餃子は特別じゃなくなったから #私の晩酌セット
餃子が我が家で幻のメニューだった時期がある。食べたいのに、作りたいのに、手が届かない。
あれは、娘が生まれてから1年間くらい。料理のハードルが果てしなく高かった頃だ。比喩ではなく、ほんの少しでも手がかかるメニューは食卓にのぼらなかった。
スーパーで立派なキャベツを見て、明日は餃子にしようと思い立つ。そんな今でも、夕飯づくりが殺伐と嵐のようだった日々をちょっと思い出す。
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餃子は作るのも食べるのも好きだ。料理は一通りできる。補足すると、夫は料理人なので大体なんでも作る。それでも、キッチンにじっくり立つのが難しかったのは、はじめての子とか、海外の田舎で知り合いほぼなしとか、夫の仕事がめっちゃ忙しかったとか、まあ色々だ。
あと娘、よく泣いた。寝る前に泣く、寝てても泣く、起きてたら泣く。元気だわ、と構えていられる余裕は当時の私には一ミリもなく。泣き声が聞こえたら、すべての作業を中断して抱っこしていた。
一事が万事そうなので、料理は基本、「放っておけるもの」になる。隙間時間で切った野菜と、わずかな休日に夫が仕込んでくれた肉団子を放り込んだスープをよく作った。もしくは、焼くだけの肉とか。
手の込んだ料理が恋しい。私だって、丹精込めて何か作りたい。
Uber Eatsなんてない田舎。おいしい餃子を出す中華料理屋もない。冷凍餃子は売られているけれど、熱々を頬張れば肉汁があふれ出す手作り餃子とはちょっと違う。
気合を入れて餃子に挑戦した日もあった。結果、泣きわめく赤子の相手をしながらキッチンを出たり入ったり。汚れる手、洗い物であふれるシンク。
正直なところ、味わう前に気力が尽きた。料理へのこだわりもあきらめた。だって「夜に連続6時間睡眠」すら、手が届かない夢になる生活だったもの。
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スライサーでキャベツを細かく切る。豚バラブロックの皮を剥ぎ、半分をスライスしてから包丁で叩く。ミンチ状になった豚バラと、豚挽き肉を混ぜて練る。
キャベツと調味料を混ぜて餡を完成させたら、ざっと洗い物をしてお手伝い要員を呼ぶ。
娘がピンクの椅子を持ってきて、私の横に並ぶ。餃子の皮を一枚手にのせて、スプーンで餡をすくってから、「これくらい?」と聞いてくる。「ちょっと多いね」とか「もうちょっと入れようか」と返す。小さな指が、1個の餃子の端と端を合わせている間に、大人の手で3個包む。
パクチー入り餃子も作る。これは大人のお楽しみ。娘が包んだ餃子は、形のバラエティが豊かなれど餡がちゃんと中に納まっている。7歳のお手伝い要員は頼もしい。
タッパーに、どんどん餃子が並ぶ。白いぷっくりとした、満月になる途中の月のような餃子だ。餃子を包む時間。ああ、私はこの時間が好きなんだなと思った。
黙々と同じ動作を繰り返す。せっせと手を動かした先に、幸せが積み重なっていく。
家に泣いてばかりの赤ちゃんがいたとき、睡眠、食事、家事、すべてが途切れ途切れだった。10分で終わるはずの洗濯物干しが、30分経ってもまだ残っている。マグカップの中身は、いつも飲み終わる前に冷めてしまう。
なんとなく、至る所で細切れになってしまった自分をつなぎなおしてくれる象徴みたいなものが、餃子づくりだったのだと思う。たぶんそれは人によって、一杯のコーヒーをゆっくり飲む時間だったり、映画をじっくり観る時間だったりするのかもしれない。
50個の餃子を包み終えたら、娘が「早く食べたい」と嬉しそうに跳ねていた。
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餃子を熱々のスキレットに並べる。結婚して10年、使い続けている相棒だ。
娘がぐずってあわただしい朝でも、熱したスキレットに卵を割り入れて蓋をして余熱で放置すれば完璧な目玉焼きができた。今では、パンケーキも唐揚げも餃子もこのスキレットで作る。長年使い続けてきたものを、信頼している。
ジュウジュウ湯気をあげてきつね色に焼けた餃子をお皿に盛る。熱いから気をつけてねなんて言わなくても、娘はふうふうと冷ましてから口に運ぶ。
次の皿の分を焼きながら、餃子をひとつ頬張る。肉汁が溢れて、うん、ちゃんとおいしい。
我が家の餃子は、決まったレシピがない。基本のレシピは、肉まんでもお世話になる『ウー・ウェンの北京小麦粉料理』。
でも海老をいれたりシソをいれたり、調味料の種類も変わる。野菜が多すぎたとか、味がちょっと薄いなとか、色々ある。でも毎回、おいしい。変わっていくものの先には、やっぱりほんの少しの希望があると思う。
となりで娘が両手を閉じたり開いたりしながら、「こんなに美味しい!」と笑顔を振りまいていた。
グラスにビールを注いでごくごく飲んだ。最近ニュージーランドでよく見かけるようになった、ラガービールだ。こっちも日本の味がした。
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