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アボカドにワサビをつけても差し支えない夜

昨日の夕飯に麻婆豆腐とワサビの醤油漬けを食べた。ビールも飲んだ。なんなら今日も飲んでいる。ご飯のメニューにまったく気兼ねがない。

娘が学校のキャンプで家を空けている。それも2泊3日。我が家に子どもが生まれて8年と9カ月。骨折で入院した日を覗けば、平時に子どもがいない夜は初めてだ。日常の非日常である。

いつもは夕方4時にお迎えのタイムアップがないので、1日が5時間ほど拡張されている。だらだら、とも違うのだけれど「〇〇しなきゃ」が大幅に減って、家の中に流れる時間はなんだかゆっくり。私も夫も、子どもがいることで母と父の役割を担っているのだなあと思う。

2晩連続で娘の不在ということで、ひとまず「普段はなかなかできないこと」をやった。夕飯で辛いメニューばっかり並べたし、夕方にジムも行った。ご飯を食べながら子どもとはまだ一緒に観るのは早いかな~(もしくは、子どもがつまらないと離脱する)って感じの番組もNetflixで見た。

今年のはじめに「キャンプあるよ!」と知ってから(私は次の学年で行くと思っていた)、キャンプの裏番組として何をするかワクワクしていたりもしたのだけれど、実際に子どものいない時間を過ごしてみると「ふーむ」という感じである。

なんだろう、まあ簡単に言うと「張り合いがない」。夕飯の支度の途中やご飯のときに「ねえねえおかあさん」の声がないのでとても静か。言ってしまえば……平和。

さみしい、はありますよ。まあ寂しいですよ。早く笑顔で帰ってきてくれるといいなあと思うもの。でもこの、寂しいっぽい感情を切り取って机の上に置いたとき、どうも「さみしい」一色じゃない気がしている。

これはあのときと似ている。子が生まれてすぐ。ふにゃふにゃの新生児を抱えて、周りからのイメージは「おめでとう」一色だった頃。裏側には、小さすぎる赤子への畏怖とか不安とか寝不足っていうか寝られないとか、いろいろあったじゃない。

想像がつくような気がしていても、そのときになって、自分がどぼんと漬かってみないとわからない感情はたくさんあるのだな。漬かってみても、それがどんな気持ちか、正確に理解するのは難しい。

本当に子どものいない夜が普通になってから、「あのときって」って気づくのだろうか。

そんなことを思いながら、娘が帰ってくる明日の晩御飯は何がいいかねえと考えているし、掃除機をかけたリビングのカーペットに折り紙やら塗り絵やらを広げる人がいないのはやっぱりなんだか物足りない。


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