DaiGo氏の発言を受けて、改めて「誰一人取り残さない社会」を考える
■SDGsのキーワード「包摂」
SDGsは決して完璧ではありません。17あるゴールからは、核兵器の廃絶や死刑の廃止(私は死刑制度に反対です)といった重要なトピックが抜け落ちています。SDGs自体まやかしに過ぎず、このままでは持続可能な未来の実現など不可能だという厳しい批判も聞かれます。
ベストセラーとなっている書籍『人新世の「資本論」』(斉藤幸平・集英社新書)は、SDGsを「現代版・大衆のアヘン」と断罪しています。これは19世紀にカール・マルクスが宗教を「大衆のアヘン」と呼んだことになぞらえたものです。
かつての人々が資本主義のつらい現実から逃れようと宗教にすがったように、現代の人々は気候危機をはじめとする問題から目を背ける免罪符としてSDGsにすがっているというのです。
確かにそうした現実があることには同意せざるを得ません。
しかしそれでも私はSDGsを正しく理解し、取り組みを進めていけば、持続可能な未来への扉が開けると信じています。私がそこまでSDGsに惹かれるのは「誰一人取り残さない」という理念に共感しているからです。
SDGsの文言では、よく「包摂(ほうせつ)」という言葉が使われています。たとえば「目標16:平和と公正をすべての人に」では、以下のような感じで。
「持続可能な開発に向けて平和で包摂的な社会を推進し、すべての人々に司法へのアクセスを提供するとともに、あらゆるレベルにおいて効果的で責任ある包摂的な制度を構築する」(国連グローバル・コンパクト日本語訳より)
包摂とは、あらゆる人を社会の一員として受け入れることを意味しています。つまり社会が包摂的になれば、取り残される人がいなくなるのです。
人種、国籍、ジェンダー、思想、出生などの違いに関係なく、すべての人が取り残されず幸福に暮らせる社会は、本当に素晴らしいと思います。もし実現したら戦争も貧困も差別も、一挙に解消されるでしょう。
「包摂」という観点で考えれば、メンタリストDaiGo氏の発言は断じて許せません。
■DaiGo氏の発言は殺人教唆
すでに報道でご存知かと思いますが、問題の発言は8月7日のYouTubeライブ配信でなされたもので、以下のような内容です。
・僕は生活保護の人たちに、なんだろう、お金を払うために税金を納めてるんじゃないからね。
・自分にとって必要のない命は、僕にとって軽いんで。だからホームレスの命はどうでもいい。
・どちらかというといない方がよくない、ホームレスって? いない方がよくない?
・正直。 邪魔だしさ、プラスになんないしさ、臭いしさ、ねぇ。治安悪くなるしさ、いない方がいいじゃん。
・もともと人間はね、自分たちの群れにそぐわない、社会にそぐわない、群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑して生きてきてるんですよ。犯罪者を殺すのだって同じですよ。犯罪者が社会の中にいるのは問題だしみんなに害があるでしょ、だから殺すんですよ。同じですよ。
近年は「邪魔だから」といった理由で、若者が相次いでホームレスの人の命を奪う事件が相次いでいます。
こうした恐ろしい事件が現実に起きているなかで、著書累計330万部・YouTube登録者数250万人のインフルエンサーであるDaiGo氏が「ホームレスの命はどうでもいい」などと発言するのは「もっとたくさん殺せ!!」とけしかけているも同然です。
これは刑法では「殺人における教唆の罪」と呼ばれ、実際に殺人を行った人(実行犯)と同等の刑罰が課されるそうです。DaiGo氏は、どれだけ許されない発言をしたのかを自覚しているのでしょうか?
■誰だって「取り残される側」になるリスクがある
よく「貧困やホームレスは自己責任だ」といわれますが、本人の頑張りだけではどうにもならないこともあるのです。とくに経済的に貧しい家に生まれた子どもは、裕福な家の子どもよりも教育を受ける機会が狭められ、貧しさから抜け出すのが困難になる傾向があります。これは「貧困の連鎖」と呼ばれ、一刻も早く解決すべき社会問題となっています。
また、新型コロナウイルス感染症による倒産は1800件を超え、失業率や自殺者数も増えています。私たちは誰もが突然仕事や家を失うリスクがあり、ホームレスは決して他人事ではないのです。
だからこそ「包摂的な社会」を実現させ、社会からドロップアウトしそうになっても救済される仕組みを作らなければなりません。
DaiGo氏は今回の発言を謝罪したそうですが(謝罪の内容についてもいろいろ批判されていますが…)、本当に悔い改めたかは今後の行動で示すしかないでしょう。DaiGo氏のような過ちを犯した人間も「取り残さずに」(あくまでも寛容になるという意味ではありません)、更生を見守るのが「包摂的な社会」だと思います。
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