凍えそうな冬に

突然だか、この間叔母が亡くなった。
小さい頃から明るく元気な叔母だった。
亡くなる1週間前まで、寝たきりになりながらも大きな声で笑っていた。

ある日突然、義母(私の祖母)と夫(私の叔父)を亡くし、1人で知能と身体の障害を抱える従姉妹と暮らしてきた叔母。
3年半前にガンが発覚し闘病していた。
その叔母が亡くなった。

叔母は、今日の出来事などを母に連絡していた。
最後の入院の前にも母は毎日通い、私も休みのたびに手伝いに通った。
寝たきりになってからは、どこか心細そうに見えた。

今思えば、死ぬかもしれないという感情を抱えて1人でいることが耐えられなかったのかと思う。
直接聞いたわけではないため、本当のところはわからない。

叔母が亡くなり、親戚やたくさんの叔母の友人たちが涙を流し見送っていた。
どこで出会ったか不思議な人もいるが、私たち親族も名前も顔もわかっているという不思議な感じではある。
しかし、たくさんの人の中心にいつもいた。

あまり涙を流さない従姉妹が大きな声を出して泣く姿は、心が痛くなった。

本当に小さい頃から、祖母の家に行くと笑顔で迎えてくれた。
祖母の家で暇していると従姉妹の買い物に一緒に連れて行ってくれたり、幼い頃は私の家族と一緒に叔母の実家の旅館まで旅行したこともある。
なにかお手伝いをするとお小遣いをもらったり、お正月には毎年実家で従姉妹ともう1人の従姉妹の家族と集まっておせちを食べた。
あげればキリがないほど、叔母にはお世話になったのである。

私が、社会人1年目で落ち込んでいる時は人生そんなことたくさんあると笑い飛ばし、気分転換に連れ出してもらった思い出がある。

叔母は誰にでも話しかける超絶明るい人だった。
若いカップルだろうが、海外の方だろうが、子どもから大人まで誰にでも話しかける。
そして、自分の身の上話から相手の話、従姉妹の話など全てを話してしまう、なんだかすごい人だ。
そんな叔母に、私はひまわりのイメージがあった。
どこでも明るくて、中心にいて、笑い飛ばしてくれる。
そんな明るい人が近くにいるとこちらまで明るくなるような気持ちだった。

そんなひまわりのような明るい笑顔がこの世界から消えた。
笑い飛ばしてくれた声がいなくなっった。

今もあまり実感がないが、叔母のいない叔母の家を訪ねるとなんともいえない気持ちになる。

ちょっと前までここに寝てたのに。
ちょっと前までここで笑ってたのに。

個人的ではあるが、可能な限りのお手伝いができたのではないかと思っている。
本当に役に立てたかわからなくとも、少しでも役に立っていれば嬉しい。

今日で四十九日。
向こうにいってもきっと明るい笑顔と声で家族と、できれば私の父とも笑い合っていてほしいと願う。

最大の感謝と尊敬を込めて。
ありがとう。ゆっくり休んでね。

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