ブス
「レッドの304号室にいるんで、向かって」
ジジィの感情の無い声が携帯越しに響く。私は言われた通り、煙草屋の隣にあるレッドと言われるホテルに向かった。今日で出勤3日目で、この仕事には、わりとなれた。
最初はさすがに緊張した。私がこんなことしてること自体がまず間違いだろうと、そりゃ、誰もが思うことだし、私自身も思ったけれど、どうしてもやらなければならなかった。
それは単純なことだ。金。金。金。私は大好きだ。金が、金金金金。
親が借金、とか、そういうことではない。経済面で言えば安定した家庭環境の中にいる。でも金というものはあればあるだけいいんだ。それに金は裏切らない。金は私から逃げない。金があればチヤホヤされる。
私という人間が、個体が、この世にいるんだと、そういう存在意義みたいなものが、結局はカネという二文字に集約される。
トントン。
ノックをして中に入る。
「失礼します」
「あ……はい」
客は私に顔で語りかける。それを私はヒシヒシと感じとる。今回含めて、3日間ともそうだ。
明らかに残念そうな顔をする。
そして人生で私が最も言われてきた単語が頭に浮かぶ。あ、これも二文字だ。
世の中の大体のことは二文字で片付けられる。
それなら指名料金払って自分に見合った顔面を選択しろよ、と思う。だいたい指名もせずに、少ない金額を払ってここまで来て、良い思いをして抜こうなんて、そんな甘いことはない。
人生を甘くみるな。
舐めて、触ってやるんだから、有り難く思えとさえ思う。
「どうされるのが好きですか?」
「乳首を責めてもらっていい?」
アホみたいな声。ここにいる私を機械か何かと勘違いしているような淡白な声。
でも結局、男は野蛮だ。最初は残念そうな顔しても、電気を暗めにして、ペニスを触って、乳首を舐めてやったら、勃起はしっかりするし、最後にはしっかりと追加でオプションさえつけてくる。でもこいつは、この35分が終わって、外に出た瞬間に、呪いが解け、私とキスしたことも、私の顔を思い出して気持ち悪くなって、私の臭いや、私の味を全部消し去りたくなるのだろう。
前回がそうだった。
ことを成し終えて、男と解散して、諸々の作業が終わり店を出ると、近くの喫煙所で、先ほど私が気持ちよくさせた男が友人と二人で煙草を吸っていた。
私は帽子を深くかぶり、その男の斜め後ろを陣取り煙草を吸った。私が相手した男が友人に聴いた。
”お前はどうだった?”
”よかったわ。やっぱりスカッといきたいならオナクラに限るわ”
”俺は最悪。まじキモチワリィ。あんな女雇った店側の神経疑うね”
”え?で、お前どうしたの?”
”まぁ金もったいないから、目を瞑って、ギリギリ”
”ウケる”
”でも、その女の臭いとか思い出しただけで吐き気が……おえ”
男が自分の手をクンクン嗅いで、一言。
”やっぱりくさい”
”ハズレ引くと、そうなるよな”
”お前はいいなぁ。あぁ、くさいくさい。煙草を吸って臭い諸々上書きするしかない。”
”今度から絶対指名の方がいいよ”
”だな”
「ハズレ」私はボソッとつぶやいて、電車に揺られて、オナクラドリームの”ノリコ”から大学生の佐藤アヤカに戻って、帰ったのだった。
その時のことがフラッシュバックしたら腸が煮えくり返りそうになった。
私だって同じだからだ。今も感情を押し殺して、気持ちよくもないのに声で演技しているけど、知らないおじさんの臭いは吐き気を催すし、自分の中に毒をもられた感じで、頭がガンガンする。
明日も明後日も明々後日も、私の毒は回り続け、こいつらにとっての毒は煙草で上書きされるだけ。私は?私は金で上書きされる?
このおじさんの乳首がだんだん小銭に見えてきた。このおじさんのペニスがだんだんお札を丸めた筒みたいに思えてきた。私の感情は少しだけ楽になった。
「ただいま」
「おかえり〜遅かったじゃない」
「うん、サークルで」
「そう〜」
私の母 トキコは、私がしっかり見えていない。
「アヤカは可愛いね」「こんなに可愛いんだもん。将来楽しみ」「学校でモテモテでしょ?」「こんな子、誰も放っておかない」この親に、そう言われ続けて私は育った。子供の頃はそれを全て受け入れて、”自分は可愛いんだ”と思っていた。
でも歳をとるにつれて、家と外の世界の差には大きなズレがあることがわかり、12歳になる頃には、自分は人より容姿が劣っているのを受け止めざる負えなくて、世界で一番私を褒めてくれるこの女が、世界で一番憎い存在になり、この人の言葉を聞くと、体の内側から熱くなり、気持ち悪くなった。
中学の頃にあった本格的なイジメについても、こんな親には相談なんてできなかった。多分相談したとしても、「冗談はやめなさい」と一喝されて終わるだけなのも目に見えていた。
ずっとずっと嵐が過ぎるのを待つように、イジメに耐えた。
それに比べて父にはきっと私のことがしっかり見えていた。だから母が言った言葉も聞かないふりをしていた。そして私の肩をポンと叩いて自室に帰っていくことがよくあった。
私はその肩の感触がずっとこびりついていて、お風呂で痛いくらいに洗っても取れない。
気づいているならしっかり言ってほしい。あの女にしっかり伝えてほしい。「アヤカはかわいくないぞ」と、しっかり言葉にしてほしい。
そっちの方が数百倍マシである。
私は何のために産まれたの?ただカタカナ二文字を言われるために産まれたの?それとも、この先に良いことが何かあるの?
努力すれば絶対良いことがある。
そんな言葉は、努力した先にほんとに良いことがあった数少ない人が発した詭弁なんだ。
努力したって変わらないものは変わらないし、人間は産まれて、どんな過程であれ、死ぬという法則だけが真実で、それ以外は人によって様々で、そこに”絶対”なんてものはない。
だって精子と卵子がたまたまくっついて、出来ただけ。そこには”努力”と言う感情なんて無縁なのだ。たまたまなのだ。
だから私は、その産まれてくるチャンスを無くした精子たちをティッシュでつぶしながら、その精子を金に変える。
死にたい、と常に思ってる。
でも死ぬ勇気はない。心では何度も自分の顔に包丁を刺す。ブスブスブスブスブスブスブスブス。そしてその擬音ですら、私を狂わせる。狂わないように金を稼ぐ。カネカネカネカネカネカネカネカネカネ。
ブスブスカネカネカネブスブスブスブスカネカネカネカネカネカネ。
そうやって、私は明日も生きていく。