると見た瞬間甘いんだ。男女関係ない、自分がみるよう、一人ぼっちの自分をみちゃうんだ。
(誘ったんでしょ)そんなことしない、ついて来るんだ、見た瞬間から自分の手に気付いてない甘い世界に入るんだ、甘い世界に入ってる。

私は、宮崎は感じたまんま、ほんとうのことを言っていると思う。一般的な見方からすれば、どこまでが事実でどこから妄想ないし作話なのか、全く要領を得ない妄言に取られるだろうが、一人ぼっちと一人ぼっちが出会ったその瞬間に甘い世界に入った、宮崎曰く「筋書きのない物語」の中に入ったという説明は、彼にとってほんとうにそうとしか言えない体験だったのだと思う。

炭焼きの男が思わず「くらくらとして」殺害に及んだという説明が動機の証言として全く機能しないのに、まさにそれこそが一線を越える決定的な決め手になっているのはなぜか。それが「絶-対的(対を絶するという意味で)」な強度をもって到来する、圧倒的な外部であるからだろう。
人間の力では抑えられない、吹き出すような外部のエネルギーの渦中にあって、忘我的な恍惚感におそわれるそのとき、時間も空間も、良いも悪いもないのである。そもそも、そういう仕組みでできていないから、そのようなことを時系列や筋道を通して説明するのは不可能だと思う。もちろん、決して責任を追求しないということをいっているわけではないが、要因に要因が重なった結果運悪く憑依されてしまうということは起きてしまう。

(独りぼっちの子に出会ったとき、どんなことが起こる?)ばったり出会う。
(ばったり出会った後、どうなる君は?)もう、筋書のない物語の中にいた。
(その前に、そういうドライブに入る前に、自分の姿が重なっていた?)一心同体になる。
(一心同体についてもう少し説明してくれる?)・・・同じ意思を持っている。
(同じ意思を持っているけど他人ですか?)いや、一心同体。
(同じ意思を持っているけど体は二つあるんでしょ?)よくわかんない。
(同じ意思を持っているけど自分とは違う人?)・・・いるようでいない。相手性がない。

これは幾分私の想像だが、宮崎勤も近代的な「自己」、自分がどうとか、相手に対する自分というものがどうしようもなく弱い。獄中での対応など表面的な振る舞いだけ見ると、びっくりするくらい高慢で幼稚、自己中心的な自意識で固めているが、弱さを埋めるための仮象だと思う。本来の宮崎は「相手性」をもった他者と、自分自身が他者にとっての「相手性」を有した人格として向かい合うことができないから、過剰に防衛するのだと思う。それは、手の障害によってうまく周囲に適応できなかったこと、心を許して人と関わることが難しかったこと、両親から心から省みられるという経験に乏しかったことなど、さまざまな背景が考えられるだろうが、それにしても、彼の主体は拭けば飛びそうなほど脆くて頼りない。私がことあるごとに言っている表現を出せば、破線○的自己なのである。(これについては、以下の記事などで説明しているのでよろしければどうぞ)

宮崎は、他のみんなと同じように世界に手を伸ばし、確かさをこの手で触れて確かめることができなかった。ずっと前後不覚、他者に何をされるかわからないし、世界がどう動くかわからないから、身の回りのあらゆるものが侵襲的に映る。

そんな彼にとって自己をなんとか社会の範疇に繋ぎ止める媒体が「ビデオ」だったのだと思う。宮崎は、強迫的にビデオテープの録画と収集に耽った。心の拠り所にしていた祖父の亡き後は、ビデオを万引きしてまで集めることにとりつかれた。
そして、次第に収集は集めること自体が目的化していく。膨大な量のビデオは、集めただけで、見ていない。

