断れなかった薄暗い店内で。
あれは小学6年生か中学1年生の頃の夏だっただろうか。寝込むほどではないが、じんわりと体がだるくて大人になった今で例えるなら二日酔いに近い体調の悪い日だった。
その頃父親がシンガポールへの単身赴任に向けて中国語の教室に通っていた。父は元々英語のできる人だったので中国語もできればシンガポールではあまり不便しないらしかった。
その日も父は朝から教室に行っていて、昼過ぎに「今から来ないか」と携帯に電話がかかってきた。自分の父はプライドが高くわがままで、自分の思い通りにならないと手に取らなくてもわかるほど機嫌が悪くなる人だった。
ここで断ると明日まで機嫌が悪くなるな、と悟った自分は二つ返事で自転車に跨った。
中国語の教室は駅前の中国料理屋さんだった。着くといきなり何か食べるか?と聞かれた。子供ながらにここで断ると父のプライドに傷をつけることになるし、料理屋さんに来て何も頼まないのは失礼だろうと思い、食べたくもないメニューを注文した。
何を頼んだかは今となってはもう覚えてないが、二日酔いのように体調が悪かった自分はあまり手をつけられなかったのは覚えている。それはそれで父の機嫌は悪くなっていた気もする。
その中国料理屋さんは駅前にあるビルに入っていたので、駅に行くとそのビルの前を必ず通る。今もまだあるかはわからない。
ただ、あの薄暗い店内で思春期に差し掛かっていた自分が父の機嫌を伺いながら縮こまっていたのを今になってもそのビルの前を通る時にふとたまに思い出す。
あの時間は心にずっとつっかえて、この先も消えそうにはなかった。