子どもの1歳の誕生日に、どうしようもないツラさを抱えていた君へ
スクロールした画面に遠方の友人があらわれる。いや、友人自身は写っていない。そこにいるのは配偶者や子どもの姿。
30歳を迎えた彼女のタイムラインでは、結婚、出産、子育ての話題がピークを迎えている。とりわけ、子どものお食い初めや誕生日のイベントの投稿が多い。
子どもの誕生日というのは、とても幸せな出来事だ。
けれども彼女は、心の底にたまったオリのようなみじめさを感じずにはいられなかった。
膝の上で、もうすぐ1歳になる子どもが笑顔でスマホに手を伸ばそうとしている。
幸せなはずなのに。
なのに、出産してからというものまとわりく寂しさと辛さが、彼女の中にずっと消えない。
おかあさんなのに
思えば子ども産んだまさにその日から、彼女の心は重かった。
妊娠をキッカケに、都会から地方へ移住した。「子どもが生まれたら、自然に近いところで育てたい」それは、夫婦の共通の想いだった。
仕事はやめた。いざとなれば、自宅でもはじめられる。ひとまずは、出産と育児に専念しよう。彼女はそう考えていた。
そして冬の終わりの嵐の夜、10時間以上の陣痛を経て一つの命をこの世に産み落とした。
「なんて、ちいさいのだろう」
それが、彼女が最初に抱いた想いだった。可愛いとか、愛おしいとかいう母性ではない。弱々しい生き物が、この腕の中にいる恐怖と責任感。
オムツ替え台のうえに、ころんと寝かされる赤ん坊。病院の助産師さんが、オムツのつけ方を教えてくれる。
3キロちょっとで生まれた赤ん坊の手足は、おどろくほど細い。太ももですら、ぽきっと折れそうなくらいだ。床に落としたら、間違いなく死んでしまうだろう。
新生児用のオムツで、まだ余るくらいの小さなお尻をみながら、泣けてきた。
なんで、わたしはオムツの替え方ひとつ知らないんだろう。お母さんになったのに。おしりふきをあてる間、赤ん坊が泣いている。ああ、うまくできなくてごめんねぇ。
情けない、なさけない。
引っ越してきたばかりで、近隣には友人と呼べる人はいない。親戚もいない。産後は、育休を2週間とった夫と二人で乗り切るつもりだ。けれど、唯一のパートナーである夫にも、こんな情けなさを言葉にできなかった。
口にすれば余計にみじめさが募るだけだと、夜の暗闇の中、彼女はひとりで泣いた。
ひとりきりの食卓
あれは、一時的な産後のホルモンバランスの乱れだったのだろう。不安定な彼女の情緒は、しばらく尾を引いた。
幸い夫は協力的で、育休中の家事もつつがなくこなした。
けれど2週間の育休はあっという間にすぎ、夫は仕事へと戻っていく。稼がなければ、生活していけない。
彼女は慣れない育児に手一杯になっていた。
では、夫はどうだったのだろう?
仕事を終え、帰宅してドアを開けると赤ん坊が泣いている。鍋には冷めたスープ。おもちゃと洗濯物でリビングは雑然とし、寝かしつけに苦戦しているのか、妻は寝室から出てこない。
母乳で育てていることもあり、月齢の小さな赤ん坊は母親を求めて寝ぐずりする。寝かしつけは妻の仕事になってしまった。
薄暗いダイニングで一人おそい夕飯を食べる。新しい環境に転職した彼にも、吐き出したい気持ちがあった。夫婦で話がしたかった。
けれどいまの妻には、愚痴を聞く余裕どころか話をする時間すらない。22時に帰宅して、明日も7時から仕事だ。妻と会話できるチャンスはあるのだろうか。
ささっと食事をすませてお皿を洗う。床のおもちゃを箱にいれる。ガシャンという音だけが、幸せなはずの家の中にやけに大きく響いた。
ふたりのあいだで擦り減っていったもの
すれ違う生活を続けていて、不満が爆発しないわけがなかった。
2か月か3か月に一度、大きな喧嘩をした。昔は違ったのに。感情を爆発させるのが、彼女のときもあれば夫のときもあった。
きっかけは、いつも些細なことだ。水回りがずっと汚れている。お弁当のブロッコリーが固い。寝かしつけの方法に口うるさく言わないでほしい……
誤解しないでほしいのは、彼女がいつも不幸だったわけではない。赤ん坊は着実に成長し、母である彼女と父親である夫に、いつもそれはかわいらしい笑顔を向けてくれた。
夫のことが大嫌いになったわけでもない。ただ、以前のようにいかない生活が苦しかった。
