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どうする家康24話の考察
賛否両論になってる24話の私の解釈を書きます。
あくまで自分の解釈です。
まず24話はこれは失敗しますという前提で描かれているということ。だからこそ、築山の策に乗っかる人々の過程をあえて省いたのでは無いかなとも思う。そしてこれは三方ヶ原の時の同じパターンであり、この時代に理想論を掲げ、実行に移したらどうなるかってことが古沢さんの描きたかったことなのじゃないかと思った。瀬名の考える事は戦国時代においてあまりにもイレギュラーで理想論だし、それにまんまと乗っかって実行に移すことはおかしいのでは無いかって多くの視聴者が感じたんじゃないかなって思うし、私も思った。ただそれこそが24話最大の狙いだったのではないかと思う。
ただ瀬名がその考えを急に思いつきで話し出したかというとそうでもなくて。
振り返ってみれば1話からずっとこの作品のテーマに武を持って治めるのが覇道、徳を持って治めるのが王道というものがあり、殿と瀬名は戦をすることを嫌う、当時で見たらイレギュラーな価値観で描かれていた。
3話で殿が岡崎に帰ることを決意した時、見せしめで目の前で侍女達が斬られ、6話で両親を失った。
7話で本證寺に潜入して一向宗の考え方を知った。
そして三河一向一揆で苦しむ殿を、家臣を、民を見ていた。三河一向一揆終結後後悔して泣く殿の傍で漠然としていた「欣求浄土厭離穢土」の輪郭を2人で見つけた。だから10話で「民の声を聞くため」自ら築山に移った。11話で友達だったお田鶴を失った。
ただ、13〜16話であった数々の戦を瀬名は見ていない。だからここで「ただ戦が嫌いな殿」から「弱いだけでは生きられないことを学んだ殿」になったことを気づけなかったのでは無いかと思う。17話の三方ヶ原出陣前「どうして戦は無くならないのか」という瀬名の問いに「この乱世、弱さは害悪だ」と答えた殿を見た時の瀬名の寂しそうな表情が凄く印象に残っている。戦を嫌い、命を大事にする殿とそんな2人に育てられた信康が戦をする武人になっていくことがもしかしたらこの乱世のせいで2人は変わってしまったと思う原因になったのでは無いかと思う。
そして19話である種のPTSD状態になった殿のことを瀬名は知らない。だからこそお万の政も女子がやれば良いという言葉に感化されてしまったようにも思える。ここまで瀬名は殿から聞いたことはあれど、現状を自分の目で見たことはない。
そして20話「岡崎クーデター」
目の前で忠義など綺麗事だと苦しむ大賀弥四郎を含む武士達の姿を見た。裏切られて泣く息子を見た。
だから守りたいと思った。そして千代に接触した。
この出来事を殿は見ていない。
21話で信長との宴会で、殿と信長が揉めた時、泣きながら頭を下げたのは娘である亀姫だった。
そして瀬名が信長相手に最後のひと押しをした。
このある種の成功体験が自分なら出来ると思わせてしまう原因になったようにも思える。
そして22話、壊れた信康を見て尚更戦を恨んだのかもしれない。そして事を急いだ。23話で瀬名はお愛に殿を託した。もうこの時から覚悟を決めていたのだろう。
このドラマの中でもこんな経験から瀬名が乱世を、戦を憎む原因になったとは容易に考えられる。
そして最初に戻るがこのような原因から「戦」を憎んだ瀬名がどうしたらいいのか考えた。
15話では、書物を読んで勉強している。と言っていた。だからこの考えは何かの書物からヒントを得たものでもあったのだろう。
でもこの瀬名の考えは戦国時代においてはあまりにもイレギュラーで大きすぎる夢であり理想論だった。そしてこの理想論は失敗する前提で描かれたものだったのだろう。これは24話最初の半蔵と大鼠のやり取りでも示されている。
この物語からしたら、最後に勝頼が全てをひっくり返したようにも思えるが、むしろ勝頼は最初から織田と徳川に戦をさせることが狙いで乗っかった(フリをした)のでは無いかと思う。だからこそ話がまとまって1番良い頃合を狙っていた。それがあのタイミングだったのだろう。
ただ穴山と千代は完全に瀬名の考えに乗せられていた。これは調略するつもりだったが自分が調略されてしまった。とセリフでも話している。久松夫妻も、氏真夫妻も完全に乗せられていたのではないか。
何故この人たちが共通して瀬名の考えに乗せられたのかというとそれはこの物語において絶対的な力を持っていないものであり、戦をすることを望んでないもの(こんな言い方はあまり好きでは無いけど戦の敗者)だからなのであろう。戦に嫌悪感を持っている人達が集まり、共通して戦の無い世を作るためにはどうしたら良いかと考え実行した。
一方徳川勢は最初から瀬名の考えを鵜呑みにしてはいなかったと思う。数正も左衛門も小平太も万千代も最初は反対した。「危なすぎる橋」だと小平太は言っていた。浜松にいた家臣はみな難色を示したようにも思える。ただ1人、岡崎にいた七之助だけは完全に瀬名の考えに賛同し、泣きながら乗ろうとしていた。それは岡崎の現状を知っているからで、あの現状が苦しかった七之助からしたら瀬名の考えは救いだったのだろう。殿も最初は揺れていた。
今作において優しすぎるところまである殿は泣きながら訴える七之助の思いに感化されてしまったようにも思える。(誰が悪いとかではなくて)
そして殿と瀬名は2人で話した。
『どうして戦は無くならないか』
それを殿は思考停止したように『分からない』と言った。また『貧しいからだ』と言った。
瀬名はいつからそんな考えをもっていたか。という殿の疑問に対して『これは最初から殿がもっていたものだ』と言った。今川時代に出会い太守様が築いた世の中で2人は戦を嫌っていた。
もしかしたらこれは殿も瀬名も別居してお互いをアップデート出来なかったゆえ、瀬名が大切な人の為にと先走った結果だったのかもしれない。
『武を持って治めるのが覇道、徳を持って治めるのが王道なり』という言葉を思い出し、殿ももしかしたら自分が抱いていた最初の感情を思い出したのかもしれない。だからこの大きすぎる夢に『一か八か賭けてみたい』と思ったのだろう。
そしてそれを2人は実行に移してしまった。
だから失敗した。
何よりこの策には理想しかない。
そして現代においても叶っていない。
本当にこの謀を成功させたいなら織田を巻き込んでやるべきで、そこに私情を挟んだ時点で、
最初から成功するははずが無いものだった。
だから勝頼を愚か者だとか思う人は少ないのではないかと思う。少なくとも私は愚かとか裏切り者だとは全く思わなかった。むしろ愚かだったのはこの策に乗ってしまった人達だったのかもしれない。
ただこの瀬名の考えを理想論だと愚かだとお花畑だと思えるのは今を生きている自分たちが今、戦を無い世界に生きて、幸せだからであって。
私たちは未来を知っているからこれを馬鹿みたいだと笑うことが出来るけど、このどうする家康の世界ではみんな未来を知らなくて。24話は今作でその時代の人が毎日を必死に生きた中で描いた『はるかに遠い夢』の話だったのだろう。
そして次週この【はるかに遠い夢】は最も最悪な形で終わる。
どうする家康で描かれているのは成功体験では無くて、失敗から学ぶことで、そして強くなることで。
『この時代に大それた理想論を描いたらどんな結末が待っているか』が築山事件において最も描きたかったことで、そしてこの築山事件で殿は『欣求浄土厭離穢土』が何をしたって叶えたい悲願となり、慈愛の心を持っては生きていけないと学ぶのだろう。っていう24話の考察の話。