2 大学非常勤講師生活で業績作り
2011年3月に帰国しました。タイミング悪く、東日本大震災に遭遇しました。郷里の家屋も半壊の状態になりました。実家からさほど遠くないところで家族で暮らしていましたが、つてを頼っての地元国立大学での語学非常勤講師としての稼働が遅れに遅れました。ようやく5月になり、週数コマの授業を担当することになりました。地方国公立大学の非常勤講師の待遇は悪く、実績給で暮らさなければなりません。実績給とは、まあ早い話が時給です。首都圏内の私立大学とは異なり、「一コマで一カ月いくら」の計算ではありません。「何回授業してなんぼ」の給料です。つまり、大学での夏季休暇や春季休暇のような長いお休みの翌月は無収入になります。
こんな状態でどうやって業績作りに励むのか。いや、本当に毎日がかつかつ(今でも同じですが)でした。同じ大学で非常勤講師で教えている語学教師のほとんどは研究をやめてしまっていました。要するに食べるだけで精一杯で、研究なんかしている暇はないのです。ある日、自分の気持ちを鼓舞しました。「おまえは何のために長い間外国にまで行ってたのか?研究するためなんだろ。だったら、研究しろ」という「神のお告げ」を聞いてしまいました。それから家族の将来への懸念をしり目に研究に邁進してしまいました。
非常勤勤務先から科研費申請のための研究者番号を付与されることはありませんでした。つまり「非常勤講師とは教育の役割だけを果たしているわけで、研究しているのではない」というのが理由です。私は、「専任だろうと非常勤だろうと大学教育では、研究があってこそ授業ができるわけであり、非常勤講師を研究者として認めてほしい」と懇願しました。願いは叶いませんでしたが、その逆境をバネに民間の財団から二つの研究助成金を獲得することができました。
ようやく手に入れた研究資金を手に、何度か渡米して、向こうの古文書館などで資料を収集することができました。そして、留学生活で貯めに貯めた史資料を慎重に読みながら、学会誌、海外査読誌に論文を掲載することができました。こうして10年以内に、査読論文を7本近く発表しました。そして、その甲斐があってか、とある学会より優秀論文賞が授与されるところまでのレベルに達しました。それがきっかけとなり、ある出版社より声がかかり、単著本の刊行が実現し、ある団体より拙著に出版賞が授与されました。
非常勤だけの身分で、何とかここまできましたが、もちろん、職探しも怠りませんでした。次回はその就職活動に悲哀を書き綴ります。