舞台 遊劇体「微風の盆」感想 -筋書きだけでは成り立たない世界について
うだるような暑さの7月末。汗だくになってたどり着いたE9KYOTO。若干枚数の当日券を勝ち取り観劇。外の暑ささえも味方につけた良い演劇でした。来年は戦後80年。この夏に、見れて良かった。
【!】以下、観劇初心者の稚拙な感想です。特に今回のような小劇場で行われる演劇は全く触れてこなかったので頓珍漢なことを言っていたらごめんなさい。
平場にハギレと箱?がいくつか置いてあるだけのシンプルな舞台。シンプルだけに俳優さん方の身体で魅せる部分が多かったように思う。
特に“マリア”を演じる大熊さんの身体表現は圧巻で、生物としての力に満ちているようにも、宗教的でシンボリックな彫刻のようにも見えて美しかった。
宗教的・神話的なモチーフが散りばめられ進行していく物語。複雑に交錯する死者たちが生きた道筋は悲哀に満ちている。舞台上の4人のビジュアルはコメディちっくだし、とぼけたような演技もあり、笑いどころは多々あるが、根幹に流れているテーマが重い。戦争の中で傷つき、死んでいった人々、生き地獄を味わった人々が“マリア”の正体を探りながら自身の人生について辿っていく。その語り口は軽妙で、いわゆる「御涙頂戴」的なものではない。見終わった後に残る感情も、重苦しいものではない。
怒涛の展開と、とにかく多い情報量に肩は凝ったものの、清々しい気持ちで劇場を出ることができた。しかし通奏低音的に流れているテーマは「反戦」である、と私は感じた。夏の暑さの中で死者たちが語る実体験。それは血が飛び散ったり銃撃の音が鳴り響いたりするような映像的悲惨さこそないものの、いやだからこそだろうか、実体を持った事実として提示される。ともすればチープになりそうな筋書きをここまで説得力をもって表現しきった俳優様方にとにかく感動した。
さて、今年は戦後79年。戦争を自分ごととして語ることができる人は随分と少なくなった。だからこそ、創作物で届けることは重要さを増していると私は思う。
この演劇では、戦争によって生まれた悲惨な人々を「語り部」的に演じている。もちろん俳優の方々は戦後生まれであり、実際の戦争を経験した人ではないだろう。
軽妙な音楽と語りで進められる物語は、一見すると悲惨さはまるでない。むしろ「戦争」というものを茶化しているかのようにさえ思える。しかし、俳優の方々の声が、身体表現が、真っ直ぐに届けられることでこの演劇は「反戦」の色を持つ。
悪趣味な筋書きだとは思う。あえて露悪的に描いている?と疑う部分も多々あった。それでも、この演劇を否定できないのは、根幹に流れるメッセージが強固だからだ。
ずっと書いているように、この物語を成り立たせているのは俳優の方々の圧倒的な演技力だと思う。悪趣味で露悪的な内容が、演じられることによって輪郭を持ち、強いメッセージを発する。
演じる人がいることではじめて完成する物語。これこそ、小説を読むのではなく【演劇】を見る醍醐味だなぁ、と思うなどした。