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嵐
⚠️一番最初に前置きします。私は全肯定オタクじゃないし良いオタクでも無い、ただの亡霊なので嫌な人はここで🔙してください。これ以上を読んで文句言われてもそれは知らんとしか言えません。
少しでも嫌な思いするのが嫌だったら読まないでください。亡霊の重すぎる戯言なので。
私がこの世で1番好きなグループ嵐が25周年迎えた。本当におめでとう。
25周年、四半世紀だって。すごいね。本当にすごいと思う。
私が嵐に興味もったのは2012年のたまたまついてた24時間テレビのメドレーみてかっこいいな〜って思ったことがきっかけ。初めて見た円盤は「Time」で当時の私はTimeと5×10が大好きだった。家にあるちっちゃいDVDプレイヤーでずっと見てた。楽しかった。私の知らない世界を知ることが。そして嵐を好きになった。きっとこれが、私と嵐の始まり。
2019年1月27日。
その日は部活のコンサートだった。丸1日部活で、終わったのが18時頃。私の第1報は友達からのLINE。
これみてって送られてきたものをみて私は人生で初めて絶望した。最初に思ったのはよく分からない。何を言ってるのか分からない。FC宛のメッセージもテレビの速報も出たあとの世界で私は休止を知った。その後帰ってきて会見見てZEROを見た。それでも現実をみることなど到底出来なかった。
次の日は学校で。コンサートが近かったから休むことなど出来なくて。次の日も世界が変わってもいつもと変わらない日常を送った。いくら空元気でも体は正直で体調崩しながら出たコンサート。結果は銅賞だった。それでも嵐は嵐のままいてくれたから私はもう一度立ち上がることが出来た。
2020年7月。
父親が亡くなった。急死だった。
私は有難いことに家族に恵まれている。
大好きなお父さんだった。私がいつも嵐の話をすると嵐に嫉妬して機嫌悪くなるような人だった。
亡くなる数日前、私は変わらず病室で嵐の話をしていた。スマホには嵐の写真を入れて。
父はそれを見て笑っていた。思えば笑った姿を見たのはそれが最後だったかもしれない。
その頃私はずっとずっと嵐の音楽を聞いていた。ライブをバラエティーをドラマを見ていた。嵐でしか壊れかけた自分を保つことは出来なかった。
私も父の元に行きたい。そう思ったのは1度や2度じゃ無かった。それでも生きてきたのは一重に嵐がいてくれたから。きっと嵐が無ければ私は今この世界にいなかったのかもしれないとも思う。
2020年12月31日。
嵐は活動を休止した。This is 嵐見るのは本当に苦しかった。子どもみたいに画面越しにいかないでと言いながら泣き喚いた。嵐が去った後の1月1日の雲ひとつない晴れ渡った空を私は一生忘れることが出来ない。
私は休止前にこんなことを書き残していた。
今思えばこれは綺麗事だったと思う。現実はこんなに綺麗じゃなかった。私はそんなに強くなかった。
休止してもう少しで丸四年。
たかが4年。それでも色んなことが変わっていくには十分な時間だった。グループの3人が結婚して親になった。ジャニーズ事務所が無くなってメンバー2人が独立した。株式会社嵐が出来た。最近ふとジュリーさんがいてジャニーズで迎えた25周年だったらどうだったのだろう。とたらればを考えることがある。
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2024年11月3日。
私は休止してからずっとこの日を待っていた。
嵐デビュー25周年記念日。良くも悪くもここが絶好のチャンスだったからだ。この日にかけていたといっても過言ではないだろう。その日に活動再開します!って訳ではなくて、活動再開の知らせが来るとしたらこの日だろうなと思っていた。1番待ち望んでいた。正直1週間ぐらい前からずっと緊張していた。
数日前からはもうご飯が喉を通らなかった。なぜなら9.15にあんな沢山の発表があったから。結成日に何も無かったら今年も何も無いのかもしれない。とも思っていた。でもあった。
今年も沢山の幸せを私は嵐から受け取った。
だから尚更この日に夢を見た。
現実は違った。
私は彼のツイートを見てから「無い」のだと思った。彼の言ってることは至急全うだと思う。盗撮が許されないのもその通り。こうやってNOを発信するのが悪いことでは無い。週刊誌のしたことを肯定は出来ない。
ただ今じゃない。今じゃなかったんだよ。
「折角の記念日」と彼は言った。そう、その通り。
折角の記念日であり、たった1度しかない25周年記念日だった。折角の記念日だからこそ、せめてもの夢を見せてほしかった。叶わなくたっていい。
でもそのツイートを記念日の前日にすることイコールどういう意味なのかは分かる。嫌でも悟ってしまう。知りたくなくても見えてしまう。家族より嵐を優先する私は自分勝手だろう。害悪なファンなのだろう。これもただの八つ当たりなのかもしれない。ただもっと違うやり方はあったと私は思う。
そして3日になった。
まだ夜明けの前、朝5時に起きてFCサイトを一通り見た。5分おきにメールをチェックした。待っていたものは無かった。3日はフォロワーとタワレコ渋谷に行く約束をしていた。5時からずっと起きていた。
10時頃FCメールが届いて心臓が止まった。
まさか……!!!と思った。25周年特設サイトのお知らせだった。そっからはもう生きた心地しなかった。
12時。動画を見た。とても混乱した。5人の声が聞こえるから。手足が震えた。
でも外だからちゃんとは見れなくて、タワレコに行った。タワレコは嵐で溢れていた。4年たっても世間は嵐を忘れていない。むしろ嵐を待っている。売り切れているBluRayをみて、率直に嬉しかった。涙が出そうなぐらい。嵐の帰ってくる場所は今だってここにある。
その後ゆっくり動画を見た。涙が出てきた。
休止してから4年間何よりも待っていたもの。
待ち望んでいたもの。嬉しくて嬉しくて本当に心の底から嬉しくて、苦しかった。5人の今できる精一杯の優しさが痛かった。あの人たちはとても優しい。優しすぎるぐらい優しくて残酷だ。
休止したって沢山のプレゼントをくれる。
今できる精一杯を出してくれる。
嬉しくないわけが無い。全部とても嬉しい。
でも今できる精一杯=今は活動再開出来ないという意味でもあって。だから私は供給される度に嬉しくて悲しくなった。相反する感情がどちらもあった。嬉しいのに苦しくて発狂したくなった。嵐が届けてくれる優しさは私の待ち望んでいるものでは無かったジレンマに泣き叫びたくなった。何て我儘で自分勝手な思いなのだろうと自分でも思う。でも、5人の優しさが今の私には痛かった。
初日に見れた5×10の映画。
泣きすぎて吐きそうになりながら見ていた。
小学生だった私が大人になっても好きになった時の思いは全部ちゃんと心の中に残っていた。
宝箱は今だって嵐との思い出で溢れていて美しい。
きっと櫻葉が嵐を諦めない限りこれからもずっと嵐は続いていくのだと思う。嵐が嵐に夢を見る限り私もこの夢から覚めることなど出来ない。
休止してから嵐は優しい真綿で首を絞めてくる。
もう一思いにコロしてくれよと思ったことも1度や2度じゃない。そんな優しいあなた達が私は狂おしいほど好きで、嫌いだ。
26年目のスタートを切った今日からも私はまた嵐に激重感情を抱き夢を見続けるのだろう。