連続で6時間以上寝れたのは、子どもが8か月を過ぎてからだ。夫婦二人でゆっくりと食卓を囲むことは、ほぼ叶わない。
いまでも覚えている夫の一言がある。子どもが3か月ぐらいの頃だ。
喧嘩のキッカケが何だったかは忘れた。言い合いがあって、寝ているはずの赤ん坊が泣きだす。二人で寝室に駆け込む。赤ん坊を抱きあげて、あやす彼女。
その様子をみながら、夫が力なく「子どもなんて、産まなきゃよかったのかな」と言った。ひどい言葉とは裏腹に、彼は弱々しく肩を落としていた。
それでも、季節は巡る
窓の外は木枯らしが吹いている。冬の間は、公園にいくのも一苦労だ。苦し紛れにつけたDVDを子どもは食い入るように見ている。
ようやく1歳になる、と彼女は思った。
3か月たてば、半年たてば、1歳になれば。こうなれば「育児が楽になる」という言葉を、拾い集めるように毎日を過ごしてきた。残念ながら、そのタイミングで劇的に楽になったことはない。
夜泣きが少し治まったかと思えば、風邪をひいて鼻づまりになる。やっと口に入れてくれる食材があったと思えば、すぐに飽きて手を付けなくなる。
過ぎ去ったかと思えば、すぐに新しい問題がやってくる。それは、子どもが成長しているということなのだ。それでも、彼女はまるで頂上の見えない山を登り続けているような気持になった。
夫は、意識としては育児と家事に協力的だ。けれど、仕事が繁忙期を迎えている。連日勤務で、休む暇があれば、育児よりも体力を回復させてほしいと思う。
この先、こんなんで家族として続けていけるのだろうか。確実に成長する我が子を見ながら、余裕があるとはけして言えない生活のなかで、漠然とした不安を抱く。
みつけた1歳の誕生日ケーキ
「1歳の誕生日、どうしようか」
彼女は考えていた。この地域は、子どもの1歳の誕生日を親族・知人を招待して大々的にお祝いする習わしがある。
彼女が唯一友人と呼べるのは、児童館で知り合ったママ友だけだ。けれど誕生日会に招待するのは気が引けた。
人数が増えれば、それだけ準備が大変になる。家の掃除は満足に行き届かず、いつもダイニングテーブルの上はぐちゃぐちゃだ。
お祝いするのを、やめようかなとも思った。1歳といっても、まだ赤ん坊みたいなものだ。誕生日がなにかすら理解していない。
迷いながら携帯をいじくっていると、一つの写真が目に留まった。
1のローソクが立てられた、可愛らしい小さなケーキだった。
なにで作っているのだろう。彼女は写真をクリックした。
ヨーグルトを使用していると書いてある。水切りヨーグルトだ。食べたことがある。あれは、料理好きな夫が作ってくれたものだ。
ざるで一晩水切りをしたヨーグルト。水分が抜けて、まるでレアチーズケーキのようだった。「おいしい、こんなの初めて食べた!」そういって笑いあったっけ。
スポンジは食パンを代用している。これなら、時間がなくても作れるかもしれない。部屋もかわいく飾り付けして。それは、彼女が子どもの誕生日を少しだけ楽しみに思えた瞬間だった。
誕生日になる日の夜に
けれども、小さい子を抱える生活は慌ただしい。計画通りにうまくはいかない。
結局、用意できた飾りは100均で買った安っぽいテーブルクロスと、ピンクと白の風船だけだった。
子どもを寝かしつけたあとに、ちまちまと飾り付けていたら夫が帰ってきた。
「なにしてんの」
「明日、娘ちゃんの誕生日だよ」
ああ、そうだった、忘れてた、というような顔を夫がする。このところ連日勤務で朝は早いし夜は遅い。誕生日の相談をすることもままならない。
風船を壁にくっつけるのに手間取っていたら、夫が手伝ってくれた。
「1歳になるのか」
風船の数と白い壁の面積が、圧倒的に釣り合わないのだけれど、なんとかバランスをとりながら飾り付けていく。
「そうだよ」
娘の名前のアルファベットを切り抜いて、夫に手渡した。
子どもを産んでから1年。それは、もう1歳だ!とは簡単にいえないほど重苦しい時間だった。また、やっと1歳だね!と明るくゴールしたような達成感とも違う。だって、1歳になったあとも変わらず生活は続いていくから。
夜のリビングで飾り付けをしながら、こんなことせずに早く寝ればいいのにと、夫が言わないことがうれしかった。
