見出し画像

きらきらとしてしゃがみ込む背中

子どもの頃、なにをして遊んでいただろう。しばらく考えてふと思い出すのが椿の花だ。9歳か10歳くらいのとき、同じクラスだったマナミちゃんと、椿の花びらをすり潰してお酒を作る遊びをしていた。

どちらが言い出したのかとか、なんのためにとか、まったく覚えていない。思い出せるのは、マナミちゃんちの玄関ポーチでごりごりと地面に擦り付けた石と、植木鉢の陰に隠すようにおいたジャムの空瓶と。

原材料は、たぶん花びらだったと思う。マナミちゃんちの庭にあった椿をむしり、赤い花びらを積み重ねた。手にした石ですり潰し滲み出てきた花の知るをジャム瓶にうつすと、琥珀色の液体ができた。

太陽にかざしてなみなみと光る液体は、まるで台所の床下で眠る梅酒のように魅惑的だった。

私はマナミちゃんとふたり、彼女の家の玄関前で密やかな遊びを続けた。今の私からすれば、何を作ってるのだとつまらない言葉をかけてしまいそうだけれど、「そんな汚いもの捨てなさい」と大人に言われずに済んでよかったと思う。

下校時にマナミちゃんの家に立ち寄り、せっせと作り続けた瓶が2つか3つほどになった後のことは覚えていない。あんなに熱中した遊びたちは、どこに消えてしまったのだろう。

日本とは季節が逆、ニュージーランドの真冬のさなか、久しぶりの青空が見えた週末に娘とその友達を連れて海に来た。

子どもたちは「水に入らないでね」という忠告を秒で忘れ、波打ち際で穴を掘り堤防を作る。

あたたかな日差しのおかげで、浜辺を歩く人が多い。犬の散歩をする人、枝で海藻を集め海に返す女の子。波打ち際に足をつける子どもたち。

1歳そこそこの子が、短い足で砂浜を力強く踏み締め、慣れない足取りで海に近づく。その子は波に引き寄せられるように海へと向かい、波が襲ってくるとわかると体を反転させ一心に親の足元目指して走る。遠目で見ていても、喜びや驚きが全身に満ち満ちていて、世界を吸収するのに忙しそうなのがわかる。

やがてその子は、穴を掘る8歳たちの存在に気づき、まるで一緒に遊ぼうと言いたげな距離まで近づく。じっと穴のそばに佇む小さな人影を、年上の二人はちらりと視線を上げただけで、すぐに穴掘り作業に戻った。不思議そうに眺めていた1歳も、お父さんと思しき人に連れられて去っていく。


こんな風に流れていく、動画であれば早送りされて飛ばされてしまいそうな子ども時代のワンシーンは、大人になってからどこにたどり着くのだろう。幾度となく夏を過ごした海の、にじんだ水平線や白く光る波間、サンダルについた砂つぶ。

まぶたを閉じて想像してみると、思い浮かぶのは、実家の子ども部屋かもしれない。もう使われていない、でも勉強机だけは残っている、かつての自分の部屋だった場所。

少しだけさみしい気がする夕方の、畳に伸びる影と、置きっぱなしになった勉強机の引き出しを開けて、奥から転がり出てくるようなもの。


あとで娘に聞いたら、小さな子が近づいてきたとき、娘は友達と小声で「作った堤防が壊されませんように」とささやきあっていたらしい(穴を掘り、波に崩されない堤防にしていた)(小さな子の行動って予測不能だものね)。

子ども時代ど真ん中の娘は、きらきらしたキャンディが詰まった瓶に飛び込んでいるみたいな感じなんだろうか。まぶしいものを遠くから見ていた、そんな日曜日の午後。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?