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あなたの居る言葉と


ZENちゃんは人前で喋ったり言葉を伝えるのが苦手だろうから、それでも伝わりやすい単純な設定にするために前日になってシナリオを変えようと提案してくれたんだそうだ。

やさしい。

でもぜんちゃんね、言葉大好きなの。

並々ならぬこだわりがあるの。
共通言語で共感をうむための手段、プロセス、口調、文体に関して、なんなら絵や音楽より執着してる。

言葉の面白みを感じるのって、
あなたが口にした単語が私の持ってるそれと同じものなのか最後の最後まで分からないところだ。

別の状況で似た言葉を使っている所を見て
「この人の語彙の引き出しにはaとbがあったけれどあの時はaを選んだのだな。じゃあより柔らかなニュアンスを込めた言葉選びに優しさを感じるべきだったな」
などと、過去に感じた気持ちを幾重にも上書きして生きている。

あなたの口から発せられた初動の閃きを楽しんで、鼻に抜ける後味を解釈して、思い出す物語の中で意味を付け加えて味変する。
頑固なくらいに意図が長引く。言葉はそれくらい小さく、諄く、重たいのだ。
咄嗟の相槌やツッコミなんて正直必要ないと思ってる。ちいさく、くどく、おもたいものへの冒涜だ。

この感覚を分からないある人は
「なんか反応わりい」
「モゴモゴしてて口下手やな」
と感じるだろうし、私も
「言葉の意味が平たい直線で、痛い」
「耳が滑っちゃうんだよな」
と感じる。
そうやってお互いを理解する前に壁を作ってしまう。

言語感覚が似ている人間と付き合って来たから氣づかなかったのだが、日本語を使う人が同じ日本語を使っているわけが無いのだ。同じ言語を話すには日本が広すぎる。あまりにバックボーンが違いすぎる。

体育会系の業界に入って、まるで異世界に飛んだみたいだってよく感じるけど、大きな理由が言葉の扱いの違いだ。文語に触れる機会が多かった人と口語や非言語でのコミュニケーションで鍛えられた人の違いじゃないかしら。

どちらも面白いし愛すべきだから、私は私が落ち着く言葉を使う。

わたしは言葉が大好きだよ。記号と音で伝え合うことが好きだよ。それを否定しないでね。


2024.6.9 ZEN

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