変わる世の中、亡母の実感

何となく整理をしていたら、古い更紙(ざらし)。
「いつの時代だ」
と思えるような朽ちかけた藁半紙に、タイプライターで打たれた印刷物。
小冊子にも届かないような、ホチキス留めの社内報が出て来た。
驚くほどに古過ぎる、もはや石器時代かと思えるような代物(しろもの)だ。

亡父が勤めていた企業のモノである。
たまたま亡き両親がインタビューされているので、保存してあったのだろう。
軽く読んでみる。ふむふむと頷く。
驚くべく言葉があった。「世の中、段々変わって来てるでしょ」。
亡母の言葉だ。未だ20代前半であった。

「変わって来てる」-昭和18年生まれ。
戦後と共に育ちの過程があり、高度経済成長期の始まりと共に社会人となった実感であろうか?
昭和から平成へ。平成7年(1995年)にWindows95が日本に
上陸してから約30年。
間の変化を、時代と共にの便利さと、反面に残る一抹の淋しさや不安。
やるせなさを今、我々が感じているのと同じように。

一介の専業主婦。既に一児の母であっても、その感覚があったのだ。

だからどうこういった言葉がないので、結論づけは出来ないけれど、
ひょっとしたら「変わり過ぎ」。一挙にオール進化することもないんじゃないの、とも思っていたかも知れない。

100の便利さより、85の快適と便利さ。
15ぐらいの不自由さと手作業があった方が、世の中スムーズ。ストレスも少ない気がする。


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