撮影行為が対象に対する優位や支配を意味するということはよく言われる。宮崎の場合もそのような側面がありつつ、ビデオは過剰で理解不能な現実を解毒して自分の一部にするためのメディアであり、かつ、ビデオは彼自身だったのだと思う。
部屋いっぱいにうず高く積まれたビデオテープの山が、宮崎勤という人間がここにいることを世界に示すいびつな輪郭であった。宮崎自体は穴、空洞のようなもので、ビデオの楼閣が宮崎を形成していたのである。
したがって、ビデオの収集は自分自身を集めることだった。コレクション仲間とテープをやり取りすることで狭いながらも対人関係を持っていたことから、ビデオは彼自身に引きこもるシェルターであり、社会と自己をか細い糸でつなぐ媒体でもあって、両義的な機能を持っていたことがうかがわれる。
また、宮崎は「人が持っていない内容のビデオを所有すること」にやたら執着していた。それは、他者と差別化した自分の個性、自己の顕示を意味していたのかもしれない(人が持っていないレアなビデオを持つという欲求が、幼女の遺体を撮影した説明にもなっている)。
集めることをやめたら、自分が世界から消えてなくなってしまう。だからこそ、ビデオ集めに異常に熱中する。

元々の出典を失念してしまい、前後がどのようなやりとりだったか示すことができないが、テレビ番組を録画すること(宮崎は「ビデオ作業」という)についてこのようなことを言っていた。


「ビデオを録画しているとき、ピカピカとなる。あれがいい。集まっているな、と思う。とろけるように甘い・・・」


私はこの、「(おそらく録画ランプが)ピカピカとなる」のに「集まっているな」と感じ、かつそれが「とろけるように」甘いという表現に、なにかすごく惹きつけられるものがあって、ここに核心があるのではないかと思っている。

オレンジか赤か、小さなランプが規則正しく点滅するのに、我を忘れて没入する。世界から見放された自室にうずくまって「作業」をしていると、ピカピカとする光とビデオデッキのザーザーいう音に全身が包まれて、全身にあったかな血が通うような感じがする。心地よく浸す甘さはとろけるようで、守られていることを言葉以前のところで感じる。
そのとき、「集まっているな」という安心の手応えを思う。何が集まっているのか。自分が集まっているのである

「甘い世界」に没入しているとき、宮崎と幼女の境界は失われて「一心同体」となる。そこでは幼女の他者性、こちらとは異なる意思を持ち予想外に振る舞うような可能性は想定されない。つまり、「相手性」がない。
「相手性」を保ったまま、「甘い世界」に入るという場合はあったのだろうか。そのようなことは、宮崎には決してできなかったと思う。なぜなら、そもそも「相手性がない」ことが「甘さ」の条件であるから。しかし、もし仮に相手を相手として、自分とは別の個体としてその存在を認めた上で「甘い世界」に入ることができたとしたら、違う結末になっていたと思う。思わず「くらくらとして」・・・、とろけるような西陽に眼が眩んだとしても、なんとか元の世界に戻ってこれたのではないかとぼんやり考える。


いつも、「甘い世界」のことを考えると、小林秀雄が「信ずることと知ること」で柳田國男について綴ったエピソードを思い出すところまでがセットである。
小林は、柳田の民俗学は深い感性、狂気に触れる魂がなければなしえなかった学問であるということを書いている。

柳田が少年の頃の体験。旧家の庭で遊んでいたらそこに石造りの小さな祠があった。話に聞くと、死んだお婆さんが祀ってあるという。ある日、どうしても中身が見たくなって思い切って祠を開けたら、そこには実に美しい、握り拳くらいの大きさの蝋石が納まっていた。

「その時、不思議な、実に奇妙な感じに襲われたというのです。それで、そこにしゃがんでしまって、ふっと空を見上げた。実によく晴れた春の空で、真っ青な空に数十の星がきらめくのが見えたという。その頃、自分は14で非常にませていたから、いろんな本を読んで、天文学も少し知っていた。昼間星が見えるはずがないとも考えたし、今ごろ見える星は自分などの知った星ではないのだから、別に探しまわる必要もないとさえ考えた。けれども、その奇妙な昂奮はどうしてもとれない。
その時鵯(ひよどり)が高空で、ぴいッと鳴いた。その鵯の声を聞いた時に、はっと我に帰った。そこで柳田さんはこう言っているのです。もしも、鵯が鳴かなかったら、私は発狂していただろうと思う、と」

ヒヨドリの一声がなければ、そのときそこで発狂していたかもしれない。もう元に戻ってこられなかったかもしれない。
「甘い世界」が自閉的な妄想に取り込まれてしまうのではない、違う方法で破られる可能性はなかったものかと、考えてもどうしようもないことを考えるのである。

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