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煙草

わたしは、煙草を吸いました。高校の時は煙草というものに少なからず憧れてはいたけれど、あんなの吸ったら死ぬ。あんなの吸ったらきっと真っ黒になる。だからわたしは死にたくないし、生きていきたいと思っていたので絶対に吸わないと決めておりました。でも、ある時、本当にある時に、煙草を吸おうと思ってしまいました。それはなぜか?、とか、答えばかり出すのが社会には多いけれど、なんとなく、としか答えられないので仕方がありません。ただ煙草を吸わなくても、左耳がたまにキーンとはなるし、身体は不調続きだし、吸っても吸わなくてもきっと一緒だとわたしは思いました。それが理由ではないけれど、とりあえずコンビニエンスストアで、わたしは煙草を買いました。種類がいっぱいあったので、買うのに手間取ってしまいましたが、最近のコンビニは煙草のパッケージの横に番号が振られていて、番号を言うと、その煙草を出してくれるようになっていたので、わたしはレジにあったら100円のライターと好きな数字の「4番ください」と店員さんに言いました。店員さんは青色の6mmのメビウススーパーライトを出してきて、無表情で、わたしに差し出しました。

わたしはそれを持って公園近くの喫煙所に行きまして、ライターで煙草に火をつけようとしましたが、一向にうまくいきません。すると隣にいたグレーのスウェットを着た男の方が「火をつけるときに吸わなきゃつかないよ」と教えてくれました。わたしは言われた通りに口に煙草をくわえて、吸いながら、火をつけました。すると煙草はチリチリ、チリチリ、と赤い光と煙を立てて、わたしの中に何かが入ってきました。喉がピリピリとして、わたしはゲホゲホとむせてしまいました。すると横にいてかっこよく煙草を吸っていたグレーのスウェットの男はわたしを見て、少し微笑み、「おねぇさん、はじめてなの?」と話しかけてきました。わたしは「はい」と言って、チリチリ、ピリピリ、ゲホゲホを繰り返します。

男は私に「すぐに慣れるよ。でも煙草なんて吸うもんじゃないよ」と言ってきました。

世の中不思議なことが多いと思いました。だってこの男は煙草を吸っていて、それなのに吸うもんじゃない、と言ってきて、きっと世の中このようなことは多いんだろうなぁ……と感じます。それに私がもし彼に「じゃあなんであなたは煙草を吸うの?」と聞いたらきっと彼は「なんとなく」と答えるでしょう。そういうものなんです。答えなんてものは実はどこにもないのです。数学の数式だって、誰かが1と2と3と数を作り出して、勝手に当てはめて、いつの間にか答えがでるような気がしているけど、1+1が2なんていうのはまやかしに過ぎないのです。そもそも1ってなに?と聞いたら数字だよ、と返ってくるけど、1は誰が作ったの?と言うと、人間だよ、となるでしょう。そうなってくると1というものに信用なんておけないなと感じるのです。

煙草を作ったのは誰?人間だよ。なんとなくという言葉を作ったのは?人間だよ。人間を作ったのは?人間だよ。こんなことをぼおっと考えていますと、男はわたしに話しかけていました。

「きみ、この辺に住んでるの?」「なんで?」「こんな時間にこんな場所にいるから」

今は午前2時を過ぎたあたりなので、もちろん電車は動いてないし、わたしはこの近くで一人暮らしをしております。でもそんなことをこんな見ず知らずの方に話すのも怖いなと感じましたので、わたしは「違います」と答えました。嘘です。嘘をつく、ということに慣れたのはいつの頃なのか。嘘を作ったのは誰?人間だよ。そうでしょうね。わたしは一生人間の作られたものの中で人間らしく生きて人間らしく死んでいくのだろうなとおもいます。彼はわたしにまた質問してきます。

「いくつ?」これに関しては嘘はつかずに答えました。「26」、彼はぷぷぷと笑いました。

「26歳ではじめて煙草を吸うの?」とても馬鹿にされたように思えたわたしは彼の言葉に何も答えませんでした。でも彼はわたしに言いました。

「まぁそんな時もあるな」

わたしは彼の顔を見ました。彼は公園のぶらんこを眺めながら、少し寂しげな顔をしていたのです。わたしはその顔を見て少しだけ彼に興味がでてきたので質問してみます。「あなたはなんでここにいるんですか?」彼は答えました。「なんとなく」

ほう、なるほど。わたしは彼に近しいものを感じましたが、でもそれと同時になんだか悲しいなと思いました。

この日が終わればきっとこの時間にわたしはここにはこないし、彼には二度と会わなくなります。それはきっとわたしの中で彼が死んだのと同じです。二度と会わない人間は生きていても死んでいるのです。それが人生なんだと思います。彼にとってもそれは同じです。彼は来週、もしくは明日にはわたしのことを忘れて、1年後には多分わたしの存在さえも忘れます。それは彼にわたしが殺されたのと同じな気がします。わたしも彼を殺します。

