映画「鹿の国」を見た
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今日(正確には昨日)、ポレポレ東中野にて「鹿の国」という映画を見た。諏訪大社についてのドキュメンタリー。自分の好きな諏訪信仰に関する映画だったので、感じるものが色々とあった。ネタバレして困るタイプの物でもないと思うので、自分の感想を整理する意味でも、気の向くままに書こうと思う。
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春から翌春までの季節の変化とともに、諏訪に根付く自然崇拝と、地元の人々による御室神事の再現までの道のりを追う映画だった。
その中で、2022年の諏訪神仏プロジェクトの際の、仏法紹隆寺の住職による神前読経のための経文、「諏訪講之式」の復元作業も取り上げられていた。
映画の作りに関しては、日本の宗教は多分に主情的なところがあるので、観客の感情に訴えかけるようにBGMを抑え、小津映画のピローショット的な風景映像を多用して、諏訪の神秘性を表現していたという印象を抱いた。
能登麻美子さんの穏やかで少し妖しい語り口も、雰囲気を演出するのにぴったりだった。
ただ、映像詩に近い映画であって学習映像ではないので、全く知識がないと置いてけぼりかもしれない。
映画館を出た時に、何なのかよく分からなかったという声が聞こえた。
ミシャクジに関しての話がメインで、建御名方命の名前は一度しか出てこなかった。
自然崇拝について語った映画なので、建御名方命を出すと、記紀だったり考古学的な話だったりに話がズレるから、その取捨選択はやむなしだろうなと感じる。
ただ、そそう神の御神体である萱の蛇というのは、出雲の荒神との繋がりをどことなく感じたり、述べられてはいなくても、出雲の影は存在しているように思えた。
神仏習合に関しては、少しだけ触れられていた。
神仏プロジェクトで神宮寺ゆかりの仏像を多数拝んで以来、諏訪の魅力に取り憑かれたので嬉しかった。
その荘厳さに最も胸を打たれた、諏訪大明神の本地仏である騎象普賢菩薩像は、廃仏毀釈の際に目をくり抜かれたと知り、驚いた。よくぞ元来の像容を取り戻してくれたと、ありがたい限りです。
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御室神事の再現というのが映画の核となっていたが、自分としても、これはこの上なく嬉しいことだった。
作中でも述べられていた一般のイメージ通り、自分も御室神事については、得体の知れない神であるミシャグジを大祝に降ろす、暗いベールに隠された妖しい神事という印象を抱いていた。
しかし、酒宴や、宴会芸とも思える舞が行われる様には、一般的な祭りと同じような姿を窺えて安心した部分もあった。諏訪の神官も普通の人で、ミシャグジも芸能を奉納されて喜ぶ神だったんだな、というか。
神使(おこう)の存在も、恥ずかしながら初めて知った。
大祝の分身となった彼らの廻湛(まわりたたえ。諏訪の村々を巡ること。)は、諏訪の民に、諏訪大明神の威光による豊作への期待を抱かせ、諏訪神党の結束を強めるのに重要な意味を持ったんだろうなぁと、しみじみ感じた。
そんな神事の再現に参加した、地元の人々の暮らしぶりも描かれていた。
普段は稲作に従事している人たちだからこそ、参加するのにはうってつけだと思えた。
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タイトルにもなった「鹿」について考える時、愛知県の能登瀬諏訪神社に伝わる、榊の木と葉で作られた鹿を射る「鹿射ち神事」は、示唆を与えてくれる物であると感じた。鹿の胎内に入った餅は種籾の象徴とされ「サゴ」と呼ばれる。明らかにミシャグジと重なる音である上に、諏訪人の、米と鹿肉が同等の価値を持つという価値観を見ることができた。
ミシャグジとは、石棒や蛇に象徴される生命力の象徴であり、米や肉などすべての食料を含む、自然の恵みを象徴する神である。そして、生贄を欲する代わりに、殺生を禁ずる神仏の楔から諏訪の民を解放してくれる、まさに自然そのもののような粗野な神である。そんな理解をした。
今までよりは、多少ハッキリとしたミシャグジの印象を抱くことができた。
良い映画でした。
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