不恰好なケーキだけど
そしてむかえた1歳の誕生日の当日。
喜ぶかなと思って飾り付けた風船には、たいして見向きもしない娘。
前日から冷蔵庫にいれていたヨーグルトは、しっかり水分が抜けていた。けれど、問題は果物だ。
イチゴは手に入らなかった。代わりに、桃の缶詰を開ける。シロップを十分に拭き取らなかったせいで、べしょっとヨーグルトが濡れてしまう。不格好だけれど、仕方がない。
1の数字のローソクを添えて、なんとか誕生日ケーキに見えることを願おう。
食パンを丸くぬいて、水切りヨーグルトを表面にぬり、桃とバナナで飾り付けた誕生日ケーキ。
「1歳おめでとう!」
娘の前に差し出すと、なんだこれはとばかりに早速手を伸ばす。短い指についたヨーグルトを口にいれて、二カッと笑った。
目をキラキラとさせた娘は、自由自在にケーキを口にいれる。
口の周りどころか、わしずかみした両手の平もヨーグルトがべったりだ。
「あ~あ」
夫が、あきらめたような声で、追加のおしぼりを持ってくる。
「お口の周りが、まっしろですよ!」
大好きなお父さんが笑っているからか、娘も笑顔だ。スマホのカメラを向けると、手も顔もぐちゃぐちゃにした娘の、最高の1枚がとれた。
*
ーーこの彼女というのは、私のことである。
夫とニュージーランドに移住して4年目、妊娠を機に大都市のオークランドから地方に移り住んだ。知り合いもいない環境で、育児に奮闘したころの話だ。
もう5年近くまえになる。それでも、あのときに抱いていた、辛さと寂しさをありありと思い出すことができる。
夫が、育児をないがしろにしていたわけではない。けれど、身寄りもないコネもない海外生活で、妻子を養うだけの生活基盤を築いて稼ぎを得ることを、後回しにはできなかった。
だからこそ、仕事ばかりで、疲れて、喧嘩もたくさんしたのだと思う。いま振り返れば、ああすればよかったのに、と思うことが山ほどある。
これを読んだ人は、「子育てって、なんて悲惨な生活になるんだ」と思ったかもしれない。育児の苦労の感じ方は、人それぞれだ。環境や子の性格など、多様な要因に左右される。
だから、ネガティブなイメージ一色にならないでほしい。あくまで、私の場合にこんなに大変だったという話なので。
*
育児は辛いことばかりじゃないと前置いた上で、それでも当時を振り返って、あのときの私に手を振りたい。
ありがとう。
あのとき、あきらめないで手放さずにいてくれて、ありがとう。おかげで、大きくなった娘の笑顔に会うことができた。
夜泣き対応での寝不足、ままならない食事づくり、母が視界から消えただけで泣く子ども。
一つが些細な出来事でも、それが重なる生活は苦しい。終わりが見えない育児は、先が閉ざされたトンネルにいるようだ。
「夜泣き いつまで」と検索して、半年たてば少しは落ち着くという回答に「そんなに…」と絶望した。
残念ながら、育児の悩みを速攻で解決してくれる魔法はない。子どもの成長を待つしかできないときも多々ある。
けれど、小さな灯のなかで泣いていたあの夜も、確実に未来へとつながっていた。
ママ友からの差し入れに、頼れる人がいるありがたさを知った。街に出れば「あら可愛い赤ちゃんね!」と声をかけてくれる人の暖かさに励まされた。
そして、はじめて歩いた娘の姿を見たときの喜びを、夫と一緒にわかちあった。
夫婦のきずなは、ドラマチックには変わらない。
すれ違いと衝突を繰り返して、あきらめず向き合うしかない。
あのときのよろけそうな娘の歩みのように、私たち家族の成長は危なっかしく、ゆっくりだったけど。
1歳の誕生日の写真はフォトブックにした。口の周りをヨーグルトでベトベトにした赤ちゃんを見て、5歳の娘が嬉しそうに笑う。
すでに誕生日とは何かを熟知している娘は、プレゼントリストを作っている。ケーキはチョコレートね!なんてリクエストしてくる。
もう、水切りヨーグルトのケーキを作ることはないのだろう。でも、あの日作った誕生日ケーキを私はずっと忘れない。ずっと、いつまでも胸の中にあるのだ。
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