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タイに来ています2(海外サッカー)


前回の記事で、タイに来た理由を書こうと思ったが最後の最後に話が脱線したのて、今回は気をつけながら書いていく。
脱線したらごめんなさい。


では早速、、、

前回の記事を読んでくれた人ならわかると思うが、

何をしたいか、分からなくなった。

という場面があったと思う。

タイに来た理由は沢山あるのだが、1番の大きな理由がこれだ。

自分が何をしたいか分からなくなった。
だからタイに来た。
何がしたいのか、、その答えを、正解を、探しにタイに来た。

ん?ちょっとよく分からない。と思っている人がいるはず。
多分きっとこれは自分にしか分からないから深堀はしない。
もし気になる人がいれば聞いておくれ。笑



さあ次の理由だ。
タイに来た2つ目の理由は、みんな後悔しているから。

私の周りには、海外でサッカーをしていた人が多くいる。
そしてその中の多くの人は、一度海外でプレーしたものの、何らかの失敗で日本に帰国。
その後、再び海外へ行くことはなく、日本で働いている。

このような人たちがみんな口を揃えて

「もう一度海外に行っておけばよかった」

と言うんだ。みんな後悔してるらしい。
なんでもう一度チャレンジしなかったのかは謎だけど。


後悔はしたくない。みんなと同じことを言いたくない。
だからタイに来た。
たったそれだけの理由。






そして3つ目の理由は、父との会話。

私が小学生5年生の頃、父と喧嘩した。
理由は確か、サッカー関係だった気がする。詳しくは覚えていない。
そこから父とは約9年間、、、
高校卒業くらいまでは一言も喋らなかった。
同じ家で暮らしていたのにも関わらず。


弟の試合は毎試合欠かさず観に行っていた父だが、もちろん私の試合は観に来たことは無い。
だから私は、専らの母親っ子だ。

そんな父とは、何らかのきっかけで高校卒業後からは喋るようになった。
だが、今でもお互いに気を遣っている。
気を遣っている程度では済まないかもしれない。人前では普通だが、家族の前になると、

「本当に親子?」 

と思われるくらい。まあ仕方ない。
幼少期から9年間も話さなかったのだから。 

だが、感謝はしている。

こんな親不孝な息子である私を、中学から私立に通わせてもらい、奨学金もなしに大学を卒業させてくれた。喧嘩中で一言も喋らなかったにも関わらず、無言で支援してくれた。
さらには大学を卒業後、いきなり南米に行くと言い出した俺を、快く送り出してくれた。
こんな幸せなことがあるのか。

今になって気付いたが、感謝してもしきれない。
本当に有難い話である。

そして一緒に働くようになってからは、そんな父を尊敬している。


「マジかっけえ。」ってね。


今回、「タイへ行く」と、家族に伝えたのは1週間前。
いや、正確には伝えていない。
インスタの投稿を見て妹が知った。そこから広まった。

だが、父には仕事の関係上、1ヶ月前に伝えた。

「タイに行こうと思っている。」

この時はまだ確実に決まってなかったたため、「思っている」と伝えた。

普段、相談をしないタイプの俺が、何故か父に相談した。理由は分からない。自然にだ。
きっと、相当悩んでいたんだと思う。
(相談をしない理由は次の記事に書こうと思う)

そしたら父から一言、、、
「楽しめるなら行けばいい。楽しんでこいよ。」

決心した。よし行こう。楽しもう。ってね。

パラグアイへ行った時もそうだったが、父は絶対に「がんばれ」とは言わない。
必ず「楽しめ」と言う。
「頑張るくらいならやるな。楽しんだ方がいいだろ。」
って毎回言う。

「楽しめ」この一言が大きかった。

よし今日からまた、さらに、もっと楽しもう。


2022/11/15

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