所感「沖縄返還50年」

令和4年(2022年)。
昭和47年(1972年)から丁度、半世紀。50年目にあたる。
おギャーと生れた赤ん坊が既に50歳。白髪に老後、親の介護問題その他諸々、気になるお年頃(?)。凄いわねぇ。
なぁ~んて感慨深くもなるけれど、沖縄が日本に返還されてからの歳月だ。
25周年の時に買った記念切手を持っているが、「朱(あか)」。それだけでも独自の文化と、悲惨な歴史が伝わって来る。

偶々なのか、必然か?敢えて書けば「本国」。
沖縄を除く日本でも、物凄い一年であったと思う。あさま山荘事件があり、パンダ来日に世は沸いた。第一次オイルショック前後であって「記憶にございません」。流行語が誕生するのも、直ぐである。
<男のメス化、女のオス化>が、大袈裟に言えば先走っていた時代でもあった。ロン毛男に、パンタロン女。高度経済背長期が、人々の意識~アメリカに、追いつけ、追い越せ~に火をつけ、燃え盛っていた最終章。故か、<狭い日本、そんなに急いでどこへゆく>提唱もあった。
ニコニコマークが流行っていたなぁ。

当時、わたしは幼稚園児であった。千葉の稲毛に住んでいて、「おんぶおばけ」等カラーテレビ漫画に塗れた生活を送っていた。まだまだ個人商店がいっぱいだった。けど、(これから、どうなっちゃうんだろう?)
あさま山荘事件のテレビ中継を、母親と一緒に見ていた時、ふと不安に感じたのをはっきり憶えている。

あれから50年。
再び思う。(これから、どうなっちゃうんだろう?)
極端しかない。気候から、人々の思い、考えが端的に極端となる。
ワープロからパソコンへ。ガラケーからスマホへ移行しつつあった中での、
ひょっとしたら「悪」。悪い意味での「変化」かも知れない。
余談ですが、いいですかぁ~っ。
50年前、やっっと黒電話が普及したのですよ、皆さん。電話番号を取得するのが、一苦労でしたな。電電公社に行って2時間も掛かりましたばい。


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