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言いたかった

いわゆる美術界において、美術評論的に「「俺!!」」という絵が論じやすくモテるということがよく分かった。ゴリゴリ考え、凝らせ、爆ぜ、「刺さるやつに刺され。それ以外全員死ね」くらいの勢いでやる奴が美術界のクラシックな道を生き残っていく。

私はそういう絵を描かない。

いや描けない。

描けないから憧れはあるし、憧れてるからこそそういう芸術奴が嫌いだ。陰口を言うのは嫌だから本人には直接伝えている。おで、おまえ、きらい。(すきじゃん)

エゴと思考で殴るような絵をほんとうに描きたいかと言われるととても難しいが、少なくとも今描くべきものではないと思っている。
そういう絵を見るだけでも圧に耐えられず閉じるくらいにハートが弱いから。私の心には自我を保てるほどの筋力がない。身体に入らずにフヨフヨと視点を浮かせているデフォルト状態から、毒を放てるレベルに焦点を絞るためには、かなりマッチョでなければならない。それに直感が「それ、やったら死ぬけど良いんか」と言っている。ほなええか。死ぬと決めた際には是非描いてみたいと思う。

私は人を愛し人に愛されることを絵としている。
絵は氣もちがよく、優しく、喜びで、ナチュラルで、全てを慈しむものであってほしい。だから必然的に人が直感で心地いいと感じる「自然」を扱っている。森林や動物といったnatureを含む思考が関与出来ないオートマチックという意味でのnaturalだ。そのナチュラルを、私というエゴを通さない素のままで転写することこそが私のアートだしデザインだ。

愛を伝える手段という点と心の動きに自然に寄り添えるという点から、舞台や映画と相性がいい。だからオーダーメイドやデザインのお仕事が楽しい。充分に生かせていると感じる。
子どもや女性性と親和性が高くて、オーダーをくださる方の9割はお母さんだ。あと田舎で動物と暮らしている人。

16歳で絵を描きはじめてから「思考から生み出される意図を如何にしてゼロに近づけるか」を研究し、エゴを削ぎ落としたシンプルな世界を自然に描くことを目標としてきた。そんな私の作家性と美術界に浸かっている教授たちのフィールドは重なっているようで掠ってすらいないのかも。話を聴く中でだんだん分かってきた。
飲みの席で先生は
「ZENさんの絵は好きだよ。そこまでの画力があるのに優しいだけで終わるからもったいない。感情や毒を出したアートで戦ったら(美術界で)無双するのではないか」
というようなことを言ってくれた。
私が来年から会社に入ってデザインをやることも不可解らしい。
「作家になればいいのに」「勿体ない」。

私はこの短い人生がしあわせで優しい世界であればよくて、絵を極めることで目的がすり変わってしまったら本末転倒だと思っている。優しい世界で喜んでいたい。目当てはそこだ。その手段が今は美術なの。来年からはたくさんの人と子供に囲まれてみる。(眉間に皺を寄せて死ぬ氣で極める彼らを羨ましいと思うのはただの無いものねだりだ。エゴが不足を見つけて喜んでいるだけなので、幻とする)

わたしが心地いいと感じられない絵が界隈でモテモテだってことと、私の生き方を突き通したら界隈から逸れてゆきそうなことを悟ってちょっとシュンとした。それで先生には言い返せなかったけれど、こういうことを言いたかったのです。私は優しい絵でかけた魔法の中で、人と共感しあって生きる。幸せの副産物を見てください。


2023.10.31 ZEN

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