Confusion of Taka Tanaka #短編小説
スポーツ・バーというものを始めたのは誰なのか。テレビを設置し、何かスポーツの試合を放映して、お酒を提供してさえいれば、そこはスポーツ・バーだ。録画した試合だってかまわない。テーブル・サッカーが置いてあったりすれば、完璧だ。
もともとは、ただ、スポーツファンの店主が、テレビで試合を観ていたのかもしれない。そこに同じチームのファンたちが集まって、みんなで試合を見るようになったことから、始まったのかもしれない。球場の近くで、野球ファンの集う居酒屋なんかも、日本式のスポーツ・バーだといえよう。
そんなわけで、僕たちは、スポーツ・バーで、見るともなしにテレビのサッカー中継を眺めていた。観戦のお供は、シードルと、焼き林檎のクリームチーズ和えにクラッカー。
シードルは、りんごを発酵させた酒で、イギリス風に言えばサイダーだ。基本的にアルコール度数が低くて、飲みやすいものが多いけれど、中には、シェリー樽で寝かせて強い香りを移した高アルコールのシードルもある。今日飲んでいるのは、リンゴの甘い香りが強いながらも、味は辛口の白ワインのようにさっぱりしている、微発砲のシードルだ。
微発砲と、おつまみの控えめな甘さとチーズのしょっぱさが重なって、快い。酒が進む。
「いつだってお酒はおいしいけれど、スポーツ観戦との相性は最高だよね。アルコールで気分が盛り上がってるから、試合の推移が一層ダイナミックに見えるわ。倍増効果。」
「今日の物語も、スポーツ関係なのよ。スポーツ中継見てると、ときどき選手以外のスタッフに目が行ってしまわない?
たとえば、審判とか。前にメジャーリーグ中継を観てたんだけど、そのとき、わたし、主審が『ストラーイクッ!』っていうときの声に夢中になっちゃったのよ。だって、『ストラーイクッ!』じゃなくて、どうしても『アーウトッ!!』って叫んでるようにしか聞こえなかったから。ついでに、その審判、だいたいのメジャーリーガーよりも大柄なの。ついつい、選手との大きさも比べちゃったりもして、試合以上に、審判に注目しちゃったのよ。
さて、主人公は、どんなスポーツのスタッフに魅せられちゃったのかしら?」
*
昔読んだ本によれば、日本人は、伝統的に部分暖房を好むらしい。手を温めるための火鉢しかり、湯たんぽしかり、石油ヒーターしかり。北国などの例外はあるが、エアコンのように、「部屋全体を温める」ものが一般的になったのは、最近のことだという。
それでも、建物全体を温めるための装置は、寒冷地の諸外国と比べれば少ない。たとえば、韓国では床暖房を使っているし、ヨーロッパ各国では、セントラルヒーティングで建物全体の温度を上げている。
一方、日本には、部分暖房の文化の中で培われた、最強の暖房具がある。
そう、コタツだ。人をその中に閉じ込め、ときに眠らせ、だめにする、あの存在。ときに悪魔とも呼ばれる、魔性の存在。
とある寒い日の夕方、僕はこたつの誘いに乗り、テレビを観ながらネットをして過ごすという、なんとも無為で素敵な休日を過ごしていた。ずっと続く眠気も、怠惰で心地よい。
だが、僕の眠気は、いきなりテレビから聞こえてきた、名前を呼ぶ声で吹き飛ばされた。
「——ターカッ、タナカッ、タナカッ、タナカッタ。タナカッ、タナカッタ。」
「ターカ、タナカッタ。」
僕の名前は、田中タカ、という。ありふれた名字に、少しだけ変わった名前。そして、テレビの声は、間違いなく、僕の「タカ・タナカ」という名前を呼んでいる。むしろ、叫んでいるに近いほどはっきりした声だ。
誰が呼んでいるか、は、もう一つの「ヨーイ、ハッケヨーイ」という掛け声を聞けば、はっきりする。
そう、テレビは相撲中継を映していた。僕の名前を呼んでいたのは、相撲の行司である。思わず、見入り、聞き入る。そして、気づく。
どうやら、行司は「ノコッタ、ノコッタ」と言っているようだ。けれども、掛け声を「ノ」から始めるのではなく、「タ」から始めて言うから、「タノッコッ、タノコッ」となり、「タナカ」に聞こえる、と。
種が分かってしまえば、なんてことはない。行司は、「タカ・タナカ」ではなく、伝統的な「ハッケヨイ、ノコッタ」という掛け声を言っていたにすぎない。取り組みが進み、別の行司に交代すると、その人は、はっきりと「ノコッタ、ノコッタ」と言っていた。
「びっくりさせるなよ」という迷惑半分、納得半分だった僕だが、少し、「タナカ・タカ」という掛け声を出していだ行司に興味がわいた。目の前には、インターネットに接続したパソコンがある。現代人たるもの、検索しないはずはない。
調べると、「行司」は、正確には「審判」とは違うことが分かった。試合の進行や、勝負の判定はするけれど、最終的な決定権がないのだ。土俵には、行司とは別に「勝負審判」という存在がいて、行司の軍配に異議があればこの審判たちが協議をして、勝敗を決める。つまり、勝敗を最終的に決めるのは勝負審判なのだ。
また、行司たちも、力士たちと同じく、それぞれ相撲部屋に所属していて、土俵の上以外では、神事もすれば事務仕事なんかもしているそうだ。力士になることを志して角界にきたけれど、体格に恵まれず、行司の道を始めた、という人も多いという。
日本の国技とされるほどの歴史を誇る相撲だけあって、行司も襲名制をとっていたり、階級によって衣装が決まっていたりと、たくさんの伝統を引き継いでいる。
歴史と伝統を引き継ぐ、どちらかといえば裏方の存在。行司とは、そういうものなのだと思った。そして、続けて、ふと思う。
ひょっとしたら、あの行司の「タカ・タナカ」という掛け声は、伝統を引き継ぐ中で芽生えた、ちょっとした遊び心なのかも、と。どこからの田中タカが聞きつけて、行司について調べることを期待しているのかもしれない——。
寒い日のこたつの中だから感じる、少し愚かな妄想。さぁ、もう少しだけ温まったら、この怠惰な楽園から抜け出して活動を始めよう。僕はそう思いながら、テレビを切った。
*
「こうして、田中タカは、とある行司のファンになったのでした。めでたし、めでたし。」
と、彼女の物語が終わるころには、シードルのボトルもおつまみの林檎やクラッカーも、空になっていた。サッカーの試合もだいぶ進み、終了直前になって劣勢の赤いユニフォームのチームが猛攻しているところだ。
「あぁ、それにしても、おいしかったね。シードル。美味しすぎて、魔性の存在。こたつと一緒だね。」
僕は田中タカがこたつから出てくる様子を想像しながら、思う。こたつの魔性は、季節が暖かくなれば、消えてなくなる。けれども、好きな人と一緒に飲む酒の魔力は、春になっても、季節が変わってもなくなることはないのだろう、と。
さて、次は何を飲もうか。僕はメニューを広げ、彼女と相談を始めた。
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なお、写真は、ほとんど本文とは関係ありませんが、先日行われた、名古屋グランパスvsアビスパ福岡のJ1昇格をかけた最終戦の模様です。スポーツ・バーやコタツ内のスポーツ観戦もいいですが、スタジアム観戦って気持ちいいですね!