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しょっぱい私は花火に集まる羽虫。

その夏は遠い思い出となってしまった。

大学に入り初めての夏のある昼下がり、一人暮らしを始めた私は自炊というものから逃げ毎日のように素麺ばかりだった。
一週間も食べ続けると流石に味変したところで大した差はなくなっていて飽き飽きとしていた。
その矢先だった。
大学に入学した時から目を惹かれていた人から着信が入る。ワンコールで出たい気持ちを、私のバイブル曲であるアレに準えて7回目を待つ。焦らすのも焦らさせるのも好きじゃないアタシだけれど、この人に暇なやつだって認定されるよりかは幾分かはマシだった。
みんなで花火大会に行こう、浴衣でも着てさ。その言葉は私の人生の中で1番輝いて聞こえた。
心臓が鳴り、耳の中でこだまする声。
その夏は雨が少なく水不足が報道される夏だった。そんな乾ききった夏日のように私の素麺でスッカスカの心には幸せの雨が降り注いでいた。
みんなで、の部分は耳をすり抜けて三軒先の軒下に行ってしまっていた。男女6人で見に行くと知ったのは花火大会の1週間前だった。

花火大会当日。つい昨日まで水不足が報道されていたはず、なのに朝からなぜか大雨が降っていた。
昼を過ぎても止まず、夕方になっても止まなかった。
もちろん花火大会は中止。
結局は雨が止んだのは花火大会の開始予定地時刻の1時間後だった。
あーあ、せっかく浴衣とか準備したのにねーとみんなで話しているとうちのアパートの軒先で手持ち花火しようよ、と1人が言った。
みんな気持ちは花火モードで光に飢えていた。
駅前のドンキで手持ち花火を買って集まる。
花火の光に集まる私たちはまるで街灯に群がる羽虫たちのようで、でも10代最後の夏を一生懸命に燃やしていた。
最後の線香花火の火が落ちる。それと同時に私たちのアバンチュールと言えないしょっぱい夏の日が終わった。終電に揺られながらみんなで撮った集合写真を見つめていた。
また来年ね、なんて笑いあっている写真を。

その来年なんて来なかった。いや誰も死んだわけではないので、来たけれど集まることはなく20代最初の夏はバイトに勤しんでいた。本当にしょっぱい、しょっぱすぎる。
けれど私の人生なんてこんなもので、大学を出て就職してしばらく経つが、花火に誘ってくれた人は人生のビクトリーロードを歩むかのように少し前に結婚していた。
知らなかったなぁ、そんな未来を一緒に見ている人がいたなんて、と呑気に思う。
その隣に私がいることは到底なかったのだと思う。
そんなもんだ。そんなもんだし、花火をしようがなんだろうと世界は回る。ものすごい速さで回る。
振り落とされないように必死にしがみつくだけで精一杯なのだ。それでいい。
今日も明日もこの先もしがみついて、たまに花火でもしよう。

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