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「長崎原爆の日」で思い出すこと

■原稿を「読み飛ばさなかった」がニュースに

昨日(8月9日)は、長崎に原爆が投下されてから76年。「時事通信」によると、記念式典に出席した菅義偉首相は1分遅刻したものの、広島のときのような挨拶文の読み飛ばしはしなかったそうです。

にしても、首相が原稿を読み飛ばさなかった出来事がニュースになるとは、とんでもない世の中になりました。

菅首相は、

「唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の努力を一歩ずつ、着実に前に進めていくことは、わが国の変わらぬ使命です。」

と、決意を述べたものの「核兵器禁止条約」の批准については触れず、式典後の会見は東京五輪の話題に移ってしまったようです。

■「長崎原爆資料館」で同級生が見せた涙

私はこれまで3回、長崎を訪ねたことがあります。1回目は1984年、高校の修学旅行でした。原爆の日ではなかったのですが、8月上旬だったと記憶しています。何人かの同級生と班行動で、昼食の後に長崎原爆資料館を訪ねました。

同じ班には、ガキ大将タイプの友人がいました。私は彼のことが好きではありませんでした。彼は道で杖をついている人を見かけたら「障がい者だ」とバカにして笑ったり、TVで韓国の話題が取り上げられると「チョン公」などど聞くに堪えない悪態をついたりと、困った友人だったのです。

その彼にきちんと注意しなかった自分も情けないと思っていますが……。

そんな彼が資料館で被爆した人たちの写真を前にすると、それまで見せたことのない神妙な顔つきになり「悲惨だねえ……」と言ってボロボロ涙を流しはじめたのです。そしてそれから30分ぐらい、一言も言葉を発しませんでした。

私の知らなかった、彼の優しい一面に触れたひとときでした。

資料館の訪問を機に彼が変わったのかというと、よくわかりません。その後も相変わらずヘイトまがいの発言を繰り返していましたが、あのときに見せた涙は間違いなく本物でした。

この彼とは何故か縁があって、翌年には広島の原爆資料館も一緒に訪ねました。そこで彼は涙は流さなかったものの、やはり見学の間じゅう神妙な顔つきで沈黙していました。

核兵器の怖さと、その使用がもたらす悲惨さは、どんな人の心にも突き刺さるのでしょう。

ところで昨日、長崎の被爆者5団体の代表が菅首相と面談し「核兵器禁止条約」への参加を訴える要望書を手渡しました。しかし要望は拒否されたといいます。

面談に参加した長崎原爆被災者協議会の田中重光会長は、このように語っています。今朝の「しんぶん赤旗」から紹介します。

「被爆者に寄り添うといっても口先だけだ。長崎の原爆資料館には歴代閣僚が一人も見学に来ていない。日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が国連で原爆展をやってきたが、本来、日本政府が行うべきだ」

ぜひ政治家の皆さんも、長崎か広島の原爆資料館を見学していただきたいと思います。血の通ったまともな人間なら、必ず心を動かされるでしょう。


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