新聞購読今昔(しんぶんこうどくいまむかし)
昨日、毎日新聞の販売員が来た。
新顔である。手に畳まれた、地図を持っている。
「以前、お世話になっていまして、、、」
又、取れ。購読しろと言うのであろう。
「ネットで見ているから」
断わったのだが、気の毒になり「やはり少なくなっているの?」
後ろ姿に声を掛けた。
「そーなんですよねぇ」
地図を開く。各々の氏名が小さく掲載されている。真っ赤っ赤だ。
「赤いのは、残念ながらのご家庭でして」
「そっか、、、」
5分ぐらい雑談を交わしたが、やはり昨今、新聞販売店業も苦しいようだ。
ウチの近所に朝日新聞のそれがあったが、今や更地となっている。
かつて。
その家の文化度。知的文化度を示すのに「新聞購読」があったように思う。
テレビもいいけど、まず「新聞」。
情報分野の広さと分析力に人々は、重きを置いていた。
「新聞も取ってないの?」
えっ?反応は冷ややかな意味での驚きだ。
んが、今やどうだろう。
「新聞取ってるの?未だに?」
ネットでいいじゃん、「何で取るの?」重ね質問されるやも知れぬ。
ここからしても50年前。
前の大阪万博の頃とは、確実に世は違うのだ。