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意識をなぞればやわらかな9次元多様体(地球体験記15)


・5年前に読み始めた小林秀雄さんの本「Xへの手紙/私小説論」をかなりの積み期間を経て完読した。ふうーーー。

瑞々しきJKの私は「理解には及ばないが引っかかった」箇所に蛍光ペンで線を引いていたようで、今の感性では取るに足らなくて読み飛ばすはずの社会風刺や一般化の表現が時を超えてピカピカと迫ってきた。

逆に今は5年前に読み飛ばしたむつかしい話が刺さった。
例えば
「普遍などという本来芸術家が狙うことのないつまらぬものを語りたいなら、自分がそれをつまらせる程のニッチな個性を持ちその視点から狭く狭く語ることだ。そうしたら個々の真実を忠実に語ることと等しくなり共感を得られる(要約)」。
これは絵をある程度描いたから引っ掛けることが出来た。
妖精、裸体、エーテル体といった見え方に絞ってモチーフを選べば確かに画面の説得力と飲み込みやすさが上がったから。具象でも抽象でも関係なく体験したものをあらわしていると見る側は自分事として受け取れる。


・卒業制作が大詰めに入り、友達と各々の視点を語り合うことが増える。
友達は描いている時に何を考えているのかな。氣になっていたことを聞いてみた。
「形が正確かどうかばっかり考えてるかも……?」
「描いてる時はたしかに何かを考えてるんだけどね、筆を離した途端アレッて忘れるわ」
だそうだ。夢みたいね。

みんなの制作中の絵を見回ってドッと疲れたりしてみる。学生の定めなのかしら。氣分のよくなる清々しい絵が生まれないのは。時間軸が関われば関わるほど遠ざかるのだろうか。たまたまそういうタイプが集まったんだろうか。軽い絵が良いという訳ではないし重たい絵の魅力もわかるけれど、似たような纏まりのない重たさが並ぶと息が浅くなる。

世界の設定も自他の境界も一人ひとり違うように見えて、それを同じ絵の具で表して同じ言語で吐き出して同じ部屋で悩んでる。同じ構造の細胞が並んで震えているのが可愛く、色と形と言葉を使っているかぎり純粋なプルプルを見ないそれらが押し並べて愚かで、ああこの共同体が離散するまでにこの愛を終わらせられるだろうか。描き尽くせるだろうかと急に不安になったりする。

おセンチね。


・また家族が増えた。
往々にして膨らんだり萎んだりしてもう誰と誰の血が繋がっているかいないか誰も氣にしていないうちの家族に、心優しい女の子が参戦した。

うちの近くにある森のフリースクールに通うべく県外の小学校からひとりでやってきたのだ。「自分を変えるため、幸せになるため、あと本当に生きたいように生きるため」に来たらしい。しっかりしている。余程頑張って親を説得して勝ち取ったのだろうと思ったが、毎日ビデオ通話で学校の様子を喋っているのを見ると親も一緒になってワクワクしており、反骨精神や不足からの脱却といった古くさい動機は見つからなかった。流石だ。

こないだは「食の当番」だったので13合分のお米を炊いたそうだ。マッチを擦るのも竈に火をつけるのも初めてで、手馴れた友達に手伝ってもらいながらなんとかやり遂げたんだって。次の当番の日は芋ご飯にしようか栗ご飯にしようか…と大分早いうちから迷っていた。
美術の授業では「三角定規のモチーフを組み込んで想像上の生き物をつくろう」という藝大入試のような課題を楽しんだり、哲学の授業では「なんで生まれてきたのか」というテーマで、産まれる前に今のお兄ちゃんと一緒に雲の上で料理をしていたことを先生(生徒は先生と呼ばずヤッサンと呼ぶらしい)に話したらそんなことは本当にあるんだよと言ってくれてホッとしたんだって。

「ゼンちゃんはなんで生まれてきたと思う?」
「死ぬの怖いと思う?」

昨日の夕ご飯の時に彼女が聞いてきた。哲学の授業で考えたんだろうか。
ひとつめの質問には「私の魂だけの感覚で自由に感じてみたかったから」と答えた。私はこんな世界にしてみたよって発表するのが楽しいので。
みんなの世界を覗くのも楽しい。その子のオーラや癖や言葉遣いから何となくアクセスできるのが堪らなく好き。

ふたつめの質問には「ひとつだったのが体に分かれてまたひとつに戻るだけだから生まれる決断をした時よりはドキドキ少ないかも。だけど愛を伝えられないまま死ぬのは悔しすぎるだろうから伝え尽くすまでは死ねないね」みたいなことを言った。

彼女は1つの言葉も聞き逃さじと私の目をじっと見て受け取ってくれた。
「なんで生まれたかって聞いても答えてくれない人がほとんどだよね〜ゼンちゃんとはやっぱ氣が合うわ♪」
と嬉しそうにしてた。
私は最近もっと削ぎ落とした柔らかい文体で考えたいと思ってるから、シンちゃんの素朴な語彙がとても良い肥やしになっている。

彼女はシンちゃん(仮)、10歳だ。

シンちゃんは5歳で出会った時から彩度の高い赤紫やマゼンタを纏っていてとんでもなく魂の経験が深いらしいとは感じていた。けれど地球10年目にして、本来生きたいように生きられてない違和感を見逃さず、素直に相談して軌道をコントロールするとは。かっこええ……

私の近くに来る子どもは高重心な子が多い。多次元に通用する精神性のまま物質世界に足をつけることを学んでる。それで、今よりスピリットと肉体を分けた教育がされてた時代に子供時代を過ごしたゼンはその子たちの先生になれるんだって。2005~のいわゆるレインボーちゃん達は、4次元を面で捉えて画面ごとのパラレルをスクロールしていく量子力学的思考を持って来てるから、ゲンジツを変えるために物質の動きに合わせる(次元を下げる)ってことをしない。てめえらが上がれ、僕は観察者だ。そんな子どもたちには教えてもらうことばかりで頭が上がらないし、一緒に遊ぶと背中にまとわりつかれて腰が上がらない。

もちろんフリースクールの子どもたちのレインボーぶりも半端じゃ無いだろう。私らが国語算数理解社会でコツコツと思い出した世界の捉え方やコミュニケーションのやり方はもう教える必要がなくて、スクールでは火の起こし方や食べられる野草や動物との暮らし方をお日様の光を浴びるように吸収している。学びたいことを学んで幸せを体現している。地球はもうこんな時代だ。ちゃんと変わったんだよ。シンちゃんとお友達を見て確信した。

シンちゃんは私が来年親元を離れ、遠いところでお仕事をするのが心配で仕方ないようだ。
「ウチはたくさん愛を貰って育ったから親と離れるのは寂しいの。いまホームシックだよ。ゼンちゃんもそうなるかなぁー。それとも私はまだ10歳だから寂しいのかな」
確かに!私も愛をたくさん貰ったからそうなるかもしれない。
だから今愛を還すことを学んでる。今描いてる絵は母に、作った工作は彼に、小道具は劇団に、クリスマスカードをシンちゃんに。貰ったものを全靈でお返ししている。

あとシンちゃんは色んな人にハグをする。ハグっていいね~〜
私も抱きついてみよう。

2023.12.14 ZEN

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宇宙人のまま生きるに至るまでをすなおに振り返ってみました。今と切り離し忘れるための備忘録。平均3000字の記事が15こ入ってます。

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