考える葦 考える抜き
今日結局勉強できなかった。
というのも、英語科教員Kと2時間半座談会してしまい勉強どころではなかった。
なんか、こういう"無駄で有意義な時間"が最近増えたなあ、こういうの大切にしたいな。
その中で、印象に残っている話をひとつ。
インタビューという体で話していたので、僕は「受験英語と揶揄される現代の受験における非実用的な英語についてどう思うか」と質問を投げかけた。
そこでまず彼は「実用的とは何か」について話して始めたんですね。彼曰く、海外で生活してる日本人が使う英語っていうのも実用的だし、日本に住む翻訳家が使う英語能力も実用的だ、と。
そんな中で、僕ら高校生にとって必要で実用的な英語とは何か。今アメリカ人と話せるような英語が必要か?そんなことはない。日本企業へ就職しようと結局大学へ入る必要があるし、そこで受験をする必要があり、そこで必要な受験英語というのは極めて実用的だ、と。(一応彼は受験英語に求められるスキルが今の日本に必要かどうかは検討する必要があると断っていた。)
ああなるほどなと思った。
その上でささやかな抵抗として、教科書に載っているような「死んでいる英語」ではなく「生きている英語」を教えようとしている、という話もしていた。
筋が通った話でだいぶ納得した。
受験英語、ね。
でも、あれと向き合うにはもう少し覚悟が必要そうだ。
という話でした。