そんなように物事を考えるようになったのは去年の夏のことです。高校の頃の同級生に誘われてはじめてDJのクラブイベントと言われるものに行きました。

ピカピカ光って、ドゥクドゥクと音がなって、よく分からないままに腰を振って飛び跳ねてます。心の中では、あぁ、おしっこしたいなぁ、さっきのお酒のせいだな、と思いながら、只々音に合わせて飛び跳ねておりました。

周りを見るとピチピチの服をきて、胸を強調している女、上裸で踊ってる男、その他大勢。DJがスクラッチをこすり、それと共に豚どもが踊る。あぁ、この中でおしっこしたいなぁって思いながら飛び跳ねてる人は何人いるのかな?そう思いながら只々音に合わせて飛び跳ねていたのです。

横には同級生が連れてきた知らない女がいて、只々セックスを連想されるような甘ったるい人工的な匂いが漂いました。

そして、突然わたしの心の中で不思議な音が鳴りました。

”プス、プス、プス”

同級生とその女は ナンパをされたいと、されるために来ていると、というか、やりたいと、やられたいと、そんな言葉を、テキーラを飲んで、何度も何度も乾杯をして、甲高い声で叫びながら、飲んで踊っております。

あぁ、この子達はテキーラでできている。テキーラさんだ、と思いました。

また頭の中で不思議な音がなります。

”プス、プス、プス”

そして、わたしは、おしっこが我慢できなくなり、途中で抜けてお手洗いへ駆け込みました。個室に入り、出すものを出したその時でした。先ほどの不思議の音が突然

”プチン”

と切れたのです。そしてわたしは、あの同級生とあの女にはもう二度と会ってはいけない、と……そう思いました。あの同級生もあの女も今わたしが殺した、と。身体をプス、プスと刺して刺して、そしていまのプチンは血管が切れた音です。生命が切れた音です。そしてわたしは携帯の連絡先からその同級生の記録を削除し、帰宅することにしました。

わたしの中で彼女は死にました。

それと同様で今ここで煙草を吸っているグレーのスウェットの彼も殺してしまうと思うのです。

そんな彼と私の無言の時間が只々続きます。私は煙草を慣らすために肺にはそんなに入れずにぷかぷかとふかしておりました。

すると彼が私に突然こう言いました。

「人身事故ってどう思う?」

「え?」

「あ、ごめん。やっぱりいいや」

わたしの悪い癖は聞こえているのに答えがすぐに出そうもない質問には聞き返すフリをすることです。わたしは素直に答えました。

「……迷惑」

彼はそれを聞いてまたぷぷと笑い言いました。

「だよな」

「なんでそんなこと聞くんですか?」

「友達が自殺の場所を探しているらしいから」

それはまたすごい友達ですね、とぼそっとつぶやきました。彼は続けます。

「そいつ、学生時代は音楽やってて、でも大人になろうと就職して。でも音楽やってるやつって基本反社会的な考えなやつ多いじゃん?」「へぇ」知らないけれど……。

「理論的なことを振りかざして、すぐそこ辞めてさ、彼女もいたのに愛想つかされて、今ではギターしか友達がいないんだと」

「それで……自殺?」

「らしいよ」

「へぇ」

沈黙。

「田園都市線とか多いイメージですね」

「何が?」

「人身事故」

「あぁ」

彼は何本めかわからない煙草に火をつけました。わたしは少しだけ頭がくらっとしてきてしまって吸うのをやめたのですが、この途中まで聞いてしまった話に収拾をつけなければ、人でなし!と…、少なくともこの方のご友人が死ぬかもしれないのに、そうですか、と知らんぷりするほどわたしは人でなし!ではないと思っておりました。

「でもさ、さっきあんたが言ったそれが正しいんだよなぁ」

「わたしが言った?」

「迷惑って言ったでしょう?」

「言いましたね」

「路上で音楽やっても立ち止まってもらえず、就職しても、辞めても、また音楽やっても、誰も見向きもしなかった男が、最後の最後でそいつの行動が原因で足を止めてもらえるんだぜ。そいつに向かって迷惑って、イライラするって、舌打ちって、そんな感情をむき出しにしてもらえるんだぜ。相手にしてもらえるんだぜ」

この世で一番美しいものを見ているみたいな瞳をして彼は続けました。

「そんなの、幸せだよな」

わたしは、そもそもの質問を投げかけてみます。「お友達が亡くなるのに、悲しくないんですか?」

彼は、なんにも答えませんでした。

でもその目がとてもキラキラしておりましたので、わたしはそれだけでなんだか一緒に幸せな気分になったのは事実でした。

わたしは、時に、ふと思ってしまうのです。世の中にあらがう形はなんでもいいと、別にそれが死でもいいんだと。
口にはしませんでしたが、この男の言いたいことが分かった気がしました。

