わたし達の場合
トット黒柳さんと、パンダの出会いも、お土産であった。
幼い頃に、伯父様がお土産として、パンダのぬいぐるみをまだ小さかった黒柳さんにくれた。以来のおつきあい&研究家だ。
遂にその動物。
パンダが日本に初来日。
昭和47(1972)年の黒柳さんの興奮振りは、今や知る人ぞ知る伝説だ。コンテナから降りて来る2頭、カンカン・ランランをどこぞの影から見ている映像までが残っいる。
その頃、更に凄い(?)動物のぬいぐるみを我々姉妹。
わたしと妹は持っていた。コアラ。コアラのぬいぐるみ。
あのコアラのぬいぐるみである。
亡父の仕事関係者が、オーストラリアに行ったお土産に下さったのだ。
「コアラっていうんだって。オーストラリアにいる動物」
父から説明を受けても、「ふぅ~ん」程度で終わっていた。
何せ、頭はパンダでいっぱい。パンダ、パンダ、カンカン&ランランちゃんに胸キュンの日々。耳が小さく、やたら鼻がデカい方面に、興味がイマイチ沸かない。
「ありがとう、って言っといてね。その人に会ったら」一応はいう。
「ああ」同じ具合に父も答えた。
引っ越しをする際、あっさり別れた。誰かにあげた。
約10年後。
高校3年生と、中学3年生に我々もなっていた。住んでいたのは、名古屋市に近い尾張旭市の社宅である。
「なんかさぁ、東山動物園にコアラが来るらしいわよ」
「へぇ~っ。でもパンダと同じでしょ。夜行性で昼てばかりっていうじゃん」
「だよねぇ~っ。パンダを見に行った時、物凄かったじゃん」
あの行列の映像も時に、今でもテレビで流れたりするが、豆粒みたいな人々の中に我々もいるかもしれない。3回か4回、上野公園に見に行った。
「そういえば、ぬいぐるみ貰ったの憶えてる?」
「何それ?」
妹が2,3歳の頃なので、記憶にないかも知れないが、確かに我々はコアラ。パンダ来日時代の日本で、あまりお目に掛かれないぬいぐるみの所有者であったのである。
もしずっと持っていたのなら。
今頃は希少価値。ぬいぐるみ業界で欲しい業者、続出。数多(あまた)も数多で値があがって、、、うしし。いやその前に、ボロボロか。
そして、昭和
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