「アニメを見る」意味
今、わたしは「赤毛のアン」(東京MX、毎週月曜日 午後7時~8時放映中)を見ている。近くに住む妹も、欠かさずに見るそうだ。非常に何だか、面白い。登場人物ひとり、ひとりの個性といい、声優陣の魅力的な演技と言い、演出と言い、面白いとしか言いようがない。「非常に」「何だか」面白いのだ。
(なぜだろう?なぜかしら?)してさて思う。考える。
アニメ=基本的には子供が見るもの、子供対象のものであろう。単純に見る。「面白かった」「つまらない」「どちらでもない」大まかな感想だ。「どこそこが」「どういうところが」言葉では表せるけど、奥深さが欠けている。年齢的なものが大きかろう。んが、10年経ち、20年が過ぎて「大人」。社会的に大人と言われる年齢になって見ると、「アニメ」以上に「作品」として自然、捉えるようになってくるのだ。「アニメ(絵画)」として、文芸的な「作品」として各々の分野で見るようになる。演出の仕方、色彩迄を評価したがる。だからなのではあるまいか。各々の感性がより自分に合い、世間的に評価されると評した時に「いい作品(アニメ)」と評するのだ。
全話、見たくて見たくてたまらないのに、何故かない。ユーチューブその他で無料配信、面倒臭い手続き何ぞ要らないで直ぐに視聴したいのに「おんぶおばけ」(エイケン作)と「赤胴鈴之助」(東京ムービー作<トムス・エンターテーメント社に買収された>)がある。この2作品を今、見るとやはり「好き」とわたしの中でなるだろう。単なる「アニメ」、絵面としてだけでは見ないからだ。既述の如くである。
「大人になって!」「いいトシ子いて!」笑いたければ、笑うが良い。しょーがないじゃん、だっえ大好き。好きなんだもん。但し昭和アニメがね。 アニメの良さ、息の長い分野の理由はここにあろう。