そしてわたしたちは別れて、家に帰りまして、まだ半分以上入っている煙草を眺めました。

煙草を初めて開発した人も、こんな世の中と戦っていたんでしょう。悪いものを身体に入れる。悪いものを身体に入れなければ、気がすまなかったんでしょう。生きるというしがらみから解放されるために少しでもあらがいたかったんでしょう。

他に身体に入ってくるもの……例えば、歯医者。わたしの中に他人の指と、わけのわからない器具とわけのわからない音がぎゅいいいんと口の中に入れられて、犯されている気分になってしまいます。精神的に疲れてしまいます。でもなんだかそれはそれで嫌ではありませんでした。それとアルコール。キス。ペニス。精子。わたしの中に入ってくるものすべてがわたしにとってわたしを唯一許してくれるものであり、分かり合えるものであり、わたしにとっての悪いものであり、わたしにとっての好きなものなのです。だから、求めてしまいます。これは動物の本能なのでしょうか。だから煙草も吸いたくなるのでしょうか。

わたしは、ベランダにいき、また一本だけ煙草を吸いました。

チリチリ、ピリピリ、ゲホゲホ

チリチリ、ピリピリ、ゲホゲホ

チリチリ、ふぅ、はぁ

チリチリ、ふぅぅ、はぁぁ

ふぅぅぅぅ、はぁぁぁ

死というのは、人間の唯一の試練なのでしょうか。それとも人間の唯一の救いなのでしょうか。

そんなことを考えて、わたしは眠りにつくことにします。

お休みなさい。

朝、わたしは6時に起床し、胃と腸を起こすために水をコップ一杯飲み、食パンにバターをたっぷり塗りまして、それを食べ、牛乳を飲み、歯磨きをして、化粧を塗り、会社に向かいました。

そして、駅にはたくさんの人だかりができておりました。

『ただいま、運転を見合わせております。誠に申し訳ございません。』

高校生「なんなんだよ」社会人「またかよ、遅延」40代くらい「死ぬなら迷惑かけんなよ」50代くらい「あぁ‼︎いい加減にしろよ‼︎」お兄さん「うぜぇ」おねぇさん「遅刻しちゃうよ」30代くらい「なんで自殺に電車選ぶの?ばかなの?」30代くらい「人身事故とかふざけんなよマジで」50代くらい「早く片付けて運転再開しろよ!」

わたしは、なるほど、と思いました。

会社に連絡を入れまして、駅前の喫煙所にて煙草を一本吸います。今度はしっかり肺の中にすべていれ、口と鼻から同時に煙が出ました。

そしてクラッとしました。

人間ってとことん人間だなと感じ、吐きそうになりました。人身事故で亡くなった人の想いはどこに行ってしまうのでしょうね。

人の命を軽く見るなとか、戦争はいけないとか、殺人はダメとか、吐くほど大人たちに言われてきたのに、そんな大人たちが!40,50代のおじさんが!「死ぬなら迷惑かけずに死んでくれよ」と嘆く。24時間テレビをみたらもちろん感動はするし、ニュースで取り上げられている悲しい報道には耳を傾けるのだろうと思うと、とても矛盾しておりますでしょう?!そしてなんだか単純だと思いません?大衆が感動するところで感動して、大衆がイライラする場面では怒り散らして…阿保ですね。阿保です。そんな阿保がいる世の中だから死ぬんです。死ぬんでしょうね。

ライブハウスで客がまったくいなかった彼も、そんな大勢の阿保にむけて最期の歌を歌って、死んだのだろうと思います。阿保たち!しっかり聴け!!聴きなさい!!!阿保!聴け!会社なんてどうでもいいだろ!命をかけてお前らにあらがってるんだから!!命を軽くみるな!!聴きやがれ!!!

ふと我に帰ると、喫煙所で40代後半くらいのおばさまがヒソヒソ話をしているのが聞こえました。

「わたし見ちゃったのよ。さっき駅のホームにいたから」「え、本当に?」 「本当に、一瞬よ。気づいたときには肉片みたいになっててね」「大丈夫だった」「ダメ……今日は何もする気起きない」

「飛び降りた人ってどんな感じなの?」

「若かったわよ」

「あら、そうなの?」

「グレーのスウェット着てて、ふらふらしてる感じだったのよ」

「そうなんだぁ。朝からそういうの見ちゃって大変ね」

「まったくよぉ」

そして、わたしは気付きました。

彼の目、キラキラしてました。

彼は言ってました。

そんなの、幸せだよな

幸せでしたか?

わたしは、彼と昨日会ったことを忘れないように、そしてまた会えるように、と。今日の夜中もあの公園の近くの喫煙所に行こうと思います。明日も明後日も明々後日も。彼に会いに行こうと思います。しっかりと生きているのです。彼は今も生きているのです。

彼は、今も生